モスクワで4月27日に開かれた日ロ首脳会談。プーチン大統領と安倍晋三首相による会談後の共同記者発表は、質問を一切受け付けない形式だった。それでも互いの思惑の違いを垣間見させるものがあった。

4月27日、モスクワで開かれたプーチン大統領・安倍首相の会談ではすれ違いが垣間見えた(写真:ロイター/アフロ)
4月27日、モスクワで開かれたプーチン大統領・安倍首相の会談ではすれ違いが垣間見えた(写真:ロイター/アフロ)

 「尊敬する皆さん!尊敬する首相! 日本の首相である安倍晋三氏との会談は建設的な雰囲気で行われました」――。

 ホスト側として最初に発言したプーチン大統領はまず、昨年12月の大統訪日以降の日ロ協力の現状に言及。今年になって両国間の貿易額が増え、2015年は13億ドルだった日本の対ロ投資額も昨年は17億ドルに増加したと、具体的数字も示しながら成果を強調した。

 今回の会談結果に関しても、エネルギーや原子力協力、文化交流など経済・人道分野の話を延々と続けた後、ようやく北方領土での共同経済活動や元住民の墓参などに触れ、続いて緊迫する北朝鮮情勢に言及した。

 こうした話の順序もさることながら、プーチン大統領の記者発表を聞いていて、気になったことがある。「安倍さん」「安倍首相」「首相さん」と、安倍首相について終始、敬称で通したことだ。結局、大統領の口からは「シンゾー」というファーストネームは聞かれなかった。

 対する安倍首相の記者発表はどうか。最初は「プーチン大統領」と呼んでいたが、途中から「ウラジーミル」とファーストネームを連呼するようになった。

 特に日ロの平和条約問題に触れたくだりでは熱が入った。「双方の努力の向こうに、私とウラジーミルがめざす平和条約がある」「ウラジーミルと手を携えて、平和条約締結への道を2人で進んでいきたい」といった具合だ。

 安倍首相とプーチン大統領の会談は、第1次安倍内閣の時代も含めると通算で17回目。首相からすれば個人的な関係づくりも進み、互いにファーストネームで呼び合える深い仲になったと強調したかったのだろう。だが、プーチン大統領の冷静な対応ぶりをみると、両首脳の温度差はやはり否めない。

「北方領土は渡したくない」というプーチン大統領の本音

 プーチン大統領も確かに、平和条約問題に一切触れなかったわけではない。「日本はロシアにとって重要で有望なパートナーだ」とし、「両国間の最も難しい問題」も解決する用意があると述べた。

 さらに平和条約問題の解決策は日ロの「戦略的な利益に合致し、両国民に受け入れられる」ものでなければならないと指摘。この脈絡で北方領土での共同経済活動について話し合ったとし、共同経済活動や元島民らの墓参などの往来簡素化を進めることが「両国間の信頼と相互理解を醸成する」と強調した。

出所:日本外務省
出所:日本外務省

 プーチン氏は2000年の大統領就任以来、日ロの北方領土交渉を進めるための基軸として、1956年の日ソ共同宣言を掲げてきた。この宣言は北方4島のうち、歯舞、色丹両島を平和条約締結後に日本に引き渡すと規定している。大統領は「どのような条件で引き渡すかは明記されていない」としつつも、共同宣言そのものは両国議会が批准しており、「法的に有効だ」としていた。

 ところが、今回のモスクワ会談後の共同記者発表では、プーチン大統領から日ソ共同宣言に関する言及は一切なかった。これまで持論としてきた共同宣言を封印し、北方領土での日ロ共同経済活動の成否で平和条約締結の有無を判断しようという思惑が明らかにうかがえる。

 いくら国内で強大な権力を持つとはいえ、国民の批判が集まる領土の割譲はたとえ1ミリであってもしたくないというのがプーチン氏の本音だろう。

共同経済活動が失敗すれば北方領土交渉の継続は困難

 大統領にとって幸いなことに、昨年12月の日本での首脳会談合意を受け、北方領土での共同経済活動をめぐる交渉が平和条約締結交渉とほぼ同義語になった。仮に共同経済活動がうまくいかなければ、「日本は北方領土に関心がない」とみなし、領土問題を含めた平和条約交渉を打ち切ることもできるわけだ。

 実は、日ロは過去にも共同経済活動を議論した経緯がある。1998年11月、当時の小渕恵三首相がモスクワを訪問し、エリツィン大統領(当時)と会談した際に、北方領土での共同経済活動に関する委員会の設置で合意。それに基づいて実務レベルの日ロ協議が重ねられたが、結局は実現しないまま立ち消えとなった。

 ただ、当時の小渕・エリツィン会談の合意には、共同経済活動委員会とともに国境画定に関する委員会の設置も盛り込んでいた。仮に共同経済活動が実現できなくても、領土交渉を継続できるように“保険”をかけていた。

 昨年末の合意にはこうした“保険”がない。日本としては北方領土に関する日ロの「法的立場を害さない」という厳しい条件下で、共同経済活動を是が非でも実現せざるを得ない状況に追い込まれたともいえる。

 こうした危機感もあってか、日本側が提案している事業案は北方4島周辺のクルーズ船観光など、法制度の問題を比較的クリアしやすいものを中心に並べている。まずはひとつでも何とか事業案を具体化し、平和条約締結交渉の追い風としたい考えだ。

 ところがロシア側は、現地のインフラ整備に利用しようという思惑もあってか、島民の住宅改修、ホテル建設、発電所の設置など、「法的立場」の問題で難航しかねない事業案を数多く掲げる。もともと「(4島が)ロシアに帰属しているのだから、ロシアの法律で実施するのは当然だ」(ウシャコフ大統領補佐官)との意見が根強いことも背景にある。

 日本側は5月中にも官民調査団を現地に派遣。日ロ双方はその上で共同事業案を固め、個別プロジェクトごとに法制度を含めて実現に向けた協議を進めていく予定だ。実際に具体化できれば人的交流や相互理解も進み、平和条約締結に向けた環境整備に寄与するだろうが、実現に向けた道のりは険しそうだ。

ロシアは安倍首相を「他の西側諸国の首脳とは違う」と評価

 今回の安倍首相の訪ロは、日ロ関係とともに国際情勢をめぐる協議も焦点となった。特にシリアと北朝鮮情勢だ。

 シリア情勢をめぐっては、ロシアが後ろ盾となっているアサド政権による化学兵器使用疑惑が浮上。米国のトランプ政権がアサド政権軍への巡航ミサイル攻撃に踏み切った。ロシアはこれに反発し、ただでさえ冷え込んでいる米ロ関係に大きな亀裂が走った。

 核やミサイルの挑発を繰り返す北朝鮮に対しても、米トランプ政権は原子力空母「カール・ビンソン」を朝鮮半島付近に派遣するなど軍事的圧力を強めた。米国は中国にも北朝鮮への圧力を求め、中国は北朝鮮が核実験を強行すれば制裁を強めると警告したとされる。こうしたなか、貨客船「万景峰号」によるロ朝間の新定期航路の新設を決めるなど、国際社会の結束を乱すような動きをみせたのがロシアだ。

 安倍政権はトランプ政権によるシリアや北朝鮮への対応を、いずれも積極的に支持した。逆にロシアとの立場の違いが浮き彫りになる中での訪ロだっただけに、注目されたわけだ。

 今回の首脳会談の会談時間は合計で約3時間10分。このうち国際情勢は約90分間に及んだ最初の少人数会合で協議し、続く約50分間の通訳だけを交えた首脳間のサシの会談は、主に日ロの平和条約問題を話し合ったという。

 安倍首相は会談後の共同記者発表で「北朝鮮に対して国連安全保障理事会決議を完全に順守し、さらなる挑発行為を自制するよう働きかけていくことで一致した」と表明した。ただ、「万景峰号」の問題には触れなかった。シリア情勢に関しても「ロシアの建設的な役割」への期待を示しただけだ。

 安倍首相の訪ロ後、トランプ大統領とプーチン大統領による電話会談があり、首相が仲介したとの説もあるが定かではない。むしろ日本では国際情勢をめぐる日ロの立場の相違、とりわけ日本の米国寄りの姿勢が日ロの平和条約交渉の先行きをより一層暗くするとの観測が大勢だった。

 ところが、これについてはロシア側の見方は異なる。ロシアの政権与党「統一ロシア」の幹部の一人は「安倍首相は他の西側の多くの首脳と違い、独自の外交政策をみせている」と指摘。米ロ関係が冷え込むなかで、あえて訪ロした首相の姿勢を評価した。

 カーネギー財団モスクワセンターのドミトリー・トレーニン所長も「たとえ米ロ関係が対立したとしても、日本との関係はより良くなる」と強調。ウクライナ危機を受けた米欧の対ロ経済制裁が続く見通しのなか、日本との投資・技術協力をロシア経済の再生にいかすべきだと主張する。

 たとえ各回の成果が乏しくても、安倍首相がプーチン大統領と頻繁に会談を重ねていくことは、日ロ関係の将来に寄与する可能性があることも留意しておくべきなのだろう。

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