この6月の19日、安倍晋三首相は、通常国会の閉会を受けて、官邸で記者会見を開いた。

 内容について、色々と思うところはあるのだが、首相が会見の中で述べたひとつひとつの言葉を詳しく検討するつもりはない。

 ここでは、会見の録画をひと通り見た上で、私が、現政権についてあらためて感じた雑感みたいなものを記録しておくつもりだ。

 あえて「雑感」という言い方をしたのは、これから書くであろう内容が、まっとうな批評に結実しそうもないと思っているからでもあれば、その自分の「雑感」を「雑感」のまま保持しておくこと(具体的には、党派的な批判に変質させないこと)の大切さを意識しているからでもある。

 雑感を述べる前にまず、予防線を張っておく。

 当欄に安倍首相関連のなにごとかを書くと、毎度のことながら、必ずや一定数のティピカルな批判が集まる。

 批判が集まること自体はかまわない。

 ただ、その批判の多くが、オダジマを「安倍嫌い主義者」であると決めつける立場から発せられていることに、私は、毎回、心外な気持ちを抱いている。

 なので、先回りして説明をしておきたい。
 めんどうな人は読み飛ばしていただいてかまわない。

 安倍首相を好きなのか嫌いなのかと真正面から問われたら、

 「きらいです」

 と答えざるを得ない。
 こういうところでウソを言うつもりはない。

 とはいえ、私が安倍さんに対して良い感情を持っていないことが事実であるのだとして、そのことをもって、オダジマを「安倍嫌い主義者」といったような粗雑な集合に分類することは、不当であるのみならず、失礼な態度であると申し上げねばならない。同様に、私が、現政権や、安倍さん周辺のあれこれについて書いたりしゃべったりしている記事やコメントを、私の安倍さんに対する厭悪の感情のあらわれに過ぎないと決めつけることも、不当なことだ。

 当たり前の話だが、私は安倍さんの人となりをまったく知らなかった当時から、あらかじめ安倍さんを嫌っていたわけではない。
 嫌いだからという理由で、安倍さんのやることなすことを全否定しているのでもない。

 政策や言動への評価については、できうる限り、個人的な感情を排した上で、虚心に評価するように心がけているつもりだ。
 まあ、できる範囲で、ということではあるが。

 ものの順序としては、私が、安倍さんの掲げる政策のいくつかに賛成できなかった事実が出発点だ。
 で、次第に、あの人のものの言い方や説明の仕方にも、違和感を感じるようになってきた。

 首相になって以来の議論の進め方や人事を断行する際の説明にも不満を持っている。
 有り体にいえば、こうした積み重ねが、安倍首相個人への評価に影響して、全体として、「好きじゃない」という感情につながっているということだ。

 順序を間違えないでほしい。

 支持できない政策や、賛成できない言葉に触れる日々が続くなかで、安倍首相へのかんばしからぬ感情が形成されたということであって、嫌いだからという理由で安倍首相の一挙手一投足を全否定しにかかっているのではない。

 いや、わかってくれれば良いのだ。
 誤解が解けたのであればそれで十分だ。それ以上、当方から謝罪を求めることはしない。

 逆に、これだけ話して、わかってくれないのであれば、これ以上は、何を言っても無駄だろう。

 私の側が舌を噛み切るわけにはいかないので、そちらが耳を塞ぐなり目を閉じるなりして、私の側から発信される情報を遮断する方向で努力をしてみてほしい。健闘を祈る。

 本題にはいる。

 19日の会見で、首相は、「人づくり改革」を検討する有識者会議「みんなにチャンス!構想会議」を7月に発足させる旨を表明し、あわせて、担当大臣を設置することを明らかにしている(こちら)。

 首相の言う「みんなにチャンス!構想会議」に、どんなメンバーが招集され、人づくり改革担当大臣として誰が指名されるのかはまだわからない。

 「人づくり改革」なるものの内容が、具体的に、どんな細目を整えるのかについても、私は、いまのところ情報を持っていない。

 であるからして、これから述べる内容が、あくまでも「人づくり改革」なり「みんなにチャンス!構想会議」なりというネーミングの字面をとらえた感想以上のものではないことをお断りした上で申し述べるわけなのだが、私は、言葉を聞くなり即座に、

 「うわぁ」

 と思って、その先を聞く気持ちになれなかった。
 現政権が持ち出してくる言葉については、何回目かの

 「うわぁ」

 なり

 「あちゃー」

 であるわけなのだが、ともかく私はそう思ってしまったわけだ。

 「とてもじゃないけど、もうこれ以上は耐えられない」
 と、そう感じずにはいられなかったのである。

 一億総活躍社会、女性活躍、ニッポンを取り戻す、教育再生実行会議、3年間だっこし放題、三本の矢、この道しかない、人づくり改革、みんなにチャンス!構想、岩盤にドリル……と、こうして並べてみると、あくまでも好みの問題ではあるのだが、安倍政権が持ち出してくるスローガンなりキャッチフレーズは、どれもこれも、鳥肌の立つ言葉ばかりだ。

 どうしてこう次から次へと気持ちの悪いフレーズを思いつくことができるのか……という私の感想が、主観に過ぎないことは、もちろん、承知している。

 が、われわれが言葉に対して抱く主観はバカにならない。

 特定の言葉やフレーズに対して、「薄気味が悪い」とか「好きだ」とか「わくわくする」とか「しっくりくる」とか「怖い」とか「ぞわぞわする」というふうにしてわれわれが抱く、曖昧ながらもそれなりに強烈な直感は、あとになってから振り返ってみると、しばしば何事かを言い当てていたりする。

 たとえば、ずっと昔、

 「会いにいけるアイドル」

 という言葉をはじめて聞いた時に、私が抱いた

「なんだかわかんないけど猛烈にうさんくさい惹句だなあ」

 という直感は、ずっと後になってから、正確な予見であったことが証明されている。

 実際、会いにいけるアイドルは、憧れという感情をより即物的な欲望に微分する過程で発生する握手券を換金する装置そのものだったわけで、その意味では、キャッチフレーズの放射していたうさんくささは、的を射ていたのである。

 「人づくり改革」という一連の言葉は、第一感で自己啓発セミナーのスローガンを想起させる。

 創英ポップ体のポスターが似つかわしい宣伝文でもあれば、担当大臣(←どうせ無駄に前向きな若いヤツ)の体言止めだらけの半端ラップ演説が聞こえてきそうな啖呵でもある。

 いずれにせよ、この言葉は、「人」が「つくれるもの」であることを前提としている。
 もう少し踏み込んだ言い方をすれば、「人づくり改革」は、人間性を操作者の恣意によって改変可能な属性と考えている人間が発案したプログラムであり、その背後には、労働力資本を無限の収益源と考えるブラック企業経営者の強欲と、人民をマスゲームの一画素として扱わんとする権力者の野望があずかっている――というのは、たぶん言い過ぎなので、とりあえず撤回しておくが、ともあれ、「人づくり改革」が、「人間」を「操作」する意図を持った人々による言葉であることだけは明確にしておきたい。

 「一億総活躍」も「教育再生実行会議」も、個々の人間を、全体の中の一個の「駒」として観察する視点において共通している。

 ピンク・フロイドというロックバンドのヒット曲に「Another Brick in the Wall」という歌があって、その中に

 "All in all you're just another brick in the wall"
 「つまるところ、オレらは、壁の中のレンガのひとつに過ぎないのさ」

 という素敵な一行が含まれているという話を、以前、どこかに書いた記憶がある。

 ここで言う「壁の中のレンガのひとつ」というのは、彼の国の労働者階級が抱いている鉄壁の諦観を象徴する狷介不屈にしてパンクな極上のフレーズだと思うのだが、同じセリフを、うちの国の政府は、政権の側から発信している。

 つまり「人づくり改革」は、その行間において
 「われわれは、君たちを素材に壁をつくるつもりだよ」
 という決意を物語っている。

 安倍さん自身がそう言っているわけではない。
 が、私の耳にはそういうふうに聞こえている。
 間違っているのは私の方なのかもしれない。
 その可能性は否定できない。認める。

 これらの「改革」を立案し、企画し、推進している人々は、たとえば、「教育」の「再生」を「実行」しようとしているわけだが、その彼らの観察の中では、「教育」は「死滅」している。

 逆に言えば、「教育」が「死滅」なり「滅亡」しているという前提を共有しているのでなければ、「再生」という言葉は出てこない。

 つまり彼らの認識では、この世界は、滅びかかっていて、危機に瀕していて、岩盤の下で押しつぶされようとしているわけで、だからこそ、「改革」して、「取り戻し」て、「ドリルで穴」を開けなければならず、そのためには、「教育」を「再生」しつつ、「人」を「つく」り、「みんな」に「チャンス」を与え、「一億」を「総活躍」させなければならない。だからこそ彼らは、あらゆる改革を画策し、推進し、叱咤し、絶叫しているわけなのである。

 私は、こういったタイプのやたらと活性の高い動詞が頻発される種類の文体を好まない。

 出版の世界では、「起業力」「雑談力」「地頭力」「察知力」「プラットホーム力」「褒め力」「勉強力」「メール力」「メモ力」「モテ力」「抱擁力」みたいな調子の、「◯◯力」をタイトルに冠した、およそ新味も工夫もありゃしない志の低い書籍が、すでに5年ほど、出版され続けていて、現場の人間たちがほとほとうんざりしているにもかかわらず、それぞれにそこそこの売り上げを記録していて、それがために、出版世界のレンガの一片たるわれわれは、かなりの度合いでうんざりしていながらも、今日もまた、新しい「◯◯力」を見つけ出しては書籍化する努力を続行している。それほどに、出版の世界の自己啓発依存は深く、書店に足を運ぶ若い人たちの自己啓発ビジネス書籍への傾倒もまた一向に改まらない。

 言わずもがなだが、この世の中は「レンガ」がなくては構築できない。だから、誰でも、人生のそれなりの部分を、社会なり組織の一員として担っている。当たり前のことだ。
 申し上げたいのは、どこかの誰かが理想とする「レンガであること」を押し付けられる世の中なんてごめんだよ、ということだ。

 最初に好き嫌いの話をしたことでもあるので、最後まで、好き嫌いを述べることで話を終えることにする。

 私個人は、自己啓発書のたぐいが大嫌いなのだが、最近思っているのは、自分が安倍政権に共感を抱けずにいるのは、政策以前に、政権の主要メンバーが漂わせているインチキセミナーくさい啓発臭のゆえなのかもしれないということだ。

 「人づくり改革」という言葉の余韻や「みんなにチャンス!」の最後に付加されている「!」(イクスクラメーションマーク)に、私は、自己啓発本由来のどこまでもチープな世界観と人間観を感じないわけにはいかない。

 でもって、これらのスローガンを掲げている人々が、福祉や社会保障によって最低限の生活を支えることよりも、むしろ貧困の恐怖によって人間をしばき上げることで景気を好転させようとしている植民地監督官に似た人たちであるに違いないという思い込みを、どうしても拭い去ることができないでいる次第だ。

 根拠があって言っていることではない。
 エビデンスだとかファクトだとか、そういうものはひとつも提示できない。
 ただ、そういう感じを抱いているのだ。

 そう感じている一方で、私は、個々の国民の感情やとりとめのない印象の総和が、結局のところ、政治を動かし、政権をドライブするのだと思ってもいる。

 そんなわけなので、壁にハマれないレンガのひとつとして、せめてハンマーを警戒しようと思っている。
 というのも、人づくり改革は、壁にハマれないレンガを打ち砕いてもう一度土に戻す計画を指す言葉であるかもしれないからだ。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

基礎力、達成力、調整力、…弊社もご多分に漏れず出してますねえ。
「煉瓦力」の本も出したら売れるかしら。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中

この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。