AI(人工知能)による産業構造の激変が始まった。

 売り上げ規模など従来の序列は全く関係ない。対応できない既存勢力は没落する。強固なピラミッドを持つ自動車産業とて安泰ではない。AIによる自動運転の実用化が、激変の号砲となる。

 5月10日にトヨタ自動車とAIによる自動運転で提携したのは、半導体世界シェア10位以下の米エヌビディア。自動車業界と半導体業界にとって、序列の崩壊を象徴する提携である。

 エヌビディアは長らく、ゲーム用半導体というニッチ産業のプレーヤーの1社に過ぎなかった。まさに「知る人ぞ知る」存在だった同社は、AI時代の寵児になりつつある。

 ただし、同社のAI用半導体メーカーとしての実力はいまだベールに包まれている。4月、日経ビジネスはメディアとして世界で初めて、米エヌビディアを密着取材した。

 AIによる世界制覇の攻防──。特集第1回は、その主役の1社であるエヌビディアの実像を詳報する。

 米ニュージャージー州ホルムデル。半導体大手の米エヌビディアが自動運転の開発拠点を置くこの地方都市の郊外で、4月中旬、日経ビジネスは1台の黒いクルマが走っている姿をとらえた。

 米フォード・モーターの高級車「リンカーン」を改造した、エヌビディアの自動運転試作車「BB8」である。

 「世界の技術を支配する」と言われ、20世紀にトランジスタやC言語など革新的技術を次々に生み出した「ベル研究所」。奇しくもその跡地で、エヌビディアによる今後の自動車を“支配”するかもしれない実験が行われていた。

米エヌビディアの自動運転試作車「BB8」。テストドライバーは時折、サンルーフからわざと両手を出していた
米エヌビディアの自動運転試作車「BB8」。テストドライバーは時折、サンルーフからわざと両手を出していた

 一見、普通のクルマ──。ただし、試作車「BB8」には1点だけ、これまでのクルマの常識を超える“個性”を持つ。

 運転者が、人間ではなくAI(人工知能)という点だ。

 毎日のようにAIと名が付く製品や技術を聞くようになった。注目の理由は、端的に言えば本格的な実用段階に入ったからだ。

 AIの特徴は「学習する」点にある。人間の脳を模した計算手法「ディープラーニング」で、人間が教え込まなくても自ら進化することが可能になった。これまでのコンピューターと違い、学習した内容と全く同じ問題でなくとも、AIは類推して答えを導き出すわけだ。

 自動運転は、まさにAIの出番といえる。センサーやカメラが捉えた人や障害物などの情報をインプットすれば、どのルートをどの程度の速度で走ると安全に通行できるかをAIが判断し、クルマを操ってくれるわけだ。

 自動車メーカーではなく半導体メーカーが試作した「AIカー」であるBB8。その運転席に座ったテストドライバーが時折、サンルーフからわざと両手を出してこちらにヒラヒラと手を振った。「ハンドルを握らなくても問題ない」という合図である。右折、左折、車線変更……。高速道路も一般道も自動運転でスイスイとこなしていく。

 この技術力に、トヨタ自動車が惚れ込んだ。

本社潜入、トヨタが惚れた製品を発見

 「もうデバッグ(ミスを見つけて手直しすること)はほぼ終わっているよ」

エヌビディア本社の一角にある開発施設。量産前製品の最終テストが進む(写真=林 幸一郎)
エヌビディア本社の一角にある開発施設。量産前製品の最終テストが進む(写真=林 幸一郎)

 BB8が走っていたニュージャージー州から西へ約4000km。シリコンバレーに位置するエヌビディア本社の研究施設に潜入した。スーパーコンピューターが所狭しと並ぶこの施設は、メディアにほとんど公開されていない。製品が使われる環境をスーパーコンピューターで再現し、開発中の製品を量産前にテストする機能を持つ。

 その一室に、トヨタが惚れたエヌビディアの製品があった。

 GPU(画像処理半導体)──。エヌビディアが世界シェア8〜9割を持つ半導体である。同社の主力製品であるGPUには、圧倒的な強みがある。同時に複数の計算をこなす「並列演算」がずば抜けて得意なことだ。

 パソコンに必ず搭載されているCPU(中央演算処理装置)は「A」という計算の後に「B」という計算をする「逐次演算」に向く。演算装置という点では同じだが、例えるならば、GPUは数千人が同時に計算をする研究所であり、CPUは1人の天才の頭脳のようなものだ。

 AIは自動車の“頭脳”になる。ただし、AIもコンピューターの中で動くプログラムの一種。スムーズに頭脳を回転させるには、高性能な半導体が必要だ。

 つまり、AIは「超」が付くほど高性能な半導体がなければ動かない。そこに商機があると感じ、半導体メーカーに加え米グーグルなどのIT(情報技術)大手も自前の半導体開発に向けて動き出した。

 AIによる世界制覇の動きの一つは、半導体をめぐる主導権争いである。

 まだ勝者は決まっていない。ただ、トヨタが選んだのはエヌビディアのGPUだった。トヨタは、「エグゼビア」とコードネームで呼ばれる次世代GPUを自動運転の“頭脳”としてクルマに取り込む。

 5月10日、米カリフォルニア州サンノゼで開かれた会見で、エヌビディアはトヨタとAI(人工知能)を使った自動運転車の開発で協業すると発表。エヌビディアが開発中の次世代GPUを、トヨタが実際に製品化する自動運転車に搭載するだけでなく、両社は自動運転の実現に向けたソフトウエアも共同開発する。

デンソー幹部「GPUしか動かない…」

 トヨタは車載用の半導体を内製するほか、グループ会社のデンソーや、株式を保有するルネサスエレクトロニクスなどから調達している。自動運転の頭脳となる半導体を外資系企業から調達するのは異例だ。

 「いや、実はこのプログラムを動かせるのは、現状ではエヌビディアのGPUだけなんですよ……」。あるデンソー幹部はつぶやいた。同社が自動運転用のソフトウエア開発のデモで使用していたのがエヌビディアのGPUだった。

 デンソーはトヨタグループ最大の部品メーカーであり、1990年代後半からAI研究に着手。AIの専門チームも作っていることで知られる。そのデンソーの幹部をもってして、「唯一」と言わしめる技術的な優位性をエヌビディアは持つ。

 エヌビディアは全ての半導体製品の生産を外部に委託するファブレスメーカー。台湾積体電路製造(TSMC)と韓国のサムスン電子に製造を委託する。研究所の担当者は「両社に対してこの数カ月でエグゼビアのバグを潰す作業を依頼済みだ」と開発が順調に進んでいることを明かした。製品の市場投入は予定通り今年後半になる見込みだ。

 提携発表の会見を聞いたある自動車担当アナリストはこう言う。「この提携で、自動運転に関してはAI半導体のデファクトスタンダード(事実上の標準)はエヌビディアのGPUで決まりだろう」

 エヌビディアはドイツ勢ではフォルクスワーゲン、アウディ、ダイムラーと既に提携。米国勢ではフォード・モーターに加えて、EV(電気自動車)のテスラとも協業する。その列にトヨタも加わることになったからだ。

5月10日の会見でトヨタ自動車との提携を発表するエヌビディアCEOのジェンスン・フアン氏(写真:林 幸一郎)
5月10日の会見でトヨタ自動車との提携を発表するエヌビディアCEOのジェンスン・フアン氏(写真:林 幸一郎)

 トレードマークの黒い革ジャケットを身にまとって壇上に立ったジェンスン・フアンCEO(最高経営責任者)はこう語った。「自動車業界のレジェンドとの協業は、自動運転の未来がすぐそこまで来ていることを強く示している」

売上高が前期比で2200億円も増加

 2017年1月期の売上高は69億1000万ドル(約7900億円)。AI関連事業の急拡大によって、前期比で2200億円も増加した。今期に入ってさらに成長ペースが加速。瞬く間にAI時代の寵児になろうとしている。

 GPUを複数搭載した自動運転用スーパーコンピューター「DRIVE PX 2」。弁当箱のサイズで、アップルの最上位ノートパソコン「マックブックプロ」150台分の処理能力を持つ。この圧倒的なスピードが、同社最大の武器だ。

エヌビディアで自動車事業を統括するロブ・チョンガー副社長(写真:林 幸一郎)
エヌビディアで自動車事業を統括するロブ・チョンガー副社長(写真:林 幸一郎)

 同社で自動車事業を統括するロブ・チョンガー副社長は、DRIVE PX2を手に持ちながら次のように話す。

 「(自動ブレーキなどの)ADAS(先進運転支援システム)と自動運転はまるで違う。極めて高性能なコンピューターが必要であり、これまでの延長線上の技術では不可能だ。全く異なる『ゲームチェンジャー』となる技術が必要であり、それがディープラーニングとGPUだ」

 「我々は車載用のAI開発だけでこれまで1億ドルの投資を行い、2000人のエンジニアを雇用している。チップに加えて、自動運転用のソフトウエアを構築していて、全てオープンにしている。誰でも使える。我々が競合より数年先を走っているのは確かだ」

 エヌビディアはAIにおける独特のポジションを既に獲得しつつある。半導体メーカーでありながらソフトウエアに強く、パートナーに開発環境の門戸を開き、AI開発のプラットフォームとして存在する。ファブレスという点は米アップルに、オープンプラットフォームという点では米グーグルに似る。

 GPUというAI用半導体を持ち、ソフトウエア開発にも乗り出す。この「オールインワンパッケージ」が自動運転の開発で生きてくる。冒頭で見た試作車「BB8」から、エヌビディアの実力が分かる。

クルマを司るAIは“3人”いる

 「BB8」は、まるで人間のような振る舞いをしていた。

 司るのは、“3人”のAIだ。

 “1人目”のAIの名は「パイロットネット」。学習させたのはセンサーから得たクルマの周囲の画像ではなく、人間が運転するときのしぐさや目線、障害物に遭遇したときの避け方などの振る舞いだ。車線の有無や異なる時間帯、様々な気候条件などでの行動データをAIに学ばせた。

 すると、パイロットネットは運転する際に注意を払わなければならないポイントをAI自らが見つけ出した。例えば車線や対向車のボンネットのような場所に、AIは焦点を当てた。

 これはドライバーが普段、無意識に注意しているポイントと全く同じ。つまり自ら知識を獲得したのだ。エヌビディアによれば、既にBB8は数千キロを走破。パイロットネットの開発開始から18カ月が経過し、学習はほぼ完了しているという。

 “2人目”は「ドライブネット」。周辺画像を取り込んで、歩行者や自動車、バイク、交通標識などを判断する。わずか数時間の学習で、AIは交通標識の96%を正しく認識できるようになるという。「これまでのコンピューターでは、96%を達成するのに数年の開発環境が必要だった。光のようなスピードだ」。アウディ幹部はこう語る。

 “3人目”は「オープンロードネット」。文字通り、道路上のどの場所が安全で移動しても事故が起こらないかを周辺状況やクルマのスピードなどからAI自ら判断する。

 全てエヌビディアが自前で開発したAIである。

 チョンガー副社長は、今後の展開を次にように話す。「(BB8に)搭載しているAIは3つだが、完全自動運転には20〜30のAIが必要になるだろう。次々にAIを育てて搭載していくよ。それが、コンピューター業界のスタンダードだから」

 始まった競争軸の変化。新たな付加価値の源泉はAIであり、新たな業界の「支配者」はAIを使いこなす黒子である。単なるメーカーは、手足のように支配者に使われるだけだ。

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