北朝鮮によるミサイル発射という事態に、どうやら私たちは慣れてしまったようだ。
 少なくとも私は、かなり頑強な耐性を獲得している。

 ニュースを見ても、驚かない。
 毎度毎度、定期便が上空を通過するのを見上げているみたいな気持ちで、ニュースの画面を眺めている。

 この数年で地震にビビらなくなった事情と似ていなくもない。
 震度3までは、毛ほども動揺しない。
 震度4でもまだまだ落ち着いている。
 おそらく、そう遠くない将来、最終的な地震が襲ってくるのだとしても、私は、その時までそんなにあわてないのではないかと思う。

 あたりまえの話だが、慣れるということと、危機が去るということは、同義ではない。
 危機感が鈍麻しているのだとしたら、むしろ危機は深まっていると考えなければならない。

 北朝鮮によるミサイル攻撃のリスクに関して言うなら、われわれが慣れれば慣れるほど、危険度は増している。
 危険度が増している理由のひとつは、彼らが打ち上げている飛翔体が、単なる注意喚起のための花火ではなくて、確実なエスカレーションを含んだ実験だということの中にある。
 とりわけ、飛距離が伸びている点が深刻だ。

 なんでも、今回のブツは、アメリカ本土に到達する性能を有している可能性があるのだそうだが、ということになると、彼らのプレゼンテーションは、これまでとはひとつ次元の違う危険性を物語っているわけで、これは考えれば考えるほど、しみじみとヤバい。

 個人的には、北朝鮮がいきなりわが国にミサイルを打ち込んでくるとは思っていない。
 とはいえ、永遠にこの膠着状態が続くとも思えない。
 当面、私が懸念しているのは、アメリカが過剰反応することだ。
 トランプ大統領の昨今の言動を見るに、あながち杞憂とも思えない。

 というのも、普通ならやりそうもないことをやらかすのが彼の持ち前であり、トランプさんの政治的な生命線は、何をやり出すのかを、政敵や専門家が読めないところにあるはずのものだからだ。

 となると、過剰反応が過剰反応を呼んで、展開次第では、戦争が起こらないとも限らない。
 そういうことが起こった場合、火の海になるのは、アメリカではなくて、北朝鮮ならびにその周辺国で、具体的には韓国と、もしかしたら日本ということになる。  これは、あまり考えたくないシナリオだが、だからこそ考えておかねばならない。

 米共和党の重鎮、リンゼー・グラム上院議員がNBCテレビのニュースショーに出演して語ったところによれば、トランプ大統領は、グラム氏に

「北朝鮮がICBMによる米国攻撃を目指し続けるのであれば、北朝鮮と戦争になる」

 と語ったのだそうだ(こちら)。

 なかなかおそろしい発言だ。
 が、本命のおそろしいコメントは、その後だ。

 グラム氏によれば、大統領は、続けて

「北朝鮮(の核・ミサイル開発)を阻止するために戦争が起きるとすれば、現地(朝鮮半島)で起きる。何千人死んだとしても向こうで死ぬわけで、こちら(アメリカ)で死者は出ない」

 と言っていたらしい。
 なるほど。

 トランプ大統領の立場に立ってみれば、自国民が死なないことがわかっている戦争であるなら、始めることをためらう理由はそんなにない、ということなのかもしれない。

 もちろん、政治家によるこの種の発言は、はじめからブラフ(ハッタリ、脅し)を含んだものとして、割り引いて考えるべきなのあろうし、実際に戦争をするかどうかは別として、戦争の可能性を排除しない旨を明言しておくことが、外交上のアピールとして不可欠な手順なのですとかなんとか、過剰反応する素人の動揺っぷりに冷水を浴びせることが、そのスジの専門家の大切な仕事でもあるのだろう。

 その文脈からすれば、北朝鮮のミサイル実験とて、大きな意味では、ブラフに過ぎない。
 してみると、このお話は、はじめから最後まで茶番なのかもしれない。

 とはいえ、歴史の教えるところによれば、茶番劇が戦争を招いた事例はさほど珍しくない。

 「襟首をつかんでスゴんでみせてるだけで、どうせ本気でケンカをする気はないわけだ」
 「双方とも、引っ込みがつかなくなってイキってみせてるだけだわな」
 「まあ、アレだ。誰かが止めてくれるのを待ってるカタチだよ」

 という観察が、まったくその通りなのだとしても、状況が一触即発であることもまた事実ではあるわけで、とすれば、何かの拍子で一方の拳が相手のカラダのどこかに触れてしまったがさいご、乱闘が始まるであろうことも、無視できない可能性として考慮のうちに入れておかなければならない。

 私は、軍事情勢や軍事技術に明るい人間ではない。
 国際政治に精通しているわけでもない。
 ただ、金正恩氏の人物像と、トランプ氏の精神状態については、彼らが就任して以来、ずっと注意を払ってきたつもりでいる。

 その点から考えて、この2カ月ほどのやりとりに、なんだか非常にいやな感じを抱いている次第なのだ。

 以下、順を追って説明する。

 交通事故は、二人の下手くそが出会わないと起こらないと言われている。
 事故というものは、二人の稚拙な、ないしは不注意なドライバーが偶然同じ道の同じ場所を走っているからこそ発生するものであるわけで、道路を走るドライバーがヘタであっても愚かであっても、その下手くそが単独で下手くそである限りにおいて、典型的な自損事故はともかく、破滅的な事故はそうそう起こらない。

 これはおそらく国際政治においても同じことで、無茶なリーダーや、愚かな指導者が国を動かしているのだとしても、単独では戦争は起こらない。

 無思慮な政治家をトップに戴いている国の軍隊が、周辺国を刺激したり、威嚇しているのだとしても、周辺国の政治家がマトモな判断力を保持している限りにおいて、即座に戦争が勃発することはない。

 短期的に見れば、身勝手な軍事的挑発を繰り返す国は、周辺国から譲歩を引き出すことができる。
 というのも、軍事的な挑発や威嚇へのとりあえずの無難な対応は、外交上の譲歩以外に見つかりにくいものだからだ。

 とはいえ、あたりまえの話だが、国際社会からの孤立と引き換えに入手した暫定的な譲歩が、長い目で見て、利益をもたらすはずもないわけで、とすると、孤立した国家は、最終的には、振り上げた拳を降ろして平伏するか、でなければ、さらなる挑発を繰り返しつつチキンレースを続行する以外に、有効な選択肢を喪失するに至る。

 この段階で、その狂った軍事独裁国家による一方的な威嚇に対して、周辺国がどのように対処するべきであるのかについては、いつも議論が分かれる。

 当面の平和を維持しつつ、軍事独裁国家の沈静化あるいは緩やかな自滅を待つシナリオを推奨する人々もいれば、ナチス・ドイツへの初期の宥和政策が失敗であったことの教訓を言い立てて、あくまでも、強硬な封じ込めを主張する人々もいる。

 とはいえ、外交という枠組みで考えれば、制裁を課すにしても、話し合いに持ち込むにしても、周辺諸国がいきなり極端な結論に飛びつくことは考えにくい。なんとなれば、戦争は、すべてのメンバーにとって破滅的な過程を含む解決だからだ。

 しかしながら、直接の紛争と遠い位置にいる第三国が介入するケースについては、戦争回避は、絶対の前提ではなくなる。

 このことは、先に引用した

 「戦争が起きるとすれば、現地で起きる。何千人死んだとしても向こうで死ぬわけで、こちらで死者は出ない」

 というトランプ大統領のセリフが、これ以上ない雄弁さで物語っているところのものでもある。

 つまるところ、リスクを負っていない者にとって、戦争は絶対に避けなければならない手段ではないのであって、考えてみれば、前の大戦が終わってからこっちの70年間ほど、アメリカが関わってきた戦争は、どれもこれも、自国とは遠くはなれた場所で起こる、遠い日の花火みたいな物語だったのかもしれないわけだ。

 だからって、いくらなんでも戦争は起こらないだろうと考える人が大多数であろうことはわかっている。
 私自身も、八割方大丈夫だとは思っている。

 でも、残りの二割のところで、どうしても不安に思う気持ちを拭いきれないのは、トランプ大統領の精神状態が戦争に向かっているように思えるからだ。

 この半月ほどの間に、トランプ大統領の足場は急速に危うくなっている。
 まず先月末、目玉政策のひとつである、オバマケア廃止法案が上院で否決された。
 この法案否決は、上院で過半数を維持している共和党議員から造反者が出たことの結果であるだけに、ダメージは大きい。

 政権内では、スパイサー報道官とプリーバス首席補佐官が辞任し、その彼らの反対を押し切って起用したスカラムッチ広報部長までもが就任10日で辞任に追い込まれている。10日で3人。ガバナンスは崩壊寸前と言って良い。

 トランプ大統領の北朝鮮に対する挑発的な発言は、この状況で発された言葉だけに、余計に薄気味が悪い。
 トランプはヤケを起こすのではなかろうか。
 そう思うと、先の発言はさらにイヤな響きを帯びる。

 もっとも、リーダーがイカれているのだとしても、それだけでは戦争は起こらない。
 常識的に考えれば、世論がそのイカれたリーダーのイカれた政策を支持しない限り、国が戦争に踏み出すことはない。
 その意味では、仮にトランプ氏個人が個人的にヤケを起こしたのだとしても、だからといって、ただちにアメリカが北朝鮮に対して先制攻撃を発動する事態は考えにくい。

 ただ、こんなことを言うと、迷信深いと思われるかもしれないのだが、私は、リーダーの精神状態と国民の世論は、どこか深いところで連動するものだと考えている。
 つまり、リーダーが情緒不安定に陥ると、それに呼応して、国民の中にも平静を失う人間が大量発生するということだ。

 国民世論の中にある「気分」がそれにふさわしいリーダーを選ぶなりゆきと、リーダーが醸している「気分」が国民世論を誘導する流れの間には、神秘的な相互作用が介在している。ニワトリが先なのかタマゴが先なのかはともかくとして、両者は連動しつつ互いを鼓舞し、最終的に行き着く先に行き着くことになっている。

 長い間サッカーを見ているファンは、サッカーチームが、戦術やシステムとは別に、監督の「パーソナリティー」や「気分」を体現する瞬間に何度も立ち会うことになる。

 3-4-3と4-4-2がどうだとか、ポゼッションサッカーとリアクションサッカーがどうしたとか、そういう理屈や戦術とは別なところで、チームは、最終的に、監督の短気さや、ユーモアや、慎み深さや、体調を反映した動き方を獲得する。時にはリーダーがかかえている家庭の問題や、他チームからのオファーの噂が選手たちの走りっぷりに影響する。

 というよりも、戦術以上のものを表現するのが優秀なチームというものなのであって、その「戦術以上のもの」とは、究極的には、監督個人の人格そのものに帰着せざるを得ないのだ。

 で、このお話を通じて私が何を言おうとしているのかというと、チームがリーダーの個性を反映する傾向は、学校のクラスとか、会社とか、人間の組織には付き物で、国についてもある程度同じだということだ。つまり、一国の指導者の基本的なマナーは、その国の国民の当面の国民性として表現されることになるということなのだ。

 いつだったか、メリル・ストリープという女優さんが、

 「特権や権力、抵抗する力のすべてにおいて、自分が勝っている相手です。これを観たときに私の心は少し砕けてしまって、いまだに頭の中から追い出せない。映画の場面じゃなかったので。現実だったので。そしてこの、人に恥をかかせてやろうというこの本能を、発言力のある権力者が形にしてしまうと、それは全員の生活に浸透してしまいます。というのも、こういうことをしていいんだと、ある意味でほかの人にも許可を与えてしまうので。他人への侮辱は、さらなる侮辱を呼びます。暴力は暴力を扇動します。そして権力者が立場を利用して他人をいたぶると、それは私たち全員の敗北です」(引用元はこちら

 というスピーチをしたことがあった。
 で、実際に、アメリカでは、トランプ大統領の就任以来、ヘイトクライムが目に見えて増えている。
 これは、大変に示唆的な話だと思う。

 似た話はわが国にもある。

 以下のリンクは、兵庫県の私立名門校灘中学校・高校の校長が、同校で採用する歴史教科書をめぐって、現場に押し寄せた有形無形の「圧力」や「抗議」について書き記した文章だが、この場面で同校の事務局に寄せられた「国民世論」は、みごとなばかりに「政権」の個性を先読みしたカタチで噴出している(こちらから。リンク先はPDF)。

 私は、政権が抗議運動を主導しているというストーリーの話をしているのではない。
 そんなことをするまでもなく、権力のトップにある人間たちが抱いている「気分」を体現する世論は、おのずと形成される。

 これを「忖度」と呼ぶのか、「お先棒」と呼ぶのかは一概には言えない。
 むしろ、そうした漠たる世論を代表する実体として政権が樹立されたというふうに考えれば、これはこれで民主主義のあるべき姿だということもできる。

 トランプ大統領は、このあたりで何か一発派手な花火を上げる必要性を感じ始めているかもしれない。

 彼を支持するアメリカ人の中にも、その華々しく心躍る未知への冒険を待望する気持ちが醸されている可能性がある。

 ただ、われわれは、当事者だ。
 私たちは、花火の見物席に座っている人間たちではない。どちらかといえば、打ち上げ花火の落下の現場に近い場所で暮らしている。

 とすれば、トランプ氏に、ひとまず平常心を取り戻してもらうのが、われわれにとっての当面の最善手ということになる。
 うちの国のリーダーが、二人のイカれつつあるリーダーの仲介役をつとめられれば素晴らしい。

 あるいは雨天中止を祈る。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

「話さなくても雰囲気で、この記者は朝日、この人は日経、と分かるよ」
と、ある企業のトップの方が言ってました。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

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