もう何年にもわたり、「企業のマーケティング活動は、より複雑化、高度化するため、CMO(最高マーケティング責任者)の存在が重要になる」と語られてきた。米国のどの企業にもCMOが必ずといっていいほど存在しており、マーケティングの全権を掌握して、最新のテクノロジーや方法論を駆使しながらマーケティング活動を牽引しているというイメージが強い。
これは日本でも、ある種の理想形として考えられている。CMOを置く企業も年々増えてきている印象だ。
少し前のデータになるが、ガートナー ジャパンが2016年1月25日に発表した調査結果によれば、「日本企業においてCMOもしくはそれに相当する役員を社内に有する企業の割合は、2015年11月時点で39.9%となり、2014年調査の29.8%から大幅に増加している」という。
だが現在の米国では、CMOは“Endangered”、つまり「存続が危ぶまれる」存在だといわれている。これには二つの意味がある、一つはデジタルを上手く武器として使いこなせていないCMOが、今後淘汰されていくという意味だ。
かつて米国企業のCMOの役割は、広告・宣伝が中心だった。主に企業の広告・宣伝活動の責任者に、より広くそして強い権限を与える形で成立していた。だが現在は、それでは厳しくなっている。
企業のマーケティング活動に、デジタルが様々な形で入り込むようになったことで、様々なデータを駆使するよう求められているからだ。広告・宣伝活動だけではなく、幅広い領域で多様な手段によってリアルタイムに変化するビジネス環境に相対する必要に迫られている。
かつて主戦場としていた広告・宣伝の領域でさえも、デジタルを武器にしないことには、十分な効果が得られない。つまり、自らをデジタルに対応させきれずに、旧来の手法にとらわれているCMOは、その存在価値を問われているといっていいだろう。
だが、デジタル時代のCMOになるための道は険しい。それはデジタルによって、企業のマーケティング活動が、より広範囲にわたりそしてより複雑化してきたことが背景にある。これがCMOの「存続が危ぶまれる」もう一つの意味だ。
もはや企業のマーケティング業務は、CMO一人の手では掌握しきれない状況になっている。そのため、かつてはCMOが一人で担当していた領域を、複数の責任者で担当するケースも多くなっている。