東京都の豊洲市場から環境基準値の最大79倍の汚染物質が検出された問題で、都は1月30日に地下水の再調査を開始した。

 「なぜだろう。私たち専門家も戸惑っている」──。これは、1月14日に開催された「豊洲新市場予定地における土壌汚染対策等に関する専門家会議」で座長の平田健正氏が発した言葉だ。会議で示されたのは、豊洲市場敷地内の地下水モニタリング調査の9回目の結果である。調査地点201箇所のうちの72箇所という広い範囲で環境基準値を超えるベンゼンやヒ素、シアンが検出されたのだ。ベンゼンは基準値の最大79倍と、これまでの結果と比べて濃度が急上昇した。

 通常、土壌汚染対策を実施した土地では、汚染物質の濃度は小幅に上下しながら次第に落ち着いていく。前回の8回目のモニタリング調査では、3箇所で基準値をわずかに超えるベンゼンとヒ素が検出されたが、これは想定の範囲内と言えた。今回の結果は、会議に出席した専門家の想定を大きく超えていた。

東京都が開催した専門家会議の様子
東京都が開催した専門家会議の様子

 専門家会議では、基準値を超えた地下水の健康リスクについて、「地下水の飲用その他の利用は予定されていないため問題は生じない」としている。もちろんこれは、これまでの調査結果が、科学的かつ技術的根拠に基づいていることが前提となっている。濃度が急上昇した第9回目の調査結果では、この前提が揺らぐ事態となった。

 移転延期を発表した東京都の小池百合子知事は、専門家会議の2日前に築地市場を視察し、施設の老朽化について指摘するなど、移転の必要性を匂わす発言をしていた。しかし、今回の調査結果で思惑に水を差された格好となった。

 都は、3月中に再調査の結果を公表したい考えを示している。もし、原因究明に時間がかかれば、移転の判断はさらに遅れることになる。移転の時期が後ろに延びるほど市場関係者への補償費は増大し、都の財政を圧迫しかねない。早期の原因究明が求められる。

豊洲市場への移転を巡る経緯と今後の予定
豊洲市場への移転を巡る経緯と今後の予定
[画像のクリックで拡大表示]

人為的な誤差はわずか

 なぜ、広範囲かつ高濃度の汚染が検出されたのか。2つの可能性が考えられる。1つは、地下水の採取・保管・分析工程で人為的な作業が影響した可能性だ。もう1つは、地下に土壌汚染が残っていて、地下水を排水する「地下水管理システム」が稼働したことで汚染が出てきた可能性である。日経エコロジーが、土壌汚染に詳しい専門家らに取材した結果、後者の影響が大きそうなことが分かった。

 地下水モニタリング調査では、地下水を採取し、保管し、分析するという工程を経る。都の調査では、1~3回目、4~8回目、9回目で採水と分析の調査会社を変えている。調査会社や作業員によって測定値が変わる可能性はあるのだろうか。

 それぞれの工程の作業方法や手順は、環境省が「土壌汚染対策法に基づく調査及び措置に関するガイドライン」を定めており、人為的な誤差は生じないようにしている。環境大臣または都道府県知事が指定した「指定調査機関」が、環境省が実施する国家試験に合格した技術管理者の下で作業することになっている。

地下水管理システムの概要(出所=専門家会議の資料を基に作成)
地下水管理システムの概要(出所=専門家会議の資料を基に作成)

 とはいえ、作業員がどこまで厳密に調査するかは、委託先に任されている。ある指定調査機関の社長は、「水を採水器で採取するのかポンプを使うのか、水を容器に入れる際に空気の隙間がなく密閉しているか、分析装置の校正をどこまで厳密にするかなど、作業員によって測定値が変わる可能性はある」と話す。

 ただし、今回取材した専門家は、「人為的な誤差は出てもせいぜい数倍で、今回のように環境基準値79倍もの汚染が誤差として出ることはない」という見解で一致している。もう1つの可能性である「地下水管理システム」の影響はどうか。

 地下水管理システムは、地下の水位を一定に保つために設置された設備で、地下水が上昇したときにポンプで水を抜く「揚水井戸」、抜いた水を浄化して排出する「浄化施設」、水位を観測する「地下水位観測井戸」を備える。システムが24時間稼働を始めたのは昨年10月14日で、9回目の採取はその後の11月24日と30日に実施された。

残っていた汚染が出たか

 観測用の井戸は筒状で、スクリーン(網)を通して土壌中の水が浸み込んでくる構造になっている。地下水管理システムが水を汲み上げると、地中の水が井戸に向かって移動する。水に溶けた状態で残っていた汚染物質が井戸に吸い寄せられ、あちこちの井戸で検出された可能性が高い。基準値79倍のベンゼンは、土壌汚染対策で取り切れていなかった汚染とみられる。

 地下水管理システムを稼働し続ければ、土壌中に残る汚染は浄化されていく方向に向かう。ただし、どの程度の汚染があり、完全に浄化されるのがいつになるかは不透明である。今回明らかになったのは、取り切れなかった汚染がまだ残っている可能性が高く、地下水管理システムによってそれが徐々に浄化されていくということだ。こうした事実を市場関係者や消費者がどう受け入れるかが、移転を判断する際の1つの焦点となるだろう。

 日経エコロジーでは、土壌汚染に詳しい専門家2人に、今回の調査結果に対する見方を聞いた。
 まず、富山大学大学院地球生命環境科学教授の丸茂克美氏のインタビューを紹介する。

富山大学大学院 地球生命環境科学教授<br />丸茂 克美氏
富山大学大学院 地球生命環境科学教授
丸茂 克美氏

第2、第3の汚染が見つかる可能性ある

今回の調査で汚染濃度が急上昇した原因は。

丸茂:環境基準値の79倍ものベンゼンが検出されたのは、土壌中に汚染が残っていたからと考えるのが合理的だ。土壌汚染対策工事の際に見逃したと考えられる。帯水層の底、すなわち不透水層の直上にタール状になったベンゼンが残っていたのでないか。あるいは軽い油成分と一緒に帯水層の上部に残っていた可能性もある。地下水管理システムの稼働で帯水層の水が動いたことで汚染が移動し、検出されたのだろう。

 問題は第2、第3の汚染箇所が存在し得ること。対策工事の際に土壌汚染対策法(土対法)のガイドライン通りに調査しなかった可能性がある。ガイドラインでは帯水層の表面から深さ1m、2m…と土を取り、帯水層の底の土も調べなければならない。しかし底の土を取らず、沈んだタールを見逃したのでないか。ガイドラインにも問題がある。モニタリングでは観測井戸の深さ中央の1点でのみ採水すればよい。これでは汚染の実態を正確に把握できない。

今後、東京都が採るべき対策は。

丸茂:提案したいのは、モニタリング方法の変更だ。まず豊洲市場の全観測井戸で深さ方向に複数箇所で採水し、人為的な分析誤差が出ないよう「現場分析」をすることだ。その上で高い汚染が検出された箇所だけ、地下水管理システムによる水の移動で汚染物質がどのように移動するか数日間調べ、全体像を把握すべきだ。全体を500万円程度でできる。現状のモニタリング方法では本質的な解明にはつながらない。

 東京都の選択肢は2つある。もし汚染の規模が軽微なら、地下水管理システムで徐々に浄化されることを市場関係者に説明し納得してもらう。しかし汚染が一定以上なら、お金をかけて再度除去するか移転をやめるかだ。土壌中に高濃度のベンゼンが残っていれば揮発して地下空間に出るため排気を続ける必要がある。築地ブランドを損ねてまで移転するメリットはない。汚染状況を解明し、対策を練るまで豊洲市場は開くべきではない。今回、土対法が現状に即さない問題も見えてきた。豊洲は土対法にも一石を投じた。

 続いて、横浜国立大学名誉教授の浦野紘平氏の話をお聞きいただこう。

横浜国立大学名誉教授<br />浦野 紘平氏
横浜国立大学名誉教授
浦野 紘平氏

豊洲以外の代替地を議論せよ

濃度急が上昇し、汚染が広範囲に出た原因は。

浦野:環境基準値を超える汚染物質が広範囲に検出されたのは、地下水管理システムの稼働が影響したと考えられる。地中に残っていた汚染物質が井戸に移動し、汚染物質が広範囲に検出された可能性が高い。

 地下水を採取・保管・分析する際の過程が、測定結果に影響を与えた可能性もなくはない。例えば、井戸から水を採取する際、たまり水を採水しないように、観測井戸の水を出してから本来の地下水を採取する。環境省は、こうしたルールを規定したガイドラインを公開しているが、どこまで厳密に調査したかによって、測定誤差は出る。過去の調査の厳密な検証や再現は難しいだろう。

 ただし、環境基準値79倍ものベンゼンが、作業の違いによって生じたとは考えにくい。ベンゼンは揮発性物質のため、雑に扱えば濃度は低く出る。豊洲市場内には201本の観測用井戸があるが、過去のすべての調査で、人為的な要因によって検出値が小さく出たとは考えにくい。つまり、汚染は取り切れておらず、残っていたものが出たと考えるのが妥当である。

移転の可否にどのような影響が出そうか。

浦野:地下水管理システムを稼働させ続ければ、汚染はなくなる方向に向かうだろう。ただし、汚染が完全になくなるのが、何年後になるのかは分からない。今すぐ再調査しても今回と似た結果が出る可能性が高い。

 環境基準値を超えた水を飲んだり使ったりするわけではないので、健康リスクはない。しかし、人間は科学的な評価だけで物事を判断しない。どこまでリスクを受け入れられるかという「リスク認知」も重要で、リスク認知は主観的な感情に左右される。

 今回の調査によって、汚染物質はまだ土壌に残っており、汚染状態の把握も難しいことが明らかになった。こうした土地で食品を扱うことに対する市場関係者や消費者の不安は、ますます大きくなったのではないか。豊洲以外の代替地探しの議論を本格化させるべきだ。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中