【前回のあらすじ】

松下電器産業 シニアフェローの櫛木好明氏

 P901iTVの開発でバグが続出したのは,チップの検証不足が原因だった。携帯電話機の基本機能だけなら動くが,ワンセグなど他の機能を同時に動かすと,途端にバグが出る。動作状況に応じて回路の電源を頻繁に制御する携帯電話機では,ただでさえ輻輳ふくそう動作が多い。そこに新規のワンセグ機能を統合したので,システムの動作はさらに複雑になった。デジタル・テレビの開発を源流とするUniPhierの技術者たちは,テレビ機能の検証には経験があったが,携帯電話機特有の複雑なユース・ケースまではカバーしきれなかったのである。

「SoCシミュレータ」を導入

 さらに,チップを試作してからソフトウエア開発に着手するという手法にも問題があった。ハードウエアに起因するバグが出るたびにチップを作り直したので,その後のソフトウエア開発が後手に回ってしまったのだ。

 P901iTVは,性能面でも課題を残した。それを象徴する事件が,開発終盤の2005年秋に起きている。プリインストールするJavaのゲームで動作の遅さが問題になり,コンテンツ会社が「こんな端末にはウチのゲームを載せられない」と言いだしたのだ。その後,コンテンツ会社の協力によって事なきを得たものの,性能不足の問題は残ったままだった。「P901iTVではワンセグ機能を実現するのがやっとで,携帯電話機の基本性能までは十分に手が回らなかった」(行武)。

 こうした多くの反省を踏まえ,行武らは後継機P903iの開発で巻き返しを図る。携帯電話機の基本性能にメスを入れるとともに,開発効率を徹底的に高めることを狙った。特に開発効率に大きな効果を発揮したのが,「SoCシミュレータ」である。LSIと同じ動作をするSoCシミュレータを使えば,チップを試作する前にハードウエアを制御するデバイス・ドライバなどのソフトウエアを開発できるので,開発期間を大幅に短縮できる。

 SoCシミュレータの開発が始まったのは,P901iTVの開発が最もバタバタしていた2005年初旬だった。新しい開発環境を立ち上げている余裕などなかったが,行武らはあえて遠回りとも思えるSoCシミュレータの開発に取り組んだ。行武は,同時にP903iの技術検討にも着手していたため,「一連の開発を通じて,このころが最も苦しかった」と振り返る。

 苦心の末にSoCシミュレータを完成させたものの,新しいツールを技術者たちが使ってくれるかどうかが問題だった。「よくあるのが,こうしたツールを作るだけで実際には使わないというパターン」(行武)。開発したばかりのツールはバグが多く,利用する技術者にとってはソフトウエアを開発しているのか,ツールのバグ取りをさせられているのか分からなくなるからだ。そこで,行武らは一計を案じた。デバイス・ドライバを扱うソフトウエア技術者をハードウエア技術者と同じチームに配属して,半ば強制的にSoCシミュレータを使わせる作戦を取ったのだ。

 効果はてきめんだった。シミュレータには当初いくつかバグがあったものの,ソフトウエアの開発を先行させるのに十分な威力を発揮した。2005年12月初旬にP903i向けのSoC「UniPhier 3M」の試作品が完成すると,その2週間後のクリスマスには携帯電話機の待ち受け画面を表示するところまでソフトウエア開発を進めることができた。チップの試作品が完成してからソフトウエア開発に着手すると,通常は待ち受け画面の表示までに3カ月ほどかかる。この部分だけを考えても開発期間を2カ月半短縮したことになる。待ち受け画面が出た時には,その写真がメールで松下電器中に回るほど社内でも評判になった。

「社員は買ってはならない」