老いること、ケアすることの意味が問われている(写真:ロイター/アフロ)
老いること、ケアすることの意味が問われている(写真:ロイター/アフロ)

 2013年、認知症で入院していた男性(95歳)が、車いすに乗って一人でトイレに行き転倒。頭を打ち、全身まひの障害を負い、寝たきりの状態となった。

 男性の親族が病院側に約3890万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は10月17日、約2770万円の支払いを命じた。小野寺優子裁判長は判決理由で、「男性は歩く際にふらつきが見られ、転倒する危険性は予測できた」と指摘。その上で、「速やかに介助できるよう見守る義務を怠った」と述べた、と報じられている。

 この判決を聞き、複雑な心境になった人は多いのではないか。少なくとも私はそうだった。
 もし、自分の親が同じ状況になったら、「なぜ? なんで一人でトイレに行かせた?」と、病院側を責めたくなるに違いない。

 が、その一方で、こういった判決が、ますます病院や介護施設にいる高齢者の行動を拘束することになってしまうのでは?、と心配になる。

 高齢者施設にご夫婦で入所している知人(90歳)が、「夫は入所時に手すりを伝い歩きすれば歩ける状態だった。しかし、この施設では至るところに監視カメラが設置されていて、伝い歩きしていたら『危ないから歩くのをやめてください!』と警告され、瞬く間に歩けなくなった。そしたらケアマネジャーさんに『これで楽になりますね』と言われた。悪気はなかったんだと思うが、本音がポロっと出てしまったんでしょう。施設がいちばんこわいのは事故が起こって、訴訟問題や新聞沙汰になることだから寝たきりのほうが、施設側には楽なんだと思う」と、教えてくれたことがある。

 また、入所時に車いすだった知人の母親は、看護師呼び出しのスイッチを押し忘れて立ち上がったことを契機に、「転倒でもされたら困る」とオムツにさせられた。

 高齢者は1日寝ていると、それだけで老いる。私自身、父が入院一週間であっという間に老いたときはショックだった。
 小さくなった親の背中や、細くなった腕や足……、それを見た時の切なさといったら半端ではない。

 施設側が事故をおそれるあまり、行動を拘束されてしまうという、悲しく、切なく、いたたまれないリアルが幾多も存在しているのだ。

 熊本の事例と似たような判決は過去にもある。介護施設で認知症の女性(当時79歳)が夜勤の介護士が気づかないうちに転倒し、左大腿骨転子部を骨折。裁判では207万円の賠償請求が認められている(12年3月28日東京地裁)。報告書を見る限り、この施設では高齢者の人権とご家族の思いをかなり汲み入れたケアを施していた末の「不幸な結果」だったことがわかる。

 女性のベッド付近にはポータブルトイレが置かれていたが、女性は介護施設のトイレを利用することが多かった。「事故」が起きた当日、女性のベッド近くに複数の男性入所者が就寝しため、ポータブルトイレを置かなかった。おそらく施設側は「いつも施設内のトイレを使っているから大丈夫だろう」と考えたのだろう。

 深夜に女性が車いすでトイレに行くときにも、介護士は付き添った。女性は自力でトイレブース内の手すりを使って便座に移動し、排尿。このあと、女性から「転んじゃった」と言われ、介護士は転倒の事実を知ったという。

 どんなに看護師さんや介護士さんが一所懸命やっていても、不幸にも事故が起きてしまうことはある。どんなに「トイレに行くときは声をかけてください」と伝えていても、頭より体がフライングし、気づいて「あっ!」と声をかけたときには……、ということは、日常的に高齢者と接している人は経験したことがあるのではないか。少なくとも私は施設を訪問するたびに何度も目撃したし、自分の親にも同様のことが起こり、冷やっとした経験がある。

認知症の患者の3割は身体拘束されたことがある

 いったい「見守りの義務」とはどこまでのことを言うのか? 確かに転倒による事故は不幸な出来事ではある。だが、「事故=施設の責任」という空気が社会に熟成されてしまうと、施設側は予防線を張らざるをえない。
 高齢者の自由に歩く権利、自由に動く権利は奪われ、最悪の場合、事故防止策という名目で、「身体的拘束」が正当化される。

 冒頭の判決の報道でこんなことを懸念していた折も折、これまでほとんど明かされていなかった一般病院での「拘束の実態」が、東京都医学総合研究所と国立がん研究センターの研究チームの分析で明らかになった。
 なんと「認知症患者の3割は身体拘束されたことがある」とされ、拘束の主たる理由は「事故防止」だったことがわかったのである。

 調査は、17年、全国の一般病院を3466施設(ICUや精神科病院は除外)を対象に行なったもので、認知症かその疑いがある入院患者2万3539人のうち、28%にあたる6579人が、拘束帯やひもなどを使った身体的拘束を受けていたのだ。

具体的には、

  • 「車いすに拘束帯などで固定」13%
  • 「点滴チューブなどを抜かないよう(物をつかみにくい)ミトン型の手袋をつける」11%
  • 「ベッドからの転落防止で患者の胴や手足を縛る」7%
  • 「チューブを抜かないよう手足を縛る」5%
  • 「 徘徊防止で胴や手足を縛る」4%

 身体拘束は本来、意識が混乱した患者の生命や安全を守ることが目的で行われるものだが、研究チームは、
 「看護師らの人手が不足している上、安全管理の徹底を求める入院患者の家族などに配慮し、事故防止を最優先する意識が働く。その結果、他の対策を検討することなく、拘束を行いがち」 と考察。

 その上で、「認知症の高齢者は、身体拘束を受けると、症状が進んだり筋力が低下したりしやすい。不必要な拘束を減らす取り組みが求められる」と指摘している。

 改めて言うまでもなく、日本の高齢化は世界で最も急ピッチで進んでいる。

 65歳以上の高齢者の約7人に1人が認知症で(2012年)、25年には約5人に1人になるとの推計もある(「平成29年版高齢社会白書」)。

 しかしながら、その対策は遅く「日本の認知症対策は後進国」と指摘する専門家は多い。

 例えば、日本で認知症対策が国家戦略として明確に位置づけられたのは、15年の「新オレンジプラン」だが、フランスの「プラン・アルツハイマー」や米国の「国家アルツハイマープロジェクト法」は、日本の10年以上前に進められている。

 ……というかそれ以前に、「新オレンジプラン」って何?、ってことだが、これは“病院ではなく、住み慣れた家や地域で暮らし続けることができる社会”を目標としたもので、「新」とつけているのは、「安倍首相」マターだからだ。

 つまり、12年に全く同じ内容の「オレンジプラン(認知症施策推進5カ年計画)」が打ち出され、13~17年度の5カ年計画で進められていた。

 ところが、14年11月に東京で認知症の国際会議が開かれ、安倍首相は「初めての国家戦略として認知症施策をつくる」と宣言。そこで急きょ、「オレンジ」は「新オレンジ」に、「5カ年計画」は「総合戦略」に変更されたのだ。

 と少々脱線してしまったが、日本が認知症対策の後進国と呼ばれる所以のひとつに、「身体拘束」も含まれているのである。

 ここに一冊の手引きがある。
 タイトルは「身体拘束ゼロへの手引き〜高齢者ケアにかかわるすべての人に〜」というもので、厚生労働省の「身体拘束ゼロ作戦推進会議」が、01年3月に作成した。00年4月の介護保険法施行実施前年に、当時の厚生省より介護保険施設における「身体拘束 の禁止」の省令が出されたことに付随するものだ。

 内容は若干、精神論のような部分もあるが、推進会議のメンバーの熱い思いが伝わる温かい手引きとなっている。ただ、残念なのは「関係者は医療関係者のみ」という視点で書かれている点だ。つまり、「現場だけ」に押し付ける内容で、「これじゃあ、ゼロにはならん。むしろ増えるだけ」というのが、率直な感想である。

 そこで、手引きの中で「ここだよこれ! これを全国民に徹底的に教育せよ!」という、極めて重要な部分があるので紹介する。

エヴァンス博士らによる論文「老人抑制の神話」

 「身体拘束が問題となっているのは日本だけではない」という文言で始まる文章には、欧米で激減するきっかけとなった1本の論文が紹介されている。

 これは米ペンシルバニア大学のエヴァンス博士らによる「老人抑制の神話(Myths about elder restraint)」(1990)で、「老人は転倒しやすく、転倒すると大きなけがになってしまうので、拘束するべきである」という一般的な神話に反証。先行研究などをレビューすることで介護を考える基礎となる極めて大切な知見を世界に知らしめた貴重な論文である。

 具体的には神話を5つに分類し、各々次のように反証している。

神話1「老人は転倒しやすく転倒すると大きな怪我になってしまうので拘束すべきである」

  • 拘束が効果的という科学的な裏付けは全くない。
  • 「拘束が効果的」と教育されるから、拘束という行為に直結するのであって、拘束しない方法を教育されているスコットランドには拘束がない。

神話2「傷害から患者を守るのは看護者の道徳的な義務である」

  • 拘束によって生じる弊害の方が大きい。
  • 弊害が大きいと知りながら拘束する、という看護者の道徳とはなんであろうか?

神話3「拘束をしないと、転倒などでけがをしたときには看護者や施設の法的責任問題になる」

  • 拘束を行なったことによって生じた医療事故も存在する。

神話4「拘束しても老人にはそんなに苦痛ではない」

  • 「私は自分が犬になったように感じ、夜中中泣き明かした。病院は牢獄よりひどいところ」(エヴァンス博士が行なったインタビュー調査より)。

神話5「拘束しなければいけないのは、スタッフが不足しているからである」

  • スコットランドの看護者の人員配置は米国と同じだが、米国と比較して拘束の割合が低い。
  • ケアスタッフを増やすことなく拘束を減らした事例も多くの文献で示されている。
  • 拘束された患者の方の場合、観察時間が増え、結果的に看護の必要度が増し、費用が増加したとする研究結果もある。
  • 以上からスタッフが足りないから拘束をすると、逆に人員不足に拍車をかけることになる。

 手引きで紹介されているのはここまでだが、エヴァンス博士らは97年に、上記の反証の妥当性を検証する実証実験も行なっている。

 「拘束に関する教育を行った群(教育群)」「教育に加え相談に対応した群(教育+相談群)」「コントロール群(何も行わない群)」を無作為に割り付け、比較を行ったのだ。

拘束は病院や施設の問題でなく、みんなの問題

 その結果、拘束率は、「コントロール群」では40%台で変化がなかったのに対し、「教育+相談群」は32%から14%に低下。さらに、 介入後の転倒率は、「コントロール群」でむしろ高く、重大事故は「教育+相談群」では生じなかった。

 「老人は転倒しやすく転倒すると大きな怪我になってしまうので拘束すべき」という一般的な理解が、神話に過ぎなかったことが実証されたのである。

 繰り返すが、私は「見守りが必要ない」と言っているわけではない。しかしながら、問題の解決には、それに関わるすべての人たちが、物事の本質を理解し、知識を共有し、健康へのリテラシーを高めることは極めて重要である。

 そして、そういった知見と教育が、医療現場だけでなく全国民に「これでもか!」というくらいなされる社会になれば、もう少しだけ看護や介護の現場に人間的なぬくもりが灯るのではないか。

 事故はいかなる場合も起こるし、転倒事故は高齢者や施設だけに限ったことではないというコンセンサスを社会が受け入れられるようになれば、認知症の高齢者が地域で普通に暮らせる社会にも通じるように思う。

 誰にだって親がいるし、誰だって老いる。高齢者の腕や身体は想像以上に小さく、薄く、弱く、高齢者の息遣いは想像以上に、切ない……。

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