(ロイター/アフロ)
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 11年以上前の2007年2月。パリ近郊、ギアンクール(イヴリーヌ県)にあるルノーの技術研究所「テクノセンター」で、4カ月間に3人が相次いで自殺し、事態を重く見た検察当局が捜査に乗り出したと、フランスの複数のメディアが報じたことがあった。

●06年10月、39歳のエンジニアが建物の5階から飛び降り自殺したところを、数名が目撃。
●07年1月、同センター近くの池で、44歳のエンジニアの遺体が発見され、地元警察が自殺と判断。
●その3週間後には、38歳の従業員が「会社が求める仕事のペースに耐えられない」という遺書を残して自宅で縊死。

 立て続けに起きた従業員の自殺に、同社の従業員約500名が敷地内を沈黙しながら歩くというデモが行われた。当初、労働環境と自殺の関連性について否定的だったルノーも、「我々に多くの疑問が突きつけられ、また、各個人の責任について見直しを迫られている」 とコメントを表明したのだ。

 実はこの時のトップこそが、「ミスター コストカッター」。連日連夜、有価証券報告書への虚偽記載容疑などがメディアで報じられている、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏である。

 05年5月、ルノー本体のCEOに復帰したゴーン氏は2006年、4年間で26車種の新型車発売などを含む中期経営計画を発表した。日産で行ったような従業員のリストラはせず、営業利益率6%を達成するといった内容だったが、仏メディアは、この計画により開発期間は短縮され、労働環境は著しく厳しくなったと指摘した。

 日本では、日産で名を挙げたプロ経営者の手腕に注目が集まったが、批判を恐れずに言わせていただけば、そもそも計画なんて見た目のいい「数字」を並べただけの紙っぺらだ。「働いているのは人である」という当たり前をないがしろにし、目標達成への“しわ寄せ”が「弱い立場」の人たちに襲いかかるような計画を現場に強要する経営者を、私は「プロ」と認める気にはならない。

 実際、新型車開発を焦る経営陣は開発チームに猛烈なプレッシャーをかけたと報じられている。仏メディアによれば、夫を失った妻は「毎晩、書類を自宅に持ち帰り、夜中も仕事をしていた」とサービス残業が常態化していたと告発し、裁判所も「従業員を保護するために必要な措置をとっておらず、弁解の余地のない過失がある」と、企業の責任を認定したという。

 当時フランスでは、1990年代に左派政権によって導入された「週35時間労働制」の負の側面が社会問題になっていたのだが、その“発火点”の1つがゴーン氏率いるルノーだったのである(この件については「「『人を傷つけずにいられない』組織的パワハラ」でも詳しく書いているのでご参照ください)。

 本来、「週35時間労働制」は雇用を増やし、生活の質を高めるためのものだった。しかし、人を増やさず、業務量はそのままで労働時間だけを減らし、労働者に過重な負担をさせる例が目立つようになっていた。

 冒頭で紹介したルノーの従業員の相次ぐ自殺は、そういった状況下で起こった。この一件で、「ゴーンはKAROUSHI という経営手法を日本から持ち帰ったのか!」と、世間から猛烈な批判を浴びた一方で、問題発覚後、即座に工場の体制を見直して人員を増やすなど職場改革に乗り出し、そのリーダーシップは一定の評価を得た。問題を沈静化させるために時間や手間を惜しまず、一気に進めたのだ。

ルノーの事業所で相次いだ、従業員の自殺

 ところが、当時と似た状況が、「業績好調」とされるルノーで再び起きていることがわかった。

 昨年、日刊紙ル・パリジャンと労働組合CGTが共同で同社のフランス国内4事業所を調べたところ、2013年以降、過労が原因とされる自殺者が10人、自殺未遂者が6人いたことが判明したのである。

 16年のクリスマスには女性従業員が工場内のトイレで、17年4月には40歳の男性が作業所で自殺を図った。後者の40代の男性は、上司数人の名前と「この人たちが私を殺した」という文章を記したプラカードを首に巻いていたこともわかった(関連記事はこちら)。

 さらに、16年11月23日、44歳の管理職の男性技術者が、職場で心臓発作で死亡したのは、過労による突然死(過労死)だった可能性が指摘されたのだ。男性は工場で生産された車のリコールの責任を問われ、解雇を言い渡されたのだが、その手続きの面談中に発作が起きたそうだ。

 この「2007年の悪夢」と似た従業員たちの不幸な死の引き金として組合側が指摘しているのが、ルノーが13年から実施している「経営合理化を目的とする競争力強化プラン」である。フランス国内の従業員を、このプランに基づき34000人から8000人削減。正社員を減らす一方で派遣労働者を増やした。

 フランス政府の調査チームは「仕事と自殺の因果関係を確認できない」と報告したが、組合側は「競争力強化プランにより従業員一人当たりの業務負担が増加し、労働環境が悪化。一連の自殺につながっている」と批判している。

“犠牲者”と引き換えに会社を守るのが「プロ」?

 ……何とも。

 日本では「ゴーン氏逮捕」との速報以来、連日、ゴーン氏の資産や報酬に関する報道が相次いでいるけれど、「コストカッター」とは何なのだろうか。

 改めて言うまでもなく、ゴーン氏は1999年に公表した「日産リバイバルプラン」により、同社の業績をV字回復させた実績ある経営者だ。連結ベースで2002年度までの1兆円のコスト削減、販売金融を除いた有利子負債の1兆4000億円から7000億円以下への圧縮、連結ベースでの売上高営業利益率 4.5%の達成などを目標に掲げ、その一環として、村山工場など車両組立工場3カ所、ユニット工場2カ所を閉鎖し、国内の年間生産能力を240万台から165万台へと削減。全世界でのグループ人員を2万1000人削減し、併せて、購買コストを20%圧縮するために下請企業を約半分に減らし、09年のリーマンショック後も、国内外のグループで2万人の従業員を削減した。

 瀕死状態だった日産を救ったゴーン氏の施策を、「日本人にはできなかったこと」と、神のように崇める人たちがたくさんいるけれど、一部の働く人に犠牲を払わせて、会社を守ることが「プロ経営者」として評価されることに大きな違和感を抱く。ある日突然、仕事を失い、存在価値を否定され、放り出される多くの人たちがいる。最悪の選択に至らないまでも、何人もの人たちが犠牲になった。それは、どんなに企業が再生しようとも、変わることのない事実である。

 結局のところ、「コストカット」による企業再生は、現場の犠牲の上に成立するという、やりきれないリアルが存在する。「プロ経営者」も、彼らを「プロ経営者と崇める人」も、そのリアルを一瞬でも思い浮かべたり、うしろめたい気持ちになったりすることはあるのだろうか。

 とにもかくにもここ最近の報道を聞いていると、犠牲になった人たちの存在が完全に無視されているようで、なんとも釈然としないのだ。

 というわけで、今回の事件の真相が明らかになっていない状況で書くべきかどうか迷ったが、やはり書きます。

 テーマは「コストカットの後始末」だ。

「はい。あのとき自主退職を迫られた一人です」

 700人近くもの会社員をインタビューしていると、「過去のニュース」の渦中にいた人たちが案外多くて、びっくりすることがある。その一例が、コストカットの一環として行われる「リストラ」の体験談。彼らは決まってインタビューの最後に、「実は私……」という具合に切り出した。その中の1人、3年前にインタビューした大手食品メーカーに勤務する52歳の男性の告白と、それに対する私見を述べるのでお読みください。

「僕、元〇〇社の社員だったんです。はい、そうです。あのとき自主退職を迫られた一人です。

 会社の状況がよくないことはわかっていましたけど、まさか自分がターゲットになるとは思いもしませんでした。僕たちが入社したときは会社が潰れるなんて考えたこともないし、ましてやリストラなんて言葉もなかったから、そりゃあショックでしたよ。

 でも、部署そのものがなくなるというのだから、仕方がないですよね。自分だけじゃないというのは、ある意味、救いだったように思います。

 ただね、人事部は結構、がんばってくれたんです。ホントに最後までがんばってくれてね。リストラした後の方が社内の空気が悪くて大変だった、という話も聞きました。

 部署の中から何人かはまとめて引き受けてくれる会社がありましたが、自分が再就職した会社に移ったのは僕だけです。小さな会社でしたけど、運が良かったんですね、きっと。とてもよくしてもらいました。しかもその後、今の会社に縁あって転職することになったし、人生何があるかわかりませんね。

 〇〇社のことは恨んでないですよ。むしろ僕が味わった悔しさを味わう社員が二度と出ないように、頑張ってほしいと思っています」

人生の「つじつま」が崩れ去るとき

 ……さて、文字にしたやり取りだけでは、うまく伝わらないかもしれない。だが、彼が淡々と紡いだ言葉の真意を、「プロ経営者」や「コストカッター」という言葉を肯定的に使う方たちはどう感じただろうか。

 人は常に経験を語りながら人生のシナリオ作りをするものだが、この男性を含め、私にリストラ経験を話してくれた人たちはいずれも、最終的に「人生のつじつま合わせ」に成功した人たちだった。

 人生の土台である仕事を奪われ、家族ともども絶望の淵に落とされ、それでも必死で乗り越え、困難を人生の糧にした「生きる力」の高い人たち。

 その作業は決して一筋縄ではなく、一つの大きな困難から派生する数多くのストレスに対し、「この出来事は自分にとって、どんな意味があるのか?」と、とことん考え、ときに丁寧に扱い、ときに“流す”ことで、対処しなければならない。

 くじけそうなときには「自分だけじゃないというのは、ある意味、救いだった」「運が良かった」と、他者との関係性や比較の中で自分を見るまなざしを大切に、歯を食いしばる。

 そして、やっと、ほんとにやっと、自分たちの犠牲が「大切にしてきた会社のためになるなら」と、自分がそこに存在した意味を見出すことにたどり着く。

 「あれは仕方がなかったこと」とありのままを受け入れ、長く勤めた会社を自分の「心の境界線」の外に出し、次なる「大切なもの」を求め一歩前に踏み出すことに成功したのだ。

 つまり、「会社のことは恨んでない」という穏やかな言葉は、「かつての会社との距離」ができたからこそ生まれた言葉。自分は自分の価値観を信じ、生きていこうという決意でもある。

 しかし、一旦心の外に出した以前の会社が再び「境界線」の内側に入り込み、苦しめられることがある。それがまさに今回の日産の事件のような出来事。耳を疑うような事実が、自分が必死に描いてきたシナリオを狂わせ、「つじつま」が崩れ去ってしまうのだ。

自分の存在を踏みにじられた悔しさ

 もしリストラが「私腹」をこやすためだったら? 
 クビを切られた自分たちが困窮した生活を強いられる一方で、「切った」人間が後ろめたいやり方で優雅な生活を手に入れていたとしたら? 

 自分の存在を踏みにじられた悔しさ。

 どこに怒りをぶつければいいのかわからない。やりきれない思いだけが募り、どうにかつじつまを合わせて封じ込めていたネガティブな感情が、一挙に噴き出す。

 そんな彼らの気持ちを、切られた人たちの人生を、リストラの旗を振ったトップは、一瞬でも想像したことがあるだろうか。

 そして、「つじつま合わせ」に失敗し、自分を見捨てた会社を「心の境界線」の外に出せず、苦しみ続けた人たちに気持ちを寄せたことはあるだろうか。

 日本の自殺者が急増し、初めて年間3万人を超えたのは1998年。その前年から北海道拓殖銀行、山一証券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行など金融機関の破綻が相次ぎ、企業の倒産件数も90年代で最悪を記録した年だった。

 98年には2万3000人だった自殺者の人数は、99年に3万2000人と一挙に35%も増加。1日当たり約90人が亡くなっていた計算になる。

 亡くなった方の中には中小企業の社長さんも多かった。だが、男性のように「今、言葉を紡ぐ」機会に恵まれないまま、命を絶った人も多かったのではないだろうか。

 リストラを伴うコストカットを行う経営者にとっての後始末とは何だろう? 犠牲になった社員の心の「つじつま」を“破綻”させるようなことは絶対にしない――というのは、最低限の責務のはずだ。

■変更履歴
2p目の本文中に「フランス国内の従業員を、このプランに基づき34000人から8000人に大幅に削減」とあったのは、正しくは「フランス国内の従業員を、このプランに基づき34000人から8000人削減」でした。お詫びして訂正いたします。本文は修正済みです 。[2018/12/4 11:00]

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