(写真=PIXTA)
(写真=PIXTA)

 今回は「上司の影響力」について書こうと思う。

 先週の火曜日、11月20日。全日本空輸(ANA)の客室乗務員として、初めて定年の65歳まで勤めあげた女性が、ロンドン発羽田行きを最後に乗務を終えた。

 大宅邦子さん、65歳。45年に渡る勤務で、フライトタイムは3万時間超。1986年3月にANAが国際線に就航した際に国内線勤務から異動した、国際線キャビンアテンダント(CA)のパイオニアの一人である。

 大宅さんは大学2年生のとき、「子供の頃からの夢だったスチュワーデスになろう!」と決意。大学を中退し、ANAの採用試験を受ける。国際線就航時には海外の航空会社で訓練を受け、それを基盤に「ANAのサービス」をつくりあげ、教官として後輩を育成する傍ら乗務を続けた。

 「普通にフライトを終えたいと思っていました。一緒に乗務するクルーにも、お客さまに私が最後だと言わないでと頼みました。アナウンスの必要もありません。お客さまには関係のないことですから」

 こう語る大宅さんは、いつもどおりギャレー(機内の台所)をピカピカに磨いて飛行機を降り、羽田で行われるデブリ(反省会)では後輩たちに、「独り善がりのサービスではなく、お客さまがどうして欲しいかを観察することから始めないといけません」とアドバイスし、勤務を終えたそうだ(参考記事はこちら)。

ペエペエの私が大先輩たちから学んだ、仕事の楽しさ

 ……実は大宅さんは、私が「今」ここでこうやって文章を紡ぐ「礎」を作ってくださった先輩の一人だ。

 個人的な話で申し訳ないが、私がANAの国際線のCAになったのは、ANAが国際線に就航して2年目。当時のANAは「JALに追いつけ、追い越せ!」が社員の合言葉で、成田にいる客室乗務員はわずか500人程度。そのうちのほとんどが、国内線から異動してきた優秀な先輩CAだった。大宅さんはその中でもトップ中のトップ。ペエペエの私の大大大先輩だったのである。

 国際線はロサンゼルス、ワシントン、シドニーの3本の長距離路線と、グアム、香港、北京(大連経由あり)、ソウルの4本の短距離路線のみで、成田の客室部は平屋の小さなプレハブ小屋だった。

 「ゲッ、マジ? こ、これが……ANAの世界の拠点なの???」と、初めて見たときに私は唖然とした。

 なんせ学生時代の私は、キャリア意識のカケラもない、恥ずかしいほどノーテンキで生意気な小娘で。ANAの採用試験を受けた理由も、「スッチーになるなら、勢いのあるANAでしょ。ANAは学生に人気だもんね」という、単なるイメージだけ。ANAという会社をきちんと調べることもせず、「3年間飛んだらスッチーやめて、いい人見つけて結婚して、30歳になったら双子を産もう!」などと考えていたのだ。

 ところが、大宅さんをはじめとする国際線のパイオニアの先輩たちと出会い、フライトをご一緒しているうちに私は「想定外の自分」に出会う。

 「仕事って楽しい。もっともっと働いてみたい! もっともっと能力を高めたい!」と仕事が人生の一部になった。

 先輩方には、「サービスとは何か?」「お客さんに寄り添うとは何か?」「客室乗務員とは何か?」「お金をいただくとは何か?」……etc etc を、日々のフライトの中で学び、ステイ先では、「街に出なさい。美術館などを巡って文化を学びなさい」「現地のレストランでお食事をし、サービスを学びなさい」と飛行機を降りた後も、サービスの質を高める心構えを教えてもらった。

 かつて「モヒカンジェット」の愛称で親しまれた機体の尾翼のマークが、レオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプターのイラストなのは、初代社長である美土路昌一さんが日本ヘリコプター輸送(日ペリ)を立ち上げた時の思い入れに由来していることや、北京線のフライトの時には、幾度となく岡崎嘉平太さん(第2代社長)の中国への想いを聞かされた。

 ハワイ便の就航初便に乗務したときには、ホノルル国際空港にランディングした際に先輩方が涙したのは、「若狭さん(第5代社長)の念願が叶った」ことへの喜びだったことを知る。

 私は「空を股にかけた仕事がしたい」とフィーリングだけでCAになったのに、先輩たちに出会ったことで、
「一回一回のフライトを大切にしなくちゃ」
「お客さまに『またANAに乗ろう』と思ってもらえるサービスをしよう」
と、ANAという会社の多くの社員の熱い思いと汗の結晶であるフライトに、CAとしての誇りと愛情を注ぐようになったのである。

「普通にフライトする」ことの難しさ

 にも関わらず。私は4年でCAを辞めた。

 ANAはその4年間で急成長し、路線も増え、私も次々と上の仕事を任された。でも、何か物足りなくて。「自分の能力をもっと発揮したい」「自分の言葉で何かを伝えたい」などと妄想し、1年間悩んだ末スッチーを辞めたのだ。

 ANAを離れ、世間の冷たい風に吹かれ、やっと「自分に特別な能力などない」「自分の言葉などない」ことに気づき、「CAを辞める」という決断の重さを痛感する。

 世間からは「スッチーからお天気お姉さん、そして学者さんと転職の女王ですね! チャレンジ精神がすごいですね!」と言われてしまうことがあるが、キャリアを見据えたうえで進路を器用に選択してきたわけではなく、「チャレンジ精神」なんてかっこいいものではない。「辞めるカード」を切ってしまった以上、「何者」かになるべく、前に進み続けるしかなかったのだ。

 ある意味、開き直り。

 「辞めなきゃよかった」という言葉が脳裏をよぎる度に、「自分でスッチーを辞めると決めたんだから、妄想を現実にする以外にどうする?  スッチーに戻るんかい?  やるしかないじゃん」と脳内のサルたちに脅された。辞めたことを後悔しないためには、どんな壁があろうとも、喘ぎ、踠きながらも前に進み続けるしかなかった。

 他人からは色々やってるように見えるかもしれないけど、私の中では一本道。

  それは「続けることの難しさ」を知るプロセスであり、やがて、「辞めるのは簡単。続けることほど難しいことはない」が持論になったのである。

 であるからして、最後の最後まで「いちCA」を貫き乗務を終えた大宅さんを心から尊敬し、その生き方に感動している。そして、私は、今後待ち受けるいくつもの困難に折れそうになったとき、大宅さんの勇姿を思い出し、「普通にフライトする」という言葉に励まされるに違いない。

 そして、「後輩へのアドバイス」が、私がペエペエだったときに言われたことと変わっていなかったことに至極感動している。

部下のキャリアを左右する“最初に出会った上司”

 部下(=後輩)は、上司(=先輩)が考える以上に上司の影響を受ける。

 特に“最初に出会った上司”は、部下のキャリア人生を左右するほどの大きな影響をもつ存在である。

 新入社員は入社後、組織社会化という過程を経ることで会社に適応するが、組織社会化には、“最初に出会った上司”が強い影響を与えると、古くから多くの研究者が一貫して指摘しているのである。

 組織に所属する前に自分が期待していた仕事と現実に経験する仕事とのギャップから生じる「リアリティー・ショック」は、上司との関係性によって大きく左右される。組織内での役割が曖昧な部下に対し、上司がどういう手ほどきをするかで、新入社員の“その後”が決まるといっても過言ではない。

 実際、私が2002年~03年に新入社員を対象に行った縦断調査でもそうだった。

 入社後半年以内に、上司から的確なフィードバックを得られなかったり、与えられた仕事について納得のいく説明をされなかったりすると、新人は自分の役割を見いだせず、組織に適応できない。リアリティー・ショックが改善されず、最悪の場合、うつ傾向に陥った。

 一方、出会った上司が的確なフィードバックと、「なぜ、その仕事をやる必要があるのか」「その仕事にはどういう意味があるのか」「うまくいかない時には、どうすればいいのか」といった、具体的な「仕事に役立つ情報」を与えると、リアリティー・ショックが改善され、半年後のワークモチベーションが向上した。

 さらに、上司から「どんな生き方を求め、どういう考え方で仕事に取り組んできたのか」を語られた経験を持つ部下は、その後のキャリア意識が高まり、さまざまな問題に対処する力も向上したのである。

 上司が経験したことや仕事に対する考えには、その上司でしか語ることのできない真理がある。そこで語られるものは、まさしく人生を背負った生きた言葉。それは上司自身の仕事への向き合い方であり、意志力(Grit)である。

 Gritは、気骨、不屈の精神、と訳されることもあるが、ここでの意志力とは「自分がどうありたいか?」「自分がどういう価値観の下で自身のキャリアを形成するか?」といった仕事上での価値観で、前向きに仕事をする心のエンジンだ。

 意志力のある人は、何か問題にぶつかったときに「どうやれば解決できるか?」を考え、具体的な解決策を考えて、実行する。

 その姿に部下は影響を受け、自らのエナジーに転換するのだ。

かっこええ!! 大宅さん!!

 上司ってすごい、というか、働くってすごい。

 人に影響を与えたいと願ったところでできるものではないけど、自分の生き方、働き方そのものが「誰か」に影響を与えうる存在になる。

 そのことを「上司」たちはわかっているのだろうか。
「部下が育たない」
「部下の当事者意識がない」
と嘆く前に、あなた自身が「上司」としての役割を果たしているだろうか。ちょっとだけ考えてみてほしい。

 「上司」の影響力は、部下が会社という組織を離れても残る。他の仕事に携わっていても残る。「心の上司」として、人生の岐路に立たされたときの羅針盤になるのである。

 大宅さんは冒頭の取材で、
「ギャレー(厨房設備)をピカピカに磨いて降りました。信心深いわけではないのですが、私たちだけが使う場所なので、きれいにしていれば機内のどこかにいるかもしれない、飛行機の神様が私たちを守ってくれるかもと思い、いつもきれいにしてから降りていました」
と語ったそうだが、私は先輩たちがいつもそうしていたのでそれを見習っていた。

 いかなる仕事にも大切にすべき有形無形の「道具」があり、CAのそれは「飛行機」であり、先輩から後輩、またその後輩へと受け継がれ、大宅さんは最後の最後まで、大切に大切に後輩に引き継いでいったのだ。

 単に「フライトする」といってもCAは想像以上の重労働だ。究極の感情労働だし、肉体的にも精神的にも負担は想像以上に大きい。かつて30歳だった定年が時代の変化とともに65歳まで延びたように、CAの働く環境も大きく変わり、CAはいつしか「こどものなりたい仕事」にランキングされなくなった。

 それでも大宅さんが、ご自身があこがれてスチュワーデスになったときの気持ちと変わらず、最後の最後まで「いちCA」としてフライトされたのは、大宅さんご自身が絶えず自分を磨き続けたからにちがいない。

 継続は力というけど、そこに意志力があるから「力」になるわけで。ひとつのことを成し遂げるためには、自分が常に進化しなきゃ無理。

 ついつい変化を求め、他のことに手を出しがちで、それだけで自分も変わったような気がして安心するけど、大宅さんはあの頃と一緒。「大宅邦子」というプロのCAを演じ続け、私が教わったCAの基本を最後まで後輩に伝え続けていらしゃった。

 「続けること」は尊いもの。45年間の大宅さんの人知れぬ努力を思うと頭が下がる。ただただ「すごい! ホントにすごい!」と。そして、私も大宅さんのような志を持ち続けたいと思う。

 大宅さんは取材の最後に、
「もし定年が70歳や75歳に延長されていたらどうなさいますか?」
と記者に聞かれ、
「もちろん働きますよ!」
と笑顔で即答した。

 かっこええ!! 大宅さん!! マジ、かっこよすぎる!!

 そして、大宅さんに出会えたことに心より感謝いたします。本当にありがとうございました。

 ―SOCの高い職場の作り方満載!―

 本書は、科学的エビデンスのある研究結果を元に、
「セクハラがなくならないわけ」
「残業が減らないわけ」
「無責任な上司が出世するわけ」
 といった誰もが感じている意味不明の“ヤバい真実”を解き明かした一冊です。

(内容)
・ショートスリーパーは脳の故障だった!
・一般的に言われている「女性の特徴」にエビデンスはない!
・職場より家庭の方がストレスを感じる!
・人生を邪魔しない職場とは?

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中

この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。