韓国の文在寅大統領との歴史的な対談を実現した金正恩朝鮮労働党委員長。その心中は…(代表撮影/Inter-Korean Summit Press Corps/Lee Jae-Won/アフロ)
韓国の文在寅大統領との歴史的な対談を実現した金正恩朝鮮労働党委員長。その心中は…(代表撮影/Inter-Korean Summit Press Corps/Lee Jae-Won/アフロ)

 金正恩朝鮮労働党委員長が米国との直接対話を狙ったソフト路線に突如切り替えたのは、①中国も加わった強力な経済制裁を含む北朝鮮包囲網により圧迫され、追い込まれてそうせざるを得なくなったためか。それとも、②金委員長がもともと頭で描いていた戦略に沿った動きなのか。完全な二者択一というわけでないだろうが、①はあくまで従であり、②が主だというのが、筆者の見解である。

 最近のマスコミ記事のうち、①の見方をとったと受け止められるのが、日本経済新聞が4月16日朝刊に掲載した連載記事「(迫真)激震朝鮮半島」の第1回「米中に殺される」である。

 この記事によれば、金正恩委員長は昨年秋には米国との関係改善を決意。「北朝鮮関係筋によると金正恩は2017年10月の朝鮮労働党政治局拡大会議で米国への対話攻勢の準備を指示した」。そして、その背景にあったのは「米中が北朝鮮の体制転換で密約し、挟撃するシナリオへの恐れ」(元朝鮮労働党幹部)なのだという。

 米国と中国の外交当局者は昨年秋から「朝鮮半島有事」の際の難民対策や核兵器の管理について協議し、中国軍も北朝鮮との国境地帯の近くで大規模な演習を実施する中で、「『米中が共和国(=北朝鮮)を圧殺しようと画策している』。金正恩は昨年、内部会議でこう語った」「核・ミサイルの攻撃能力に比べ、北朝鮮の防衛システムは脆弱だ」「体制の生き残りのためには、対話を進めて米中挟撃を防ぐ戦略しか残されていなかった」。

 要するに、北朝鮮は米国の軍事攻撃(および中国による間接的支持ないし黙認)を恐れてソフト路線に切り替えたのだというのが、この記事のストーリーである。

 これに対して、②が主になっていると受け止められる最近の報道は、いくつもある。筆者が特に注目したのは、以下の2つである。

「金の外交イニシアチブは成熟している」

 1つは、4月15日夜に放映されたNHKスペシャル「シリーズ金正恩の野望 第1集 暴君か戦略家か 禁断の実像」。脱北した北朝鮮元幹部が1年前に極秘メモに記して「予言」していたシナリオは、「金正恩は戦争をも辞さない狂気を持った人間だと思わせておいて、突然180度方向を変えて平和を実現したいと一歩出てきたらいったいどうなるか」「世界はその深えんな戦略の渦に巻き込まれていくだろう」というもの。

 その通りに、金正恩委員長は核・ミサイル実験を交えた強硬姿勢から一転して対話・外交に打って出た。恐怖政治的な手法を用いながら国内で権力をしっかり掌握した後で、計画的・戦略的に「外」で動いているという見方がベースになっている番組だった。

 もう1つは、ニューズウィーク日本版 4月17日号に掲載された、同誌コラムニスト(元CIA諜報員)グレン・カール氏執筆の「世界は踊る、金正恩の思惑で(Kim Jong-un Leads the Dance)」である。

 そこには、「うわべだけを見る人は、金と北朝鮮を『まともじゃない』と断じ、それゆえ危険なほど予測不可能と片付ける」「それは間違いだ。金は国内の権力を統合し、北朝鮮の独立を国際的に確立するという明確かつ断固とした目標の下に行動してきた」「彼の世界は権謀術数が渦巻くマキャベリの世界。国際的な規範には従わない」「金はミサイルと核の無謀な挑発を繰り返してきたが、最近の外交イニシアチブに関しては巧みであり、成熟したとさえ言える」とある。巧みな外交術というくだりを含め、筆者は全く同意見である。

 では、米朝直接対話が行われる結果、北朝鮮による核兵器保有断念を含む「朝鮮半島の非核化」は、本当に実現するのだろうか。

 米国は遅くともトランプ大統領の任期が満了する2021年1月(というよりも実質的には2020年11月の次の大統領選挙)までに「朝鮮半島の非核化」を実現したいようであり、日本の河野外相もそうした時間軸を設定する考え方に同調している。要するに2年程度という期限を区切って核兵器放棄を実現させるスケジュールを固めて、過去に見られたような北朝鮮の引き延ばし戦術を封じたいわけである。

 だが、そううまくは運ばないだろうというのが、筆者が以前から掲げている見方である(当コラム4月17日配信「金正恩委員長の『巧みすぎる外交術』~『朝鮮半島非核化』は理想論にすぎない」ご参照)。北朝鮮の現体制からすれば、核兵器・弾道ミサイルはまさに「命綱」である。

 よほど彼らに有利な条件でない限り、それらの完全放棄にイエスとは言わないだろう。仮に言ったとしても、いろいろと口実を見つけては先延ばしを図る可能性が、やはり高いように思われる。

もう核実験は必要ない

 朝鮮労働党は4月20日の中央委員会総会で、核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験の中止、核実験中止の透明性を担保するための核実験場閉鎖を決定した。しかしこの決定は、すでに明らかになっていた米国との直接対話の前提条件をオーソライズしたものにすぎず、新味がない。しかも、すでに核兵器を戦力化しているのでさらなる実験は不要になったがゆえの決定でもある。

 確かに「前進」ではあるのだが、マーケット用語で言えば「織り込み済み」である。しかも、日本の安全保障にとり重要な中距離弾道ミサイルについては言及がなく、米韓と日本の離間を狙った仕掛けではないかという見方もできる。さらに、すでに保有して配備しているとみられる核弾頭や弾道ミサイルの取り扱い(全部または大部分の廃棄)については触れられていない。

 また、核兵器の完全放棄を北朝鮮があっさり受け入れる場合には、北朝鮮国内で民心が動揺して政権の求心力が低下し、社会情勢が不安定になる恐れもある。

 2017年に暗殺された金正男氏(金委員長の異母兄)に単独インタビューをしたことで有名な東京新聞論説委員・五味洋治氏の近著『金正恩 狂気と孤独の独裁者のすべて』は、2012年4月に改正された北朝鮮の憲法が序文で金正日の功績について、祖国を「不敗の政治思想強国、核保有国、無敵の軍事強国」に変えたとしていることを紹介。「核保有国」の立場が明記されていると指摘した上で、「このため、北朝鮮の国民にとって核保有は当然のことになっている。条件を付けて核を放棄、何かと交換するなど想像もつかないのだ」と結論付けた。

 また、同書には、2016年に北朝鮮で出版されて品切れになるほど人気を集めた実録小説『野戦列車』(文学芸術出版社)に出てくる、金正日・金正恩親子の核兵器を巡る会話を紹介したくだりがある。「小説という形で一般にも販売され、公表されているのだから、北朝鮮の核やミサイルに関する基本的な考え方だと判断できる」と五味氏は書いており、たしかに北朝鮮の最近の動き方の根底にあるものを、実によくとらえているように思う。以下がその会話である。

 金正日「私がいつだったか大将(正恩のこと)に話したことがあったと思う。外交戦における勝負は、策略と世論戦に少なからず関係するだろうが、それよりも国力と軍事力なのだ。拳(こぶし)が強ければ、言い争いをしなくても良いのだ。外交の命である自主性と尊厳は、力の裏付けなしに守ることはできない」

 正恩「心に刻みます。私は、わが国を大国と堂々と渡り合える政治軍事強国にしてくださった将軍(正日のこと)の先軍政治を、命を賭けて掲げて行きます。核の列強が屏風のように朝鮮を取り囲んでいる今日、強力な軍事力、核抑止力だけがわれわれの尊厳と東北アジアの平和を守ってくれることでしょう」

 当面のヤマ場である米朝首脳会談で、金委員長は何を語るだろうか。そして、この会談はどのような結果になるのだろうか。

「トランプにとって重要なのは、見た目だけだ」

 対北朝鮮でもタカ派的な姿勢をとっているポンペオCIA(中央情報局)長官がティラーソン氏の後任の国務長官になったことによるトランプ政権の政策決定過程への影響(タカ派とハト派のパワーバランスの変化)といった新たな不確定要因が意識される中、会談が決裂した際の米国による即時軍事行動を警戒する向きもある。

 だが、先に執筆内容を引用したニューズウィーク誌のグレン・カール氏は、かなり冷めた見方をしている。彼は金委員長を「マキャベリスト」と位置付ける一方、トランプ大統領は「ナルシシスト」だと断言した上で、「金の狙いは、言うまでもなくアメリカによる先制攻撃の回避にある」「金が理性的な対話に応じ、おそらく愛敬も振りまくとしたら、アメリカが武力行使に出るのは難しくなる」と喝破。

 「金は非核化を約束するふりをするだろう。アメリカは金の約束を『前進』と強調するだろう。一方で金は、習との首脳会談の時と同様に、北朝鮮が具体的な措置を講じる前に、まず韓国とアメリカが信頼醸成の手段を取る必要があるという条件を付けるだろう。両国はこの歴史的な会談の建設的な結果を大げさに宣伝し、実施のための努力を口にするだろう。そして戦争勃発の危険は、少なくとも当座は減る」「金との会談の結果がどうなろうと、トランプは大成功を収めたと吹聴するか、誰かを責めるだろう。71歳の彼の髪を見るだけで分かる。トランプにとって、重要なのは見た目だけだ」としている。

 実に冷徹な見方であり、説得力があるように思う。

 歴史上初めてとなる米朝首脳会談。マキャベリストとナルシシストの邂逅の後でアナウンスされるのは、「どちらの側も勝利した」という、一種の予定調和の結末なのだろうか。

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