投打に大活躍する大谷翔平(写真:AP/アフロ)
投打に大活躍する大谷翔平(写真:AP/アフロ)

 お昼の情報番組「ひるおび」(TBS系列)で、このところロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平(23歳)の特集が続いている。

 米大リーグが開幕してから2週間。

 私だけでもゲストコメンテーターとして4回出演しているのだから、番組が彼を取り扱った回数はもっと多いはずだ。それだけ世間の関心事になっている。これもまた大袈裟に言えば、大谷の活躍がもたらした社会現象と言えるだろう。

投打に大活躍する大谷翔平(写真:AP/アフロ)
投打に大活躍する大谷翔平(写真:AP/アフロ)

 興味深いのは、米国のメディアも日本のメディアも大谷を語るに当たって、100年前のスーパースター「ベーブ・ルース」を持ち出して、大谷の「二刀流」を論じている点だ。

 1918年、ベーブ・ルースは二刀流(米国では、2WAYと言っている)でプレーし、投手として「13勝」、打者としてホームラン「11本」を記録している。翌19年も二刀流で活躍し「9勝」「29本」の成績を残した。よって今シーズンの大谷が、投手として10勝以上の2桁勝利をあげ、打者として2桁以上のホームランを打つと、ちょうど100年ぶり、1918年のベーブ・ルースに並ぶことになり、日米のメディアはそこに注目している(大谷は、日本時代にすでに2回達成している。2014年「11勝、10本塁打」、2016年「10勝、22本塁打」)。

 「野球の神様」と謳われるベーブ・ルースとの比較は、大谷にとって何よりも光栄なことだろうが、そこまで時代をさかのぼらないと「ライバルが見当たらない」というのも現実であり、二刀流の特異性がそこにある。

 この偉大な両者の比較にケチをつける気など毛頭ないが、ベーブ・ルースの2WAYと大谷翔平の二刀流は、厳密にいえば微妙に違う。今さらの感はぬぐえないが、もう一度ここで、両者の違いを整理しておこう。

 ベーブ・ルースの時代はベンチ入りの人数も少なく、投手としてはもちろん打者としての才能が買われれば、今よりももっと自由に両方での出場が可能だった。いや、それを強いられていたというべきだろう。控え選手が少ないので、投げられる人は、必要に応じて投げる。打てる人は、投手でも打席に立つ。

野球人生を掛けた勝負

 ベーブ・ルースはもともと投手としてボストン・レッドソックス(1914~19年)にやってきたが、打撃での活躍が著しく、打者としての出場がどんどん増してくる。それでも最初の4年間は投手中心でプレーしていたので、純然たる2WAYで活躍したのは18年、19年の2年間だけだ。

 20年にニューヨーク・ヤンキース(20~34年)に移籍したのを機に、ベーブ・ルースは打者に転向し、この年に54本塁打を記録している。ヤンキースで登板したのは、その後のキャリアで5試合だけ。つまりベーブ・ルースは、どうしても二刀流がやりたかった訳ではなく、当時の野球環境とチーム事情の中で、投手と打者の才能を買われて、両方を見事にこなしていたのだ。

 ところが大谷翔平は違う。

 好んでこれをやってのけようとしているのだ。いや、そんな軽い気持ちではない。野球人生を賭けて、二刀流に取り組んでいるのだ。

 いまだにファンの間でも、評論家諸氏にも、どちらかに早く転向した方が良いという意見があるが、大谷がそうした声に耳を傾けることは、しばらくないだろう。なぜなら彼はベーブ・ルースに憧れて「野球の神様」と同じようなスタイルを踏襲しているわけではなく、まったく新しいもの(新しいスタイルと新しい価値)を作り出そうとしているのだ。

 おそらくこの行為(二刀流)に勝る快感はないだろう。自尊心や優越感というものが他者との関係で意識できるものなら、大谷が感じているものはその種のものではないはずだ。

 もっと根源的な快楽。

 打つこと、投げることにおいて、授かった身体性と持てる能力を存分に使い切る。野球を愛し、野球に愛されるスピリチュアルな関係とでも言おうか。

 これは単に私の想像でしかないが、いつの日かその境地を大谷にじっくりと尋ねてみたいと思っている。ただ戦いの中にあって、それは今聞くべきことではないだろう。

 大谷が二刀流というチャレンジをやってのけられる理由には、投打の才能以外に、彼が金銭的なことにまったく頓着していない…ということも大きな要因として考えるべきだろう。

金銭に振り回されず渡米

 大リーグへの挑戦を表明したのは、岩手県・花巻東高校3年生の時だった。この時にそのまま米国に渡っていたら、今のレベルで二刀流が成り立っていたかどうかは疑問だが、彼はかねてからの夢を優先しようとした。

 エンゼルスに移った今回もそうだ。新しく結ばれた労使協定によって、25歳未満の大谷の年俸は約6000万円。契約の総額は2億6000万円くらいだと言われている。しかし、もし渡米を数年遅らせて年齢制限をクリアすれば、おそらく今回の50~100倍、100億円を超える大型契約も夢ではなかったはずだ(もちろん日本での活躍次第だが…)。

 それでも彼は、自分の行くべき場所とタイミングを見失わなかった。

 それは、彼が金銭的な理由で動いて(決断して)いなかったからだろう。だからこそ、誰よりも野球とピュアに向き合うことができる。二刀流は、もちろん才能があってこその贅沢なチャレンジだが、これを自身の生き方と心の贅沢として楽しめる感性が大谷にあったからこそ、批判にも負けずブレることなく貫くことができたのだ。

 「好きこそ物の上手なれ」は、どんな仕事でもプロになる者の基本中の基本というべき姿勢だろう。好きでなければ、不断の努力も覚束ない。しかし、その一方で、「好き」だけでは如何ともしがたい才能の群れが待っているのも、これまたプロの世界だ。二刀流も「好き」だけでやれるほど甘いものではない。失敗することもあり得る。

 大谷は、大リーグに移るに当たって、関係者にこう言い残していったという。

 「たとえ失敗しても二刀流に挑戦することに意味がある」

 大谷のチャレンジは、まだ始まったばかりだ。しかし、午前・午後の情報番組やワイドショーでも、番組を通じてたくさんの人が彼の挑戦を応援モードで見ている。

 野球でも仕事でも、「好き」と「才能」と「マネー」は、成功に欠くことのできない要素だろう。ただ、彼のチャレンジと生き生きとしたプレーを見ていると、もう一つ大事な要素があることに気づかされる。おそらく、多くの人が大谷翔平のそこに引きつけられているのだ。

 私たちが彼に見ている(感じている)ものは、好きなことに濁りなく向き合う、その「純粋さ」ではないだろうか。そして、それはどうやら米国のファンにも伝わっているようだ。

 =敬称略

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