フランスで転落死した王健会長 (写真:AFP/アフロ)
フランスで転落死した王健会長 (写真:AFP/アフロ)

 中国最大の民間航空コングロマリット・海南航空集団(HNA)の会長、王健が旅先の南フランス・プロバンス地方の教会で、記念写真を撮ろうと高さ15メートルの壁に上って、転落死した。7月3日のことである。このニュースは、かなり衝撃を持って報じられた。

 その理由の一つは、HNA自体がいろいろといわくつきで、習近平自身やその右腕たる現国家副主席の王岐山がらみの黒い噂の絶えない企業であったこと。しかも、ブルームバーグによれば、昨年末時点で負債総額が推計6000億元にのぼり、事実上破綻しているということ。2月には、中国当局が主だった国有銀行にHNA救済を窓口指導し、政府主導のもとでの再建話が進んでいるということ。

 一方で、HNAはドイツ銀行やヒルトン・ワールドワイドなど名だたる海外企業の筆頭株主で、その海外資産は120億元以上、国内外合わせた子会社は450社以上で、その再建の成否は国内外企業、経済にかなり大きな影響を与えるという意味でも注目されていた。これは単純な事故死なのだろうか。一体HNAで何が起きているのだろう。いや、中国経済界で何が起きているのだろう。一人の民営企業幹部の死から見えてくるものを整理してみたい。

 王健について改めて説明すると1961年天津生まれ。元は民航総局計画局の公務員で、1988年に海南省の出資1000万元をうけて民間航空総局の公務員であった陳峰とともにHNAの前身である海南省航空公司を創立した。その後、海南省航空公司が株式化、中国市場に上場し海南航空集団として事業を拡大していく中でも実務派としてかじ取りしてきたHNAのナンバー2である。

 中国民航大学や中国発展改革研究院で客員教授も務めていた。彼は7月3日昼前、プロバンス地方に視察旅行中、観光名所のボニュー村の教会で記念写真をとろうと、壁によじ登ったのだという。一度登ろうとして失敗し、二度目に登ったときに転落したらしい。地元警察は事故と発表しているが、当然、それを信じない人も大勢いた。というのも、HNAは事実上破綻の危機にさらされ、しかもその組織や株式構成には非常に複雑な大物政治家の利権と黒い噂が絡んでいたからだ。

利権に絡む? 王岐山の親族

 HNAは、すでにこのコラムでも触れてきた(「大物・王岐山の進退、決めるのは習近平か米国か」)ように、王岐山の親族が利権に絡んでいる、と言われてきた。王岐山の甥がHNAの匿名役員であるとか、HNAの過半数株を占める二つの慈善団体・海南省慈航公益基金会と在米海南慈航公益基金会の最終受益者がそれぞれ王岐山と習近平の私生児であるとか、といった話である。

 このネタ元は、北京五輪プロジェクトの黒幕でもあった政商・郭文貴で、今は習近平政権から汚職などの国際指名手配を受けて米国に逃亡中だ。その逃亡先のニューヨークからインターネットを通じて、王岐山の“スキャンダル”をいくつも投じているが、郭文貴情報にはフェイクも相当混じっているといわれ、うのみにするのは要注意だ。

 だが、わずか1000万元の資金でスタートした海南航空が、ジョージ・ソロスを口説き落として出資させ、中国A、B、H市場に同時上場し、新華、長安、山西といった地方航空会社を次々と買収する資金を得て、中国主要銀行がほとんど無審査で6000億元以上の融資を行って、外国企業を買いまくってきたプロセスをみれば、そこに大きな政治権力が介在していたことは間違いない。その大きな政治権力を代表する一人が王岐山であるというのは、HNA創始者の一人、陳峰が、王岐山が農村信託投資公司社長時代の部下であったことを思い出せば、腑に落ちるところでもある。

 だが、このHNAは2017年ごろから、ホワイトハウス広報部長・スカラムッチの所有するヘッジファンドにも買収の手を伸ばすなど、トランプ政権の警戒心を呼んだ。米国メディアは、その株主構成や資金の流れに対してすでにかなり深く取材しているし、米国当局もおそらくHNAに対する調査をおこなっているはずだ。こうした流れを受け、習近平政権は主要銀行にHNAを含む五大民営企業に融資を一時停止するよう指示。この結果、HNAが受けていた6000億元に及ぶ融資は瞬く間に焦げ付き、今年に入ってからは香港やシンガポールの資産の投げ売りが始まっている。

 一方で、習近平政権は今年2月には改めてHNAの“救済”を決定した。これはウォールストリート・ジャーナルが報じている。どうやら安邦保険集団を接収したやり方よりはマイルドなようだが、それでも国有資産管理当局の下での強制的な再編成であり、フィナンシャルタイムズ(7月5日)などは、安邦の事例と並べて習近平政権の民営企業に対する強硬姿勢と論評している。もっと率直に言えば、民営企業の乗っ取りともいえるかもしれない。

 なので、王健の死に疑問を持つ人たちは、ひょっとすると、このHNA再建のプロセスで、隠蔽せねばならないこと、消し去られねばならない証拠があって、王健を邪魔だと考える者たちによって、「自殺」させられたのではないか。あるいはHNA内部の権力闘争、利権争奪戦の過程で王健が負けて排除されたのではないか、などといった謀略小説のようなストーリーを想像するのである。実際、HNA内部の合併がすすめられると、利権争いがおきて、陳峰VS王健の対立が先鋭化していたという話もある。

 HNA内では王岐山と近しい陳峰が立場は上だが、実際の実務は王健がやっている。王健は陳峰を陳総(陳総裁の略)と敬称で呼び、陳峰は王健を王同志と呼ぶ、微妙な関係だ。HNAの負債問題が表面化したのち、対応に奔走していたのは王健だが、陳峰の息子の陳暁峰が半月前に王健の特別助理になった。人によっては、これは王健の動向を陳峰が監視するための人事ではないか、という。この直後に王健が亡くなったということに、なんらかの陰謀を感じる人もいるわけだ。

 郭文貴はこんな謀略説をひろめている。「王健はホワイト・グローブとして王岐山、習近平はじめ多くの党幹部の資金洗浄に関与しており、その証拠である海外口座のデータや担保人、保障人などの記録を保有しているのは、実務担当の王健。HNAは今や中興とともに、米国調査当局のターゲットとなっており、王健が米国調査当局に口を割る前に、亡き者にされたのではないか」。

 殺されたのではなくとも、家族の安全と財産の保障をする代わりに秘密を抱えたままの自殺や、事故死を装った自殺を迫られたのではないか、という説もある。あるいは、巨額の負債に精神を病んでいたので事故死を装って自殺した、とか。

 王健の死によって、彼の持ち株は慈航公益基金会に贈与され、王健の職務は取締役会主席である陳峰が引き継いだ。そう考えてみれば習近平、王岐山の損にはなっておらず、謀略説もありそうな気がする。だが、実務を一手に引き受けていた王健の突然死で、今後難しいHNAの再建がさらに難航しそうだという観測が広がった。

波紋を呼んだ29歳女性の政権批判

こうした憶測が流れる中で、29歳の不動産仲介業者勤務の女性が4日、早朝に上海の海航大廈(HNAビル)前で、「習近平独裁専制の暴政を暴く!」と言いながら、近くにある習近平の宣伝ポスターに墨汁をかけるパフォーマンスを行った。そして、海航大廈を指さして、あれは習近平の資産だ!と批判したのだ。この様子はスマートフォンで録画されて彼女のツイッターアカウントにアップされた。当然、これがなぜ王健死亡翌日に海航大廈前で行われたのか、ということが中国人ネットユーザーの間で噂になった。

 こんな形で習近平批判をすれば、彼女はタダではすまない。インターネットで習近平のことを「肉まん」と揶揄しただけで、ネットユーザーが拘束された例もあるのだ。この女性は同日午後3時半ごろに「玄関の前に制服の一群が来た。私は着替えて外に出る準備をしよう。私に罪はない。罪があるのは私を傷つけた人と組織よ」と意味深な言葉と、玄関前に来ている複数の警官をドア越しから写した写真をツイッターにアップしたあと、このアカウントは閉鎖された。

 彼女が王健と何等かの接点があったのか、なかったのかはわからない。単なる、政権に対する不満の表明に過ぎないのかもしれない。が、多くの普通の市民たちは、HNAの破綻と王健の死と習近平や王岐山の利権に、なんらかの関連があるかもしれないと注目した。

 ところでいったい、習近平政権は中国の民営企業をどうしたいのだろう。鄧小平時代の国退民進(民営化を進め国有企業を整理していく)からの国進民退の逆行は、間違いなく中国経済の活気を失わせている。HNAに限らず、中国の民営企業は、習近平政権になってから受難続きだ。飛ぶ鳥を落とす勢いであった安邦保険集団のCEO呉小暉は汚職で逮捕、起訴され安邦集団は政府に接収された。ハリウッドを買い占めると豪語していた大連万達グループのCEO王健林は政治的にはまだ首の皮一枚つながっているが、グループ資産約2兆円の売却をよぎなくされ、そのあおりで子会社の女性社長と従業員が今年6月に自殺(他殺の線も消えていない)した。

民営経済秩序を徹底破壊か

 習近平の狙いは、紅二代、太子党といった共産党長老の子弟の利権の温床となっている民営企業の再建を建前として、政治的ライバルの利権の接収、および身内への再分配だという人もいるが、放漫財政を取り締まるという名目で打ち出した金融引き締め政策を受けて貸し渋りや貸しはがしにあって、倒産している民営企業には、個人企業家が頑張って立ち上げ軌道に乗せてきた普通の企業も多くある。

 今年、民営企業の社債デフォルト総額は上半期だけで165億元、過去最悪になると予測されている。ちなみに倒産や巨額の負債に追い込まれて自殺した民営企業家はこの2年の間で100人は下らないともいわれている。一方で、企業利益の見込めない一帯一路プロジェクトなどの国家事業や、自らの利権がかかわるHNA再建には、莫大な融資を国有銀行に窓口指導で命じているわけだ。習近平政権がやろうとしているのは中国で育ち始めた民営経済秩序の徹底破壊ということだろうか。

 トランプ政権から習近平政権に仕掛けられた米中貿易戦争によって中国経済は相当追いつめられるという指摘が多いが、私は中国経済を本当に追い詰め、崩壊させようとしているのは、習近平政権自身ではないか、という気がしてきた。

【新刊】習近平王朝の危険な野望 ―毛沢東・鄧小平を凌駕しようとする独裁者

 2017年10月に行われた中国共産党大会。政治局常務委員の7人“チャイナセブン”が発表されたが、新指導部入りが噂された陳敏爾、胡春華の名前はなかった。期待の若手ホープたちはなぜ漏れたのか。また、反腐敗キャンペーンで習近平の右腕として辣腕をふるった王岐山が外れたのはなぜか。ますます独裁の色を強める習近平の、日本と世界にとって危険な野望を明らかにする。
さくら舎 2018年1月18日刊

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