「事件」は高校生のバスケットボール大会で起きた(イメージ、写真:西村尚己/アフロスポーツ)
「事件」は高校生のバスケットボール大会で起きた(イメージ、写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 個人的には「大きな問題」と考えているのに、なぜか、大手メディアも、怒るのが仕事のごとく何でもかんでも騒ぎ立てる人たちもスルー。それが余計に「やっぱこりゃ大問題だわ!」と私の危機感を高めている。

 なるほど。だから一向に「不幸な結末」がなくならないのだな、きっと。

 というわけで、今回は既に自分のメルマガや出演しているラジオなどで取り上げた問題なのだが、こちらでも書きます。
 テーマは「外国人と日本人」。政府が6月上旬に閣議決定した「外国人労働者受け入れ拡大」について考えてみようと思う。

 6月24日付朝刊各紙の三面記事に「高校バスケ留学生、自主退学」という小さな囲み記事が出た。

 内容は、全九州高校体育大会のバスケットボール男子の準決勝での「事件」について、延岡学園が6月23日に行なった記者会見に関するものだった。

 「事件」が起きたのは、6月17日。延岡学園vs.福岡大大濠の試合で、延岡学園1年の留学生(15)が、審判のファウルホイッスルを不服とし、審判の顔面を殴打。しかも「グー」。平手ではなくこぶしで顔面を殴り、審判員は出血しその場に後頭部から倒れてしまったのある。

 その映像はネットで一斉に拡散していたので、ご覧になった人もいるかもしれない。

 前代未聞の事件で試合は「続行不能」と判断され、その場で終了。
 留学生は監督に抱きつき「ごめんなさい。ごめんなさい」と号泣し、見ているのが切ないくらい2m4cmの大きな体を屈め、監督の前にひざまづき、小さな子供のようにワンワン泣いた。

 実はこの留学生は、今年2月にアフリカのコンゴ民主共和国から来日した青年で、バスケットボールはほぼ未経験だった。手が長くジャンプ力もスピードもあり、その「身体能力の高さ」を評価され、スポーツ留学した。

 ところが延岡学園には彼の母国語であるフランス語を話せる人はひとりもおらず、春ごろからホームシック気味に。「家に帰りたい」と学校側に訴えていたところで、今回の「事件」が起きてしまったのだ。

 同校は6月23日の会見で、この留学生を6月末までに帰国させると発表。そこで明かされたのが、日本社会の負の側面だったのである。

 試合直後からSNS上では留学生への猛烈なバッシングが始まり、中にはヘイト紛いのものや、暴力行使を示唆するものまで横行。翌日から、学校には電話やメールが深夜まで相次いだ。
 はがきなども多数寄せられ、インターネット上では留学生の顔写真が拡散。県警に相談するほどの事態だったという。

 佐藤則夫校長は「不測の事態もあり得るので、本人をできるだけ早く帰国させたい」とコメント。「事件はコミュニケーション不足」が最大の原因とし、今後は留学生の母国語が話せる非常勤教職員を雇うことなどを検討中だと話したという。

 ……。一体なぜ、いつもこうなのだろう。

何年も前から問題が指摘されていた

 殴ってしまったことは悪い。どんな理由があれ、許されることではないかもしれない。

 だが、日本語もわからない、生活文化も異なる15歳の青年を、なんらサポートすることなく来日させるってナニ? 学校側は彼をただの「勝つためための道具」としてしか見てなかったってことなのだろうか? 

 高校や大学のスポーツ留学生の受け入れ態勢は、何年も前から問題が指摘されていた。特に2008年の福田内閣の時に、突如「留学生30万人計画骨子」なるもので、「20年を目途に留学生受入れ30万人を目指す」と発表したころから、留学生に対する生活や学業面等での支援や教育の質が懸念され続けている。

 留学生はある意味、「非公式のアンバサダー」だ。
 本来であれば、日本文化の習得や、「私たちの仲間」としてのネットワークの構築、さらには「日本に来て良かった!」と思えるようなキャンパスライフを提供することも日本社会の使命のはず。

 ところが対応は全て現場まかせ。一部の優良な学校以外は、スポーツで勝つことだけを留学生に課した。

 先の延岡学園の留学生は、スマホの翻訳アプリで学生たちとコミュニケーションをとっていたとも報じられている。

 繰り返すが、殴ったことは悪い。明らかに悪い。

 だが、言葉も生活も文化も違う異国の地で親と離れて暮らす青年へのサポート体制の欠如は、極めて由々しき問題である。事件が起きたから「今後は母国語が話せる非常勤教職員を雇うことなどを検討中」などという言い訳は、全くもって意味不明だ。

 口を10針以上縫う怪我をした審判が、「バスケを嫌いにならないで欲しい。続けて欲しい」との願いから告訴などはしないと言ってくれたのが、せめてもの救いだった。

 しかも、こういうコメントをした途端、「それ逆差別じゃん! 外国人は暴力事件を起こしても免除かよ!」と問題のすり替えをする輩が山ほどいて、何を私が書いたところで、「留学生受け入れ問題であって、日本人の問題ではない」「勝手に日本に留学してに来たわけでしょ? んなもん自己責任だよ」と切り捨てる人たちが相当数いることが、日本という国の大きく、そして根深い問題だと思えてならないのである。

 日本人は旅行者の「外国人」には優しいのに、共に生活する「外国人」になぜ、こんなにも冷たいのか?

 「日本は見えない鎖国がある」――。日本で働く外国人がこう嘆くように、それ「グローバル化だ!」やれ「ダイバーシティーだ!」と言うわりには、異質なものを認めたくない人たちなのか? と残念で仕方がないのです。

 私は9歳の時、米アラバマ州のハンツビルという「日本人がうちの家族だけ」という完全なアウェーに引っ越した。そこで経験したことの中で、今まで一度も言えなかった「事件」がある。日本に帰国して今に至る40年の間に(長っ!笑)、恥ずかしくてどうしても言えなかった、私の人生の中で最大の汚点であり、屈辱である。

普通なら容易にクリアできる問題が大きな「壁」に

 が、今回の事件を自身のメルマガで取り上げ、そこで初めて書いたのでここでも告白する。

 私たち家族が引っ越したのは6月で、現地は夏休みだった。「少しでも慣れるために」と、私はサマースクールに通わされたのだが、その時一番困ったのは、「トイレ」だった。

 トイレに行きたいのだが、どこにあるかがわからない。授業も何時に終わるかもわからない。
 普通に日本で暮らしていれば、小学4年生がトイレに困ることはない。「トイレに行きたい」と言えばいいし、「トイレはどこ?」と聞けばいい。なんら問題はないはずである。
 が、アラバマの地の「小学校4年生の黒髪の少女」はどうしていいかわからず、ひたすら我慢した。必死で必死で我慢した。涙が出るほど、必死で我慢しまくった。

 ……でも、我慢しきれなかった。

 幸運にも先生がいち早く気づき、他の生徒が気づかないようにケアしてくれたことで、黒髪の少女は「いじめられず」に済んだ。

 そして、その翌日から先生はかならず授業が始まる前に、先生は「キャオル、come here」と私を呼び寄せ、トイレに連れて行ってくれたのである。

 さらに、ランチタイムが終わると「今日は校内をハイキングよ!」と、他の生徒も連れて、学校のどこに、ナニがあるかをひとつひとつ教えてくれたのだ。

 言葉がわからない異国の地では、普通であれば容易にクリアできる問題が大きな「壁」になり、全く想像しないような事態に遭遇する。

 ただ単に「なんか困ったことがあったら、相談にきてね」とすることは支援にならない。「きっとここは困るだろう」とか、「ここには知っておかないとトラブルになるかもしれない」と先回りしてサポートすることが、「生活者」として受け入れるってことなんじゃないのか? たとえ「言葉」が通じなくとも、「コミュニケーション」が取れるようなサポートが必要なのだ。

 政府は外国人にそれまで禁止していた「単純労働」への就労を認める方針を明らかにし、「建設、農業、宿泊、介護、造船」など慢性的な人手不足に陥っている5分野で、新たな在留資格を設けることになった。
 新たな在留資格は「特定技能」と名付けられ、技能実習生から移行することを基本形と想定。家族帯同の自由はないが(今後検討する予定)、5年間日本で就労できるようになる。

受け入れた「後」のサポート体制が議論されない

 政府は25年度までに50万人超の外国人を受け入れるとしているけど、受け入れた「後」のサポート体制は全くと言っていいほど議論されていない。

 チームが勝つために、体格のいい外国人留学生を来日させるように、「日本人がやりたがらない3K職場に、外国人労働者を受け入れるぞ!」とばかりに門戸だけを開く。そんな“自己都合主義勝手国”を、どこの誰が愛し、わざわざ来てくれるだろうか。

 外国人労働者数は、17年10月末時点で127万8670人(前年同期から18%増)。12年から急激に増加しており、ここ5年間では約60万人増え、日本の雇用者総数の約2%を占める。

 もっとも多いのが中国から来る人たちで、37万2263人。全体の29.1%を占める。次いで、ベトナムの18.8%、フィリピンの11.5%。伸び率はベトナムが最も高く、前年同期と比べて約4割増えた。
 一方、現在日本でいちばん多い外国人労働者は中国からの人だが、4年前と比べると、新たに日本に来る人は6割減少している。

 減ってる原因は何?
 お金? 仕事? 人間関係? 会社だけの問題? 地域の問題? 国の問題? ……「私」の問題? いったい何?

 「強制労働」と国際的に批判を受けている日本の「技能実習生」とは対照的に、国際的に高い評価を受けているのが、隣国、韓国の「雇用許可制」だ。

 雇用許可制は10年9月、国際労働機関(ILO) からアジアの「先進的な移住管理システム」と 評価され,11年6月には国連から「公共行政における腐敗の防止と戦い」分野における最も権威ある賞とされる「国連公共行政大賞」を受賞した。

 それを可能にしたのが、「日本モデル」からの脱却である。

韓国の「雇用許可制」

 韓国は1980年代ごろから、日本の研修生制度をモデルに外国人労働者受け入れをスタート。だが、賃金不払い、不法労働者化、人権侵害、悪質ブローカーなどの問題が発生し「現代版奴隷制度」と揶揄された。
 そこで盧武鉉政権の下、「日本モデル」 を捨て2004年8月に「外国人勤労者雇用などに関する法律」を施行。「雇用許可制」という、国内で労働者を雇用できない韓国企業が政府から雇用許可書を受給し、合法的に外国人労働者を雇用できる制度を導入したのである。

 07年には「外国国籍同胞訪問就業制」、さらに、国民からの強い後押しを受け、外国人を単なる「労働者」とせず、「生活者」として受け入れる政策を進め、「外国人処遇基本法」(07年)、「多文化家族支援法」08年)などを相次いで制定。外国人参政権も認められるようになった。

 国をあげての在住外国人を支援する韓国の中でも、特に熱心なのがもっとも労働者が多い安山市だ。
 「安山市外国人住民センター」には、多言語図書館、多文化情報学習館、診療所、朝鮮語の学習施設、母国語教育など、あらゆる面からのサポートをほとんど無料で提供し、活動の多くをボランティアたちが支えているという。

 国と国を分ける境界線はあっても、人と人を分ける境界線はない。「心の壁」を取り払う工夫と努力に、国と国民が一体になって取り組んでいる。

「ヤギを盗んで食べた」ベトナム人実習生の謝罪文

 私がこのように書くことについて、感情論だの論理的に破綻しているだの意見する人たちもいる。つまり、この問題は、届く人には届くが、届かない人には全く届かない。だからこそ、外国人に扉を開ける前に、しつこいくらい考えるべき問題なんだと思う。

 最後に14年8月に「ヤギを盗んで食べた」として逮捕されたベトナム人の実習生が、法廷に提出した謝罪文を記しておく(『ルポ ニッポン絶望工場』出井康博著より)。

 「悪いことをしたことは自分でもわかっています。言い訳ではないですが、私の話を聞いてください。一所懸命働いてお金をためてベトナムの家族に送るために日本に来ました。(中略)
 7ヶ月頑張りました。もう力が無く疲れてしまい、会社を逃げ出しました。お金がなくなってきて、日本語も下手、誰も助けてくれない。ベトナムに帰ろうと思ったけど、借りた150万円返していない。(略)でも、おなかがすいた。スーパーで初めてごはんを万引きしました。命を守るために万引きしました。本当に申し訳ありませんでした」

 長野県の農業会社で実習生として働いていた時、朝6時から午前2時まで勤務。手取りは6万程度しかなったとされている。

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