「会社員」という身分に安住した時「会社員という病」になってしまう
「会社員」という身分に安住した時「会社員という病」になってしまう

 「河合さんは率直に会社員って、どう思いますか?」

 先日、48歳の男性をインタビューした時、こんな質問を受けた。

 会社員――。

 普段何気なく使っている言葉だが、突然「どう思うか?」と問われ、「いや~、会社員って、やっぱ●●ですよね~」と即答できるほど「会社員」について考えたことはなかったので、正直戸惑った。このコラムを読んでくださっている方たちの、おそらく9割近くは「会社員」であるにもかかわらず、だ。

 ふむ。会社員、ね。

 「そんなの会社に勤めている人で、それ以上でもそれ以下でもないだろう?」

 確かに。でも、だったらなぜ、

「しょせん、会社員ですから~」と自嘲気味に話す“エリート”や、

「会社員的な働き方だよね」と批判的に使う人や、

「長年、会社員やってるとさ~」とエクスキューズに使うベテラン社員たちが、山ほどいるのか。

 会社員。どちらかといえば……ここ数年、ネガティブに使われることが増えたように思う。実際、冒頭の男性も「会社員」を決してポジティブには捉えていなかった(追って説明します)。

 というわけで、既にこの短時間に「会社員」を連発して不思議な気持ちになっているのだが、今回は「会社員」について、考えてみようと思う。

 冒頭の「男性会社員」は大手メーカーに勤める課長さんで、インタビューでは彼のこれまでのキャリアに加え、部下のこと、家庭のことなど話題が広がり、いつも通りちょっとした相談会になった。

 で、これまたいつも通り「自分の相談」が始まり、以下のような流れで冒頭の質問が出てきたのである。

 といっても、多くの男性の相談の仕方は変化球だ。

つまり、「実は私は……」と切り出すのではなく、「~ってどうなんですかね?」とか、「~~ってどう思いますか?」とか、「河合さんがインタビューした中で●●だった人いますか?」といった具合に、探る。

 探るとは少々言葉が悪いのだけど、男性ならではのプライドなのか、頭隠して尻隠さずと言いますか(苦笑 すんません)。彼らは決して「自分」を主語にはせず、周りの動向を探りながら「自分」を確認する作業を行うのだ。

 件の「男性会社員」の場合はこんな感じだった。

会社員はかっこ悪い?

 「僕は部長にはなれない。既に後輩に抜かれてますから。よほどのことがない限り、僕はこの後一回くらい横滑りがあって、それで終わりです」

 「終わり? というのは??」(河合)

 「それ以上出世することはないってことです」

 「役職定年ですね?」(河合)

 「関連会社に行かされるかもしれません。今のところ転職する予定はないんですけど。……河合さんは率直に会社員って、どう思いますか?」

 「どう思うかって?? へ??」(河合)

 「そのなんというか河合さんのように、自分の力だけで稼いでる人から見ると、会社員って甘えて見えるんじゃないかなぁ、と」

 「甘えてる……とは思いませんよ。組織の中で生きていくのって大変だと思うし。それに私は確かに組織には属していませんけど、私を使ってくれる人がいて初めて稼げるので。“自分の力だけ”で稼いでるわけじゃないし……。

 ただ、一円稼ぐことがどれだけ大変なことなのか? ってことは、いわゆる“会社員”でいる時には、わかりづらいかもしれないなぁとは思います」(河合)

 「まさにソコなんです!

 僕、若い時に一度会社を辞めようと思ったことがあるんです。入社して3年くらい経った頃に、『このまま会社の歯車として働いてくんだ』って思ったら、急に虚しくなって転職しようと思った。

 要するに、ただの若気の至りです。で、その時、父親に怒鳴られましてね。

『お前は会社の歯車にもなってない。いっぱしの歯車にまずはなってみろ!』って。父親とはそんなに話したこともなかったのに、その時はいきなり怒鳴られてびっくりしました。

 それからは自分なりに頑張って、一応は歯車にはなれたんじゃないかって思っています。

 でも、今って、会社員でいること自体がかっこ悪いという空気、ありませんか?

 会社員だと付き合いも会社関係になりがちだし、知識や知見も会社員としてのもので。会社員っていうのは、ものすごく狭い世界で生きてる『いきもの』なんだよなぁ、なんてことを思ってしまうんです」

 「でも、この先もその“会社員”を続けていくわけですよね?」(河合)

 「そうですね。……はい」

 「会社の歯車として……ですよね?」(河合)

 「それが結構微妙でして(苦笑)。うちの会社では48歳になると『セカンドキャリア研修』というのがあります。そこで耳にタコができるほど『自立』『自分らしく生きる』という言葉を講師が連発するんです。自立という言葉を借りた、肩たたき研修です。

 退職を選択しないと、地方や系列会社に行かされるわけです。世間一般ではそういうポジションに甘んじることを、しがみつく、と表現しますよね? 僕自身、数年前まではそう思っていました。

 でも、そういうアッパーミドルが就くポジションって、新しいチャレンジこそないですけど、そこでの仕事も会社にとっては必要な仕事です。給料も減ります。でも、自分さえ腐らず、しっかりと歯車として働けば会社に貢献できるんです。

 結局、出世競争に敗れた会社員は、楽して給料だけもらってる、と思われる。それが自分としては悔しいんですけど。河合さんは会社員というのをどう見ているのかなぁ、って思ったので。変な質問でしたね。あっはは。すみません。忘れてください」

他人には絶対に口外しない不安

 ……とまぁ、やりとりはこんな感じだったのだが、今思えば彼はいろいろな意味で「不安」だったのだと思う。

 というか、50前後の会社員で不安を感じてない人に私はこれまで会ったことがない。

全く感じてないという人がもしいたら、それは「ものすご~く幸せな世界中に数%しかいない人」か、「大人になりきれてない夢見るオジサン」のどちらかだと思う。

 そもそも不安という感情は決して悪者ではなく、成熟するためには極めて大切な感情だと個人的には考えている。

 例えば30代、40代前半までは中途半端な正義を振りかざし、「はい! ごもっとも!」と少々鼻につく物言いの人でも、50歳前後になるとが然「人」っぽくなる。話に「温度」が出る。

 そして、そこには例外なく「他人には絶対に口外しない不安が存在する」というのが、私がこれまで何十人、いや、何百人もの40代後半~50代前半の人たちにインタビューしてきてたどり着いた結論である。

 かくいう私も、そういうお年頃になり「不安」が常態化するようになった。

 その不安は、予期しなかった人生の岐路に立たされ抱くこともあれば、自分でも信じられないような「自分」の決断に抱く場合もある。10人いたら10通りのストーリーがあるのだが、共通して「自分がやってきたことへの自負心」と「自分や自分の世界の変化」とのぶつかり合いが存在する。「自分と比較可能な他者の喪失による戸惑い」と言い換えることもできる。

いずれにせよ「会社員」たちの告白は、時に切なく、時にうらやましく、時に「ウダウダ言ってないでGO!」と背中を押したくなるほどじれったかった。

 今回、男性が「会社員」という言葉にこだわったのも、彼にとって「会社員」という言葉は、自分の存在意義、会社に必要とされているという感覚と同義なのに、

「いつまで会社にしがみついてんだよ」

「会社に依存しないで、自立しろよ」

「一つの会社しか知らないのって、つまらない人生だな」

と思われるんだろうなぁ~と案じ、「ん? ひょっとして会社員である自分は甘えているのか?」と私に質問したのだろう。

モビルスーツを着ていた法人である自分

 ふむ。よくよく考えていくと会社員とは不思議な「いきもの」だとつくづく思う。

 学生たちはみな「会社員」になりたくて、“国葬”のような格好で就活に精を出し、「会社員」になれたことに喜ぶ。

 ところが、「会社員」になった途端、「社畜」だのなんだのと会社員をディスり、自分の意見を認めない会社を「この会社に先はないね」と切り捨てる。本当は「自分に力がない」だけかもしれないのに会社や上司のせいにする。

 不満を募らせながらも「会社員」を辞めず、「会社員」をさげすむのである。

 この国で働く人のほとんどが、「過去」あるいは「今」、会社員を経験し、「仕事は?」「ふつーの会社員です」とほとんどの人が答える「会社員」。

 会社員って一体なんなのだろう?

 作家の伊井直行さんが『会社員とは何者か?』というタイトルの本を出し、会社員小説で描かれている会社員について論じているのだが、これが実に面白い。

 伊井さん曰く、

「会社員小説において、会社員である時には家庭(私生活)が見えず、家庭にいる会社員を描いた時には、会社が見えない」と。

 これは人間の半身しかとらえていないことを意味し、「会社に勤める人間を描いても、なぜかいい小説にならない」理由がここにあるという。

 で、そういった会社員小説の構造は「1人の人間が会社では法人に、家庭では自然人になること」から生じていると説く。

 「会社員小説においてガンダム(ロボットに入りロボットの一部になることの比喩)を下りて自然人に戻ると、会社員である登場人物は、モビルスーツを着ていた法人である自分を忘れてしまう。逆もまた同様。元は1人である2人が、お互いを疎外しあっている」

とし、

 日本の自殺者の多さは「モノでもあるヒト、二人であり一人である会社員の自己疎外が生んだ悲劇であるかもしれない」と、自らが会社員を辞めた経験を交え推察している。

 自己疎外。難しい言葉だ。

 元々はヘーゲルやマルクスが用いた言葉だが、平たくいうと「自分を見失った状態」に近く、自分と置かれた環境に折り合いをつけられなかったり、自分の身に生じていることを把握できていない状態を意味する。

 健康社会学的には自己疎外は生きる力を妨げる感情なので、伊井さんの自殺との関連には至極納得した。

 と同時に、会社員じゃない私は、“ガンダム”の怖さに時折遭遇しているので、「ガンダム」という表現は秀逸だと思う。作家先生に失礼極まりないのだが、「流石です!」。

 私のような非会社員は、しょせん、会社という組織の出入り業者でしかなく、そういう人間に対して「会社員」が「会社員の人格」を表出させた時の怖さを、これまで何度も経験した。

 “ガンダム”の物言いはスーパー上から目線で、一個人として交わされる会話とは別人格。そのギャップに、私は繰り返し翻弄されてきた。

 そして、隙のない、「全くもってその通りです!」とうなずくしかない選択を余儀なくされたとき、「ああ、この人は出世していくんだろうな~」などと妙に納得してしまうのだ。

 ただし、ガンダムの操縦が許されるのは基本的には「正社員かつ50歳未満」のみで、50歳以上の場合、出世街道を歩く一部のエリートという条件がある。それ以外の人たちは油を注いだり、動作点検という地味な作業を強いられる。

 が、それも「会社員」の大切な仕事だ。

「会社員」という身分に安住すると……

 冒頭の男性が言う通り、若い時と同じような歯車じゃないかもしれないけど、それも立派な「会社員」だ。

 そもそも会社を英語で言うと、COMPANY(カンパニー)となるが、COMPANYは、「ともに(COM)パン(Pains)を食べる仲間(Y)」のこと。

 

 つまり、会社とは、「(食事など)何か一緒に行動する集団」であり、会社員はそのメンバーである。

 私が会社員という身分でなくなった時、「会社員っていうのは、その場所に“いる”ことも、大切な仕事なんだなぁ」と感じたことがある。その場所にいるとは、ガンダムの動きがよくなるように、操縦している人が少しでも操縦しやすいように縁の下の力持ちになるってこと。

 そして、その当たり前を忘れた時、人は会社員をさげずむ「会社員という病」に陥り、名ばかり会社員になる。

 思考が停止し、「会社員」という身分に安住した時「会社員という病」になってしまうのだ。

 以前、会社員時代にペンネームで会社の事情を書き作家デビューした方と話をさせてもらったことがある。

 その時「なぜ、ペンネームにしたのか?」と聞いたら、「会社員の身分のままで会社に隠して会社のことを書くのに、本名で書くわけにいかないでしょ?」と返された。

 つい私はそこで、「会社員の身分のままって……なんかズルイ」と口走ってしまい、慌てて「あ、でも、会社の仕事は?」と中途半端な質問をしたら彼はこう答えた。

 「僕がね、笑顔になったんです。楽しそうに左遷先の仕事ができた」と。

 この時はちぐはぐな受け答えに戸惑い、男性の言葉の真意が理解できなかったけど、男性は会社での自分の存在意義を「笑顔になった」という言葉で捉えた。男性は会社員をさげずんでなかった。

ふむ。これが「会社員」なのだ。

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