今回も、高齢者の話をする。
 退屈そうだと思った人は、別の記事に進まれるのがよろしかろう。
 そのほうが、お互いに無駄な時間を使わなくて済む。

 人生の時間は有限だ。
 大切なのは何をするかではなく、何をしないかであり、より実効的な指針は、どこかにあるかもしれない有意義な文章を探しに行くことではなく、目に前にある無駄なテキストを読まないことだ。
 では、ごきげんよう。

 「シルバー民主主義」という言葉をはじめて聞いたのは、5年ほど前のことだったろうか。

 初出のタイミングについて、私は、正確なところを知らないのだが、ともあれ、この言葉が、数年前までは、わりと単純に「高齢者の政治的発言力が高まる傾向」ぐらいな意味で使われていたことは、なんとなく記憶している。

 背景となっていた理屈は、人口構成に占める高齢者の割合が高まりつつある流れを反映して、選挙や世論調査において、高齢者の影響力が増し、ために、現実の政治においても高齢者向けの施策が優先されがちになっている、といったようなお話だった。

 この傾向は、現在でも変わっていない。
 より顕著になってきているかもしれない。

 選挙では、ただでさえ人口の多い高齢者が、投票率においても若年層を圧倒しているために、その発言力はより大きくなる。

 で、政治家は高齢者の票を強く意識するようになり、テレビメディアもまた、在宅率が高くテレビ視聴時間の長い高齢層に焦点を当てた番組づくりに注力している。

 最近、気になっているのは、この「シルバー民主主義」という用語が、言われはじめた当初と比べて、よりネガティブなニュアンスで使用されていることだ。

 どういうことなのかというと、「シルバー民主主義」には、
 「老害」
 「頑迷で考えの浅い老人たちが政治を壟断している」
 「無駄なノスタルジーに浸る団塊の連中が例によって奇妙な影響力を発揮しようとしている」
 「テレビばっかり見ているじいさんばあさんが日本の政治を停滞させている」
 「ヒマな老人って、やたら選挙に行くんだよね」
 「っていうか、あの人たち政治だの揉め事だのが大好きだから」
 「きっと無知な分だけ声がデカいんだろうな」

 という感じの行間の叫びみたいなものが含まれ始めているということだ。

 昨今のネット論壇の文脈では、「シルバー民主主義」なるフレーズは、「衆愚政治」「商業主義マスコミ」「スキャンダリズム報道」「センセーショナリズム」「出歯亀ワイド」「メディアスクラム」といったあたりの言葉と同じテーブルに並ぶことになっている。で、それらをひっくるめた全体的な流れとして、

 「スポンサーのカネに目がくらんだ邪悪なマスコミが、蒙昧な大衆を煽動して不穏な政治的偏向を助長している」

 ぐらいな論調を形成するわけだ。

 総人口の中に高齢者が占める割合が増えていることはまぎれもない事実だ。
 この傾向が、引き続き持続するであろうこともほぼ間違いない。
 当然の帰結として、政治なり経済なりマスコミなりの想定ターゲットが高齢者にシフトすることもまた、わかりきった話だ。

 とはいえ、だからといって、そのことをもって単純に政治や文化が劣化すると断じて良いものではないはずだ。
 ここのところで安易な短絡をやらかしたら、ここから先の議論が、まるごと凶悪なアジテーションに収束してしまう。 

 むしろ警戒せねばならないのは、若年層と中高年層の間に無理やりに線を引っぱって分断をはかろうとする人々の論法なのであって、私が個人的にこの5年ほど懸念を抱いているのも、必要のない場所でやたらと世代論を持ち出す論者の語り口であったりする。

 であるからして、私の中では、「シルバー民主主義」は、「老害」と同じく、要警戒なワードとして分類してある。

 誰かの文章の中に、この言葉を見つけたら、私は、以降、警戒モードで文章を読み進めることにしている。
 そうしない時は、その場でウィンドウを閉じる。
 大切なのは、有意義な文章を読むことより、悪影響をもたらすテキストを排除することだからだ。

 2つほど、実例を紹介する。

 ひとつめは、7月24日に配信された山本一郎という個人投資家・作家による「年寄り民主主義とテレビ番組に反政府を煽られて勝敗が決した仙台市長選」というタイトルの記事だ(こちら)。

 記事の中で、山本氏は「シルバー民主主義」という言葉をあえて使わず、代わりに「年寄り民主主義」というより侮蔑的に響くフレーズを採用している。

《民進党と社民党の支持、共産党と自由党の支援を受けた野党統一候補である郡和子女史の当選については、幅広い支持というよりは50代以上女性からの厚い支持とそこまで高くはならなかった投票率によって当選に漕ぎ着けた印象で、反安倍現象以上に「シルバーデモクラシー」と呼ばれる年寄り民主主義の到来のように見えます。》

 と、山本氏は書いている。

「年寄り民主主義の到来」

 という言い方をしていることでもわかる通り、山本氏は、「年寄り民主主義」を、ほぼ「衆愚政治」と同じニュアンスで使っている。

 「年寄り民主主義」は、民主主義そのものの老化ないしは劣化の行き着く果てとして、われわれの社会に「到来」しつつあるもので、おそらく、彼の見立てでは、一種の災厄てなことになるのだろう。

 細かいところを見ていくと、この原稿の中で引用されている最初のグラフは、
「各社出口調査から推定される年代別投票率の推計」
 ということになっているのだが、「各社」が具体的にどの会社とどの会社を指しているのかが示されていない。「推計」が誰によってどのように為されたのかについても説明がない。次の《「仙台市長選の各社平均の速報値(暫定)。安倍政権支持率と得票がやや連動している》とキャプションがつけられているグラフの、「各社」も同様だ。

 《一方、仙台市長選のグループインタビューにおいてはサンプル数が少ないながらも郡和子女史に投票した中高年女性の53%ほどが「特に(郡女史を)支持していない」「郡女史の政策を知らない」と回答しています。》として引用されている、「グループインタビュー」が、誰によってどういうサンプル数で、いつ実施されたものであるのかについても、まったく説明がない。

 記事の中で数字として示されている、かに見えるエビデンスやファクトに、ソースとして示して欲しい部分が欠けているのは、論客の山本氏にしては残念なところだが、もっと気になるのは、無造作に使われている「反政府」という言葉の不穏さだ。

 タイトルからして
「年寄り民主主義とテレビ番組に反政府を煽られて勝敗が決した仙台市長選」
 と、テレビが「反政府」を煽っているかのごとき前提で書かれている。

 では、テレビは、「反政府」を煽っているのだろうか。
 私はそうは思わない。

 7月に入ってからこっち、朝昼の情報ワイド番組が、政権の疑惑についての報道を連日繰り返していることは事実だ。
 が、テレビ局のスタッフは、「反政府」を煽るためにその種のニュースをヘビーローテーションしているのではない。
 おそらくは、単に数字の穫れる話題を重点的に追いかけているに過ぎない。

 この傾向を「反政府」という言葉で説明する態度は、それこそ、昨今流行している言葉で言えば、悪質な印象操作になろうかと思う。
 でなくても、あまりにもばかげている。
 政権の疑惑を報じることと、反政府を煽ることは同じではない。

 「反政府」という用語ないしは接頭語は、「反政府ゲリラ」「反政府一斉蜂起」という多少とも暴力的な要素を含む文脈で使われる言葉で、テレビ番組の編集方針や特定の候補に票を投じた市民の政治的傾向を描写する場面で不用意に使って良いものではない。

 記事の中で、山本氏が指摘している通り、民進党と社民党の支持、共産党と自由党の支援を受けた野党統一候補である郡和子氏に投票した人々の中に、安倍政権を支持しない層の市民が多かったことは事実だと思う。

 が、「安倍政権を支持しない」ということを、「反政府」という言葉でくくるのは、当たり前の話だが、適切な用語法ではない。

 まあ、ここのところは、「反日」と言わなかっただけでも良心的だったと考えてさしあげるべきところなのかもしれない。
 ともあれ、テレビが政権の打倒を煽ったから、それに乗せられた老人層が極端な投票行動に走ったみたいな分析の仕方は、あまりにも有権者を愚弄したものの見方だろう。

 2つめの実例は、7月22日にアゴラというサイトに掲載された

《マスコミを極左化させる「文学部バイアス」》

 というタイトルの記事だ(こちら)。

 この記事の中でも、シルバー民主主義とテレビディアの蜜月が指摘されている。
 筆者の池田信夫氏は、記事の中で「ワイドショーに登場するコメンテーターが極左化する」理由として、3つの理由を挙げている。そのうちの1つ目が

《第一はマーケティングだ。テレビの主要な視聴者である老人は、ちょっと前までは戦争の記憶があり、特に戦争から生還した世代には「押しつけ憲法」に対する反感が強かったが、そういう世代はいなくなり、団塊の世代が主要な客になった。彼らは子供のころ「平和憲法」の教育を受けたので、ガラパゴス平和主義になじみやすい。》

 ということになっている。

 「ガラパゴス平和主義」というのは、たぶん池田氏の造語で、「世界の現状から取り残された日本国内でだけ通用する自閉的で幻想的な平和主義」といったほどの意味だと思うのだが、いずれにせよ、テレビの主要な視聴者層を「老人」と決めつけていることからも、彼が「テレビ漬けの老人たち」のアタマの中身をあまり高く評価していないことはたしかだと思う。

 この論考の中では、「文学部バイアス」という言葉がなかなか印象深い。
 意味するところは以下のとおりだ。

《第二は業界のバイアスだ。マスコミに入る学生は超エリートではなく、役所に入れる法学部や銀行に入れる経済学部には、マスコミ志望は少ない(私のころ東大経済学部からNHKに入る学生は、2年に1人ぐらいだった)。多いのは普通の会社に就職できない文学部卒で、法学部エリートに対する左翼的ルサンチマンがある。現場を離れると、正直になるのかもしれない。》

 どうやら、池田信夫氏は、マスコミに就職する文学部出身の人間たちが、役所や銀行に行った法学部や経済学部の学生たちに「左翼的ルサンチマン」を抱いていて、その気持ちが、「文学部バイアス」として、反体制な報道を呼び寄せると考えているらしい。

 なんだかめまいがしてくるようなお話だ。
 特に論評はしない。各自、自己責任でくらくらしてください。

 テレビ番組を「反政府」と呼ぶことが適切であるのかどうかはともかく、この1か月ほど、民放各局の報道・情報番組のタイムテーブルの中で、政権に対して批判的な内容を含むニュースの割合が増えたことは、山本、池田両氏が指摘している通り、明らかな事実だ。

 テレビの主たる視聴者層が高齢者であり、1日の中で最も長時間テレビを見ている人々が高齢者層であることも、また彼らが指摘している通りだ。

 ということは、言葉の使い方はともかくとして、彼らの論旨が的を射ているではないか、という見方も成立するとは思う。

 私は、この種の議論を展開する際には、因果関係を慎重に見極めなければならないと考えている。

 つまり、テレビが政権にとってダメージになる情報を積極的に流すようになったから、有権者がそのテレビ報道に煽られて、反政権的な気持ちを強く抱くようになって、その結果、与党が選挙で負けるようになったというふうに考えるべきなのか、逆に、そもそも視聴者の中に政権に対して不信感を抱く人々が増えたから、政権の疑惑を追及する番組企画の視聴率が上がって、その高視聴率に対応してテレビがその種の企画を連発するようになり、一方選挙では、有権者の政権への不信感を反映して、与党が敗北する結果があらわれるようになったと見るべきなのか。

 どちらが正しいのかは正直言って分からない。
 分かるのは、これは、簡単には決められないということだけだ。

 最後に産経新聞とFNNが合同で実施した世論調査の結果を見てみよう(こちら)。

 これを見ると、全体として、安倍政権の支持率は、高齢者になるほど低い。

 しかしながら、5月から7月に至る推移を見ると、最も大きく支持率を減らしているのは10代~20代の女性であり(70.6%→33.8%。同年代の男性は70.8%→44.4%)、数字として最も低い支持率を記録しているのは、40代、50代の女性だ(29.4%、27.8%)。

 この結果を見る限り、テレビに影響されて反政府に翻った人々がいるのだとしたら、それは高齢者であるよりは、むしろそれ以外の層だということになる。

 というのも、高齢者層の政権支持率は、テレビが政権批判報道の比率を高める前の5月から、すでに平均より低かったからだ(同様に5月と7月で比較すると、60代以上の男性は56.6%→30.3%、女性は42.9%→30.1%、全体平均は男性で60.3%→38.6%、女性で52.1%→31.0%)。

 数字の読み方は、こちらの読み方次第で、ある程度どうにでもなるものだ。
 なので、私は、特定の社の世論調査の結果を見て、政権支持層の分布を断定的に語ろうとは思わない。

 ただ、ひとつ言えるのは、現状において「シルバー民主主義」「シルバーデモクラシー」「年寄り民主主義」といったあたりの用語を見出しに持ってきたうえで展開される記事は、高齢者への偏見を利用した眉唾モノの立論だと思って、眉毛に唾をつけてから読みにかかるほうが無難だということだ。

 誰かを悪者にする耳当たりのいい「正論」を、目くらましに使っているだけかもしれない。

 もちろん、ハナから読まないという選択肢もある。
 むしろ、正しいのはそっちかとも思う。

 確率論的に言えば、ウェブ上のテキストであれ、活字であれ、脳にとって有害な文章の方が多いからだ。

 当稿も、読者を選ぶタイプのテキストではある。
 面白くないと思ったあなたにとっては、有害だったはずだ。
 貴重な時間を浪費させてすまなかった。
 ラジオ体操でもして、忘れてくれ。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

え、私ですか?
私大文学部哲学科美術史専攻、ルサンチマンの塊です(笑)。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。