日本レスリング協会、日大アメフト部に続きボクシング界でも不祥事が明らかになった(写真:Artem_Furman/Getty Images)
日本レスリング協会、日大アメフト部に続きボクシング界でも不祥事が明らかになった(写真:Artem_Furman/Getty Images)

 このところのスポーツ界は、一体どうなってしまったのか? 指導者や競技団体幹部による理解しがたい出来事が続いている。

 女子レスリングにおける指導者のパワハラ。
 日本大学アメリカンフットボール部における悪質タックル。
 そして、日本ボクシング連盟会長の不正を糾弾する告発状が出された問題。

 何だかよく分からないが、何かが間違っている。旧態依然とした悪癖を恥じることなく続けていたのだろうか。

 次から次へと起こる不祥事を受けて、気が付けば休むことなくテレビに出演している。スポーツの存在価値を守りたいとの思いで連日番組でコメントを発しているのだが、果たして役に立てているのかどうか?

 新たに発覚する事態に振り回され、それを理解することに終始しているような気もする。とにかくついていくのが精一杯というほどの嫌な出来事が、どうしようもなく続いているのだ。

 まだ、ボクシングの問題は始まったばかりだし、女子レスリングの問題もアメフトの問題も、解決したわけではない。選手たちのケアを含め、じっくりとこの後の展開を見守っていく必要がある。

 それぞれの問題には、まだまだ解決していない要素がたくさんあって、それらをテーマに書き続けても、軽く当コラムの10本や20本にはなるだろう。だから、こうした問題の1つひとつを取り上げることはやめようと思う。

 その代わりに今回書こうと思うのは、すべての問題に通底するある種の「おごり」や「傲慢さ」が、いったいどこから来ているのか……ということである。

 ボクシングが好きだった米国の文豪アーネスト・ヘミングウェイがこんな言葉を残している。

 「勝者には何もやるな」

 実は、女子レスリングの一件が起こった時から、この言葉が私の頭の中でリフレインしていた。なぜなら、そこに答えのようなものがあるように感じていたからだ。

 「勝者には何もやるな」は、1933年に出版されたヘミングウェイの短編集のタイトルだ。本の表題であって、同名の短編が収められているわけではない。十数に及ぶ短編を通じて彼が伝えたかったことが、「勝者には何もやるな」ということなのだろう。原題は「Winner Take Nothing」である。

 この言葉を素直にそのまま解釈すれば、
 「勝利に勝るものはない」
 「勝利には何物にも代えがたい喜びがある」
 「何ももらわなくても、勝利そのものが最高の贈り物だ」
 といった、スポーツにおける勝利の価値を見事に言い表した言葉に聞こえる。恐らく一般的な解釈と理解は、それでいいのだと思う。それほど「勝利は尊いものだ」という考え方に多く人が共感すると思えるからだ。

勝利至上主義に陥る危険性

 しかし、ヘミングウェイの研究者や何人かの文学者が指摘するこの言葉の意味は、実は上記とまったく違うところにあるという。

 それは、勝利に潜む危険性の指摘だ。

 勝利に金品や名誉や賞賛など、様々な恩恵が付くことによってそれを強烈に求める至上主義が始まる。そうなると我々は手段を選ばず、ひたすら勝利だけを求める道に邁進してしまう。そして勝者がすべて正しいという価値観や判断を作ってしまう。その結果、勝者のルールがすべてを支配する。

 その最たるものが戦争だ、とヘミングウェイは警鐘を鳴らしているのだという解釈である。

 私は、正直に言って、当初はその解釈を上手く理解できていなかった。スポーツの体験を通じて「勝利に勝るものはない」という理解が、私の中でしっくりきていたからだ。

 しかし、ここへきて勝利に潜む危険性という考え方が、私の中で大きく意味を持つことになった。それは、度重なるスポーツの不祥事が、まさにそこにこそ原因があると思われてならないからだ。

 女子レスリングの問題も、アメフトの問題も、そしてボクシングの疑惑も勝利によって、何かが間違い出した結果として起こっている気がしてならない。勝ったことで生まれたおごり、勝ったことですべてが正しいと思い込んでしまう傲慢さ、勝ったことで自分のルールがすべてを支配すると勘違いしてしまう愚かさ、様々なことが、五輪で金メダルを取ったり、日本一になったりすることで生まれる慢心やおごりから始まる危険性がある。

 だからこそ「勝者には何もやるな」と最大限の注意を喚起しなければならないのだ。

 勝利は私たちを満たしてくれるものであり、私たちを腐敗させるものでもある。その怖さをヘミングウェイが言っているとしたら、それはまさにノーベル賞作家の慧眼(けいがん)というべきだろう。

「老人」も獲った巨大魚を失う

 文豪の名言に感心して感傷に浸っている余裕はないのが今のスポーツ界だ。現実の解決策を打ち出して、少しでも良い方向に進展させていかなければならない。

 ただ、その改善策を考えていく第一歩として、勝利の持つ危険性をどこかで意識しておかなければ、勝利や成功が私たちを思わぬ方向に走らせることになる。

 「勝者には何もやるな」
 勝利や成功ほど、怖いものはないのだ。

 子どものころ、夏休みの課題図書で読んだヘミングウェイの『老人と海』を思い出す。巨大カジキマグロとの4日間に及ぶ死闘に勝った老人だが、港に帰る途中でその戦利品はサメに襲われて骨だけになってしまう。今思えば、ここにも「勝者には何もやるな」の哲学が貫かれている。老人はこの後も、大漁を夢見て質素な日々を送る。

 やはり夏休みに読むべき本である。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。