「スジ」の日本、「量」の中国という切り口の連載も5回目、今回は少し違った角度から話をしたい。

 連載の初回で「こういう“スジか、量か”という基本的な判断基準の違いは、現実社会のあらゆるところに影響している。やや大げさに言えば、国家や社会の成り立ちそのものを規定しているとさえ言ってもいい」と書いた。

 そういう視点から今回は中国の法律にからむ話をする。いわば「量と法律」である。

 端的に言えば、日本社会は「スジ」を基準にものごとの判断をするので、「何が犯罪か」は明確だ。法律に違反することは即、犯罪である。
 一方、中国は?

 「え、ということはまさか」と思うかもしれないが、「量」を基準に判断をする傾向が強い社会なので、「犯罪であるか、ないか」は犯した行為の「量=大きさ」に影響を受ける。

 わかりやすく言ってしまうと、中国社会では「法律に違反しているが、社会的影響が大きくない」ことは「犯罪」ではない――という考え方をするのだ。

 例えば、中国で少額のお金を盗むのはもちろん社会通念として悪いことであるし、違法行為だが、それを刑法の論理では「犯罪」とは見なさない。一定以上のお金を盗んで初めて「犯罪」になる。

 普通の日本人が聞いたら、まさしく「えっ」と思うような話だと思う。が、本当である。これは私が言っているわけではなく、中国の刑法学者の皆さんが言っていることだから間違いない。

 スジと量の違いが、お互いに最も飲み込みにくい部分かもしれない。
 本日はこのへんの話をしたいと思う。

「たいした金額でなければ警察は来ない」

 刑法学が専門の一橋大学法学研究科、王雲海教授(法学博士)の著書の中に興味深い一節がある。王教授は中国と日本の刑法に精通し、その政治的、文化的背景を深く理解している研究者である。著書の一部を引用する(太字化は筆者)。

 中国へ旅行して泥棒に遭い、相手を現行犯として捕まえて警察に通報したら、どのような反応が返って来るであろうか。「すぐ行きます」と答えて、警察が犯人を逮捕してくれると思う人が多いであろうが、実はそうではない。

 多くの場合、警察は、どれくらい盗まれたのかをまず聞くのである。貴重品や高額な金であれば、警察は飛んで来て犯人を逮捕してくれるかもしれないが、大した金額でなければ警察は普通来ないし、来ても犯人を逮捕してくれない。こうした対応は、中国の警察が責任感が薄く、厳粛な法執行を行わないからではない。中国における犯罪と刑罰の特徴やパターンから来る、ごく自然な対応なのである。

「日本の刑罰は重いか軽いか 」(集英社新書) 174ページ

 盗んだことが明らかでも、金額が少ないと警察は来ないという。なぜこのような対応になるのか。

 その根底には「量」を基準にものごとを判断する傾向がある中国社会の発想がある。「犯罪であるか、ないか」自体を決めるのに、「出来事の大きさ」が大きく影響するのである。

 王教授によれば、中国の刑法は犯罪行為を「質」と「量」の2つの側面からとらえている。「質」とはいわば「何を犯罪とするか」という要件のようなもので、「これこれ、こういう条件を満たしたものが犯罪である」という一種の定義である。一方、犯罪の「量」とは、まさに「スジか、量か」の「量」で、その犯罪の社会に与えた現実的影響、例えば盗んだお金の額や行為の悪質さといったようなものである。

 この「質」と「量」の両者が揃って、中国では初めて「犯罪」となる。「法律に違反した」だけでは「犯罪」ではない。

 一方、日本の刑法は犯罪行為を「質」の面だけでとらえている、と王教授は指摘する。つまり日本の法律は「何をしたか」だけで犯罪かどうかが決まる。犯罪の「量=大きさ」は関係がない。どんな小さなことでも、違法な行為をすれば即、犯罪である。

 これはまさに「スジ論」の発想である。法律に反することはやる「べき」ではないのだから、仮に些細なことであっても、違法は違法、犯罪は犯罪である。たいした実害がなかったから犯罪でない、とはいかないのである。

「法律違反だが、犯罪ではない」こととは?

 犯罪行為の「質」と「量」に関して、再び王教授の言を引用する。違う文献からの引用で、一部内容が重複するがご容赦いただきたい。

 中国では、犯罪の「質と量」が問われます。これに対して日本では、犯罪を純粋に「質」的概念でとらえています。たとえば、窃盗罪。中国で泥棒に遭って警察に通報したら、「いくら盗られたか」がまず問われます。一定の金額以上を盗らないと窃盗罪にならないのです。

 これに対して、日本では「盗った」こと自体で窃盗罪が成り立ちます。大阪の中学生がコンビニエンスストアの電源から無断で携帯電話を充電したことで、窃盗罪として送検されたケースがあります。金額からいえば数円程度でも、日本では窃盗罪に問われるのです。中国では、少額の万引では警察は動きません。

一橋大学広報誌HQ vol.32 秋号(2011年10月)

 このように、「犯罪」となるには「質」と「量」の両方が必要だという。そうだとすれば王教授が指摘するように、「質的」には法律違反であるが、「量的」には犯罪ではない――という行為が出てくることになる。

 例えば中国の刑法では、第二百六十四条【窃盗罪】の条文で「窃盗とは公私の財物を盗むこと」としたうえで以下のように規定している。(訳は筆者。一部簡略化した部分がある)

金額の比較的大きいもの、あるいは複数回の窃盗、侵入盗、凶器を携帯した窃盗、スリなどは三年以下の懲役、罰金などに処す

金額の巨額なもの、あるいは情状の重いものは三年以上十年以下の懲役および罰金

金額の特に巨額なもの、あるいは特に情状の重いものは十年以上の懲役もしくは無期懲役および罰金あるいは財産没収

 「金額の比較的大きい」「金額の巨額な」「特に金額の巨額な」と3段階に分けて記述しているのが面白い。さらに最も興味深いのは、窃盗罪とは「金額の比較的大きいもの」以上のことを指すのであって、「金額が比較的大きくない」ものは窃盗罪に含めていないことである。

 では、その「金額」はどのように決まるのか。そこには最高法院(最高裁)の解釈によるガイドラインがあって、それはおおむね以下のようになっている。

一、“金額が比較的大きい” 500~2000元

二、“金額が巨額” 5000~2万元

三、“金額が特別に巨額”  3~10万元 (1元は約17円)

 これはあくまで目安で、その犯罪が発生した土地の所得の高低などによって、この金額は変動することになっている。この基準はやや時代が古く、現在の感覚では5000~2万元では「巨額」とはとても言えないが、いずれにしても、中国では500元以下の盗みは、刑法上は窃盗罪にならない。

 中国の気鋭の刑法学者、武漢大学法学院の陳家林教授(法学博士)は論文中で以下のように述べている。

 中国では、違法行為と犯罪は二つの異なった概念である。犯罪の成否は、社会に与える危害の程度による。中国における通説によれば、犯罪とは、著しい社会危害性があり、刑事不法となり、刑事罰に値すべき行為を指す。中国刑法第13条には、「犯情が極めて軽く、危害が著しくない場合は犯罪にならない」とある。したがって、中国では犯罪かどうかを決定する主たる判断基準は、社会危害性の大きさであり、行為の類型ではないのである。

「中国刑法の理論と実務の現状」関西大学法学研究所 2010年6月

 前述の王雲海教授も以下のように言う。

 (中国では)犯罪や逮捕については質的要件だけでなく量的要件も必要とされているため、法律上も実際上も、違法と犯罪という二つの概念が形成され、両者がはっきりと区別される。犯罪は違法でなければならないが、しかし違法の全てが犯罪ではない。違法行為をしたからと言って、その全てが犯罪として逮捕され、刑罰を科すことができるわけではない。違法行為のなかでも量が大きいものだけが犯罪とされ、逮捕して刑罰を科すのである

前掲書 174~175ページ

ということは、少額なら盗み放題?

 ここまで読まれた方は疑問を持たれたかもしれない。「では中国では500元以下の財物は盗み放題なのか」と。

 これについても前述の王教授が著書で説明している。

 「規定の金額に至らなかった場合は、そのまま窃盗行為を不問にするのかと疑問を持つ読者がいるかもしれないが、そのまま放置される時もあれば、治安管理処罰法で行政処分を科すこともある。加害者と被害者の間で解決するときもあれば、所属の機関などで叱責されて済むときもある。いずれにしても、少し物を盗んだからと言って、犯罪として大騒ぎになることがなく、すぐに沈静化するのである」

前掲書 130ページ

 このような「違法行為の中で量(=社会的影響)が大きいものだけが犯罪」という概念は、日本社会ではまず出てこないものだろう。私も含めてだが、多くの日本人は違和感を持つのではないかと思う。

 一方、日本の刑法の窃盗に関する条文はシンプルで

刑法第235条

他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

 とある。条文としてはこれだけである。日本の「犯罪」は「法律に違反すること」そのものであり、違法行為の大小で犯罪になったりならなかったりという発想はない。他人の財物を窃取した者は、金額の多寡に関係なく、その時点で窃盗罪である。そして、どんなに高額のものを山ほど盗んでも最高刑は懲役10年で、それ以上にはならない。

 もちろん日本でも、軽微な犯罪に対しては現場の警察官が説諭に留めたり、警察が「微罪」と判断して検察庁に送らなかったりという判断はある。そうなれば刑法上の「犯罪」にはならないが、それはあくまで現場の裁量でそう処理したという話であって、中国のように明確に「危害が著しくない場合は犯罪にならない」と法律に書いてあるわけではない。

かつては「自転車窃盗で死刑」も

 だいぶ以前の話だが、中国の新聞を読んでいたら、都合200台の自転車を盗んでは売りさばいて生活費にしていた女性が捕まり、裁判の結果、死刑を宣告された――というものがあった。台数は多いとはいえ「中国では自転車泥棒で死刑になるのか」と驚いたことを覚えている。このニュースの出所を探したのだが見つからない。たぶん10年以上前の話だと思う。

 さすがにこれはいささか極端であって、2011年の刑法修正で窃盗罪は死刑が適用される犯罪から外された。そのため現在では窃盗罪で死刑になることはないが、当時の刑法には以下のような条文があった。

次に掲げる事情に該当する場合、無期懲役または死刑に処し、財産を没収。

一、金融機関で窃盗し、その額が特に巨額である場合。

二、珍貴文物を窃取し、その情状が重い場合。

 200台の自転車窃盗が「特に巨額」とか「珍貴文物」に相当するかは疑問だが、ともかく窃盗で死刑になる可能性はあったわけである。「量」の発想ここに極まれりという感じだが、当時の社会状況下、権力者はそういう発想だったのだろう。

酒井法子さんのこと

 話は変わるが、先日あるニュースサイトを見ていたら、歌手・タレントの酒井法子さんの記事が目に止まった。「酒井法子 復帰会見から5年目…今も遠いテレビ復帰への道のり」というもので、

 「12年11月に執行猶予が明けて復帰会見をしてから5年目になります。それでも、なかなか本格的なテレビ復帰を果たすことができていません」(芸能記者)

 というコメントがついている。

 一方で、記事によれば酒井さんは現在「中国で絶大な人気」があり、今年は1978年の日中平和友好条約締結から40周年にあたり、各種記念行事なども行われることから、「何か力になれることがあればうれしい」と語っているという。

 「絶大な人気」とはいっても、さほどメジャーな領域で活躍している話は聞かないし、中国でも冷めた見方をする人はいる。そんなに簡単な話ではないと思うが、確かに日本よりは彼女に対する視線が温かいのは事実だろう。

 酒井さんは覚醒剤事件のはるか前、日本の芸能界がまだ中国に本格的に目を向けていなかった1990年代から中国語の歌曲を発表するなど台湾や中国大陸に積極的にプロモーションしていた。95年に放送されたテレビドラマ「星の金貨」は中国でも大きな評判を呼び、その愛くるしさは男女や年齢層を問わず深く愛された。

 そういう彼女に対して、「愛する娘が間違いを犯してしまって、残念ではあるが、まあ人を殺めたわけでもないし、反省して地道に頑張っているのだから、まあいいじゃないか」みたいな雰囲気がある。

「大きさ」を軸に犯罪を考える

 そういった中国の人々の「酒井法子観」の根底にあるのが、「量(=大きさ)」を基準に犯罪を認識するという考え方である。

 事実関係から言えば、酒井さんは2009年(平成21年)、覚醒剤を所持・使用したとして逮捕され、夫(当時)と共に覚せい剤取締法違反で東京地方裁判所から有罪判決を受けた。これは確かに大きな過ちであった。しかし判決に服し、執行猶予期間を終え、その後、5年以上にわたって再犯もないのであれば、覚醒剤の所持・使用という犯罪が生涯糾弾され続けなければならないほど巨大なものだとは私は思わないし、中国の人々の多くもそのように認識していると思う。

 日本はスジ論社会で、「どんなに小さくても犯罪は犯罪」「一事が万事」「ゼロか100か」的な完璧性追求の性格が強く、それが社会の清潔さ、治安の良さ、物事の運びの正確さといったものを生み出している。それは素晴らしいことだが、例えばこういった犯罪、法律みたいな話になると、時代の空気が潔癖性を求めすぎ、狭量かつ窮屈な社会になってしまう恐れがある。

 先に述べたように、日本社会では「法律違反、即、犯罪」であるので、例えば「他人に迷惑をかけてはいけません」という法律や条例があったとすると、「迷惑をかけた」と判断された時点で即、犯罪者になってしまう。その状況が深化すると、「迷惑をかける恐れがある」「誰かが迷惑と感じる可能性がある」「迷惑をかけようと準備をしている」と見られただけで犯罪者扱いされてしまう雰囲気になる。

 最近、電車に乗っているだけで痴漢扱いされかねないとか、街で何気なく写真を撮っただけで犯罪者にされかねないような気分が日本の社会にはある。どう見てもやや行き過ぎで、スジを基本として動く我々の社会を今後も維持していこうと思うならば、「スジ」と「量」のバランスの取れた判断は、逆に非常に重要なことだと私は思う。

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