関西方面から台風の被害を伝える映像が届けられている中、今度は、北海道を大きな地震が襲っている。

 適切な言葉が出てこない。
 天災は、説明できない。
 分析もできない。

 アナハイムでは大谷翔平選手の肘に新たな靭帯の部分断裂が発覚したらしい。
 このニュースもつらい。
 どう論評して良いのやら、見当がつかない。

 とにかく、災害の話題には触れないことにする。
 何ができるわけでもない以上、余計なことを言わずにおくことだけで精一杯だからだ。

 今回は、麻生さんの「名誉白人発言」(←いま命名しました)について考えたい。
 私はがっかりしている。  麻生さん個人に、というよりは、自分を含めた日本人全般に対して失望に似た感情を抱きはじめている。  とてもヘビーな気持ちだ。

 当該の発言を振り返っておく。
 朝日新聞によれば、経緯はこうだ。

《 麻生太郎副総理兼財務相は5日、盛岡市内で開かれた「安倍晋三自民党総裁を応援する会」で、「G7の国の中で、我々は唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」と述べた上で、「今日までその地位を確実にして、世界からの関心が日本に集まっている」と語った。日本以外のG7構成国にも様々な人種がおり、かつてはオバマ氏も米大統領としてG7サミットに参加していた。

 麻生氏は、リーマン・ショックの際も日本が国際通貨基金(IMF)に多大なお金を払って金融危機を乗り越えた、と主張し、日本が世界から注目されていると話した。そんな中、「問題はトランプの発言、行動。これに振り回されている」と述べる一方、トランプ米大統領の信頼を勝ち得たのが安倍氏だとして、総裁選での支持を訴えた。---略--- 》(ソースはこちら

 以上、文意を正確に伝えるべく長々と引用した。

 記事を読み終わって、驚愕した。
 いくらなんでも、21世紀のこの時代に、総理経験者でもある重要閣僚が、公の場所で「人種」をベースにした国家観をあからさまに開陳するとは思っていなかったからだ。

 記事の文体の冷静さというのか、そっけなさにも驚かされた。
 記者は、麻生さんの発言に論評を加えていない。
 発言の事実だけを伝えてパソコン(スマホかもしれませんが)を畳んでいる。
 まるで、政治家が飼っている犬について語ったことを伝えるみたいな、いかにも淡々とした調子で記事をしめくくっている。

 ここのところに、つまり、あえて一切の補足説明を省略したところに、書き手の強い決意のようなものを感じる。

 記者は
 「ああ、これはとんでもない失言だ」
 と、現場で麻生さんの言葉を聴いて、衝撃を受けたはずだ。
 で、その衝撃があまりにも大きかったからこそ、論評を自粛したのだと思う。

 要するに
 「自分があれこれ解説したり補足したり論評したりするまでもなく、現実に盛岡の聴衆の目の前で吐き出されたこの言葉をそのまま正確に書き写せば、それだけで、この衝撃は必ずや全世界に伝わるはずだ」
 と考えたのだろう。

 それほど、記事はあっさりと書かれていて、すべての評価は読者に委ねられている。
 で、結局、記者の狙い(あるいは単に「怠慢」だったのかもしれないわけだが)は、当たっていたように思う。

 というのも、朝日新聞のようなメディアが、今回の麻生さんの演説のような典型的な失言を、例によってとがめる調子で記事化していたら、当今の風潮からして、逆効果を招いていた可能性が高いと思うからだ。

 実際、
「麻生氏の名誉白人発言は今後、各方面からの批判を浴びそうだ」
 てな調子の、「ほらみんなで批判しようぜ」語尾で記事を書いていたら
「また朝日が揚げ足取りの記事を書いてやがる」
「まったく、おそれいったフェイクメディア根性だ」
 みたいな反応がネット上にあふれたはずで、しかも、その種の一部の反応の影響力は、記事の読後感そのものよりも大きい力を発揮したかもしれない。 

 麻生さんは
「G7の国の中で、我々は唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」だと述べている。
 アタマの中の血管に、20世紀の半ば以降新しい血液が供給されていない人間でなければ、こういう発言は出てこないはずだ。
 それほど全方位的に常軌を逸している。

 あたりまえの話だが、21世紀の常識では、どこの国であれ、
 「黄色人種の国」
 であったり
 「白人の国」
 であったりはしない。

 世界中のあらゆる国は、多様な人々によって支えられている。
 当然だが、わが国も黄色人種だけが暮らしている場所ではない。
 とすれば、
 「我々はG7唯一の有色人種だ」
 という麻生さんのものの言い方は、前提からして完全に間違っている。

 なぜなら、「我々は」という複数の主語を選んだ瞬間に、それは単一の人種ではあり得ないからだ。

 「我々」の中には、テニスの大坂なおみ選手やMLBのダルビッシュ有選手のような異国からやってきたルーツを持つ国民が含まれている。私の地元である東京の北区には、アメリカから帰化した日本文学研究の第一人者であるドナルド・キーン氏(漢字表記は「鬼怒鳴門」)が住んでいる。いずれも、普通の意味で言う「黄色人種」ではないが、まぎれもない日本人であり日本国民の一人だ。

 とすれば、「我々は有色人種だ」という言い方は、一部の日本人を排除するフレーズ以外のナニモノでもない。
 一般の人間ならいざしらず、政治家が公的な場所で告知して良い言葉ではない。

 日本がG7における唯一の有色人種メンバーでないのと同じように、G7のほかの国にしたところで、非有色人種の国であるわけではない。どこの国にもあらゆる人種・ないしは民族が暮らしている。

 というよりも、そもそも、G7は、人種的な概念ではない。あくまでも7つの国民国家による協働と話し合いの枠組みであり、申すまでもなく、各々の国の中にいるそれぞれの「国民」が、あらゆる「人種」を含んでいることがG7の前提になっている。

 さらに言えば、「有色人種」という用語自体が、21世紀の政治家が使う言葉としてはもはや不適格だろう。
 でなくても、この言葉を使う人間は、少なくとも現代の政治家としては尊敬されないはずだ。

 人種を「色」の有無で表現した「有色人種」という用語は、事実上、すでに無効化している。
 それどころか、最近では「民族」「人種」を3種類から10種類程度の限られた数で分類する考え方そのものが疑問視されはじめている。「ゲノム解析」「ヒトゲノム」「DNA」「人種」あたりのキーワードを入力して出てきた記事を読めば、20世紀までにわれわれが抱いていた「人種」という概念が、いかにあやふやで根拠の乏しいものであったのかがわかるはずだ。

 記事を読んですぐ、私はツイッター上に

《あまりにも愚かな発言。G7に参加しているのは、もはやどの国であれ「白人の」国家ではない。G7以外の国であっても、単一の人種や民族のためだけの国は事実上存在しない。わが国にしたところで「黄色人種の」国ではない。麻生さんの発言は名誉白人発言と言って良い。バカ過ぎる。》(こちら

《麻生さんのバカさは、「腹の立つバカさ」というよりは、「恥ずかしいバカさ」である点がポイントで、なんというのか、あの人の欠点は日本人ならある程度誰にでも身に覚えのある「わがことのような」愚かさと下品さを含んでいる。だから、責め立てていながらも、わが身をかえりみて恥ずかしくなる。》(こちら

《たとえば、自分の家族や親族が不始末をやらかした場合、腹が立つより先に恥ずかしさを感じるものだと思うのだが、私自身、麻生さんのバカ発言に触れる度に、毎度毎度、身も世もない恥ずかしさに苦しめられる。
同じ日本人であることのどうしようもない恥ずかしさ。 これは本当にこたえる。》(こちら)  

 という一連のツイートを書き込んだ。
 で、これらの書き込みに寄せられたリプライに、さきほど来、断続的にがっかりさせられている。

 冒頭の部分で、
 「麻生さん個人に、というよりは、自分を含めた日本人全般に対して失望に似た感情を抱きはじめている」
 と書いたのは、このことを指している。

 麻生さんを擁護するコメントは予測の範囲内のリアクションでもあるし、たいして気にはならなかった。

 私が失望したのは、
 「G7の他の国が白人国家だなんてことは常識だろ?」
 「日本が黄色人種の国じゃないなんてお話は、統計上の例外をとらえた強弁に過ぎないし、G7が人種的な枠組みじゃないなんていう決めつけもとんだカマトトっぷりのアテクシったらお上品発言だと思うが」
 「驚いたとかびっくりしたとか言ってる騒ぎ方自体が、型通りのリベサヨしぐさだわな」
 「なにを上品ぶってるんだか」
 「犬にうんこされてびっくりしてるマリーアントワネットじゃあるまいし」
 てな調子の、オダジマの偽善を指摘嘲笑指弾唾棄する主旨のリプライが少なくなかったことだ。

 これには参った。
 なぜなら、この種の反応が珍しくないことは、麻生さんの発言が、単なる時代遅れの老人の妄言ではなくて、現代日本の有力な時代精神であることを意味する事実であるわけで、つまるところ、おかしいのは、麻生発言にびっくりしている私の方だということを示唆しているからだ。

 思うに

 「21世紀になったからといって、世界が変わったわけではない」
 「実際、世界を動かしているのは相変わらず白人富裕国家と貧乏有色人種国家のエゴの綱引きじゃないか」
 「そんななかにあってひとり日本だけ名誉白人の地位を得ている現実に誇りを持つことのどこが恥ずかしいと言うんだ」

 的な現状認識をひたすらに「クール」だと思っている自称リアリストの目から見ると、オダジマが麻生発言にあきれてみせている態度そのものが

 「まあ、国家を人種で分類するなんて下品だわ」
 「みんなで手をつないで幸せになるのが外交ざましょ?」

 と言ってる上流夫人のサロン会話と選ぶところのないこっ恥ずかしい偽善であるわけで、結局、彼らからすると、麻生さんの言葉の雑さよりも、むしろ、理想を語る人間を嘲笑し倒す自分たちの仲間であったはずのオダジマが、似合いもしないお花畑人種融合ファンタジーを語ってみせていることの方が、ひたすら神経にさわるらしいのだ。

 いちいちここで抗弁はしない。

 彼らにいわせれば、麻生さんの言い分は、心ある日本人なら誰もが本当は心の奥底で思っているはずの魂の本音なのであって、その誰もが内心に抱いていながら口に出せずにいる民族的な真実を、恐れ気もなく言語化することのできる選ばれし人間である麻生さんは、勇気ある政治家ではあっても、断じて愚かな暴言家ではない、ってなことになるのだと思う。

 古い話をする。
 いまから50年以上以前、私が生まれてはじめて商業漫画誌を読み始めた頃、少年漫画雑誌のラインアップのうちのおよそ3割は戦記物で占められていた。

 総ルビで吹き出しの書かれた「0戦はやと(ぜろせんはやと)」や「紫電改のタカ」といった戦闘機乗りを主人公にしたマンガを熱心に読んでいる子供だった私が、そのまま軍国少年に育ったのかといえば、そういうことはなかった。とはいえ、日清日露の戦争に勝った日本がアジアの偉大な星であったといった程度の夜郎自大愛国回路は、当然のように身につけていた。

 というのも、昭和30年代の日本は、マンガと言わずテレビと言わず日本軍の勇ましさと悲壮さを賛美する血湧き肉躍るコンテンツだらけだったし、学校の教室や冠婚葬祭の酒席では、戦争帰りの世代が一番良い席を占めており、その世代の爺さんたちの中には、日本軍の偉大さを称揚してやまない軍国少年の成れの果てが普通に含まれていたからだ。

 その当時の大人たちが繰り返し強調していた

 「日清日露の戦役で勝利をおさめた日本は、世界ではじめて有色人種として帝国列強の列に加わった栄光の国だった」
 「大東亜戦争は、19世紀の帝国列強に対してアジアの新興国が蹶起したアジア解放の戦争であり、結果として敗れることになったものの、この壮挙に感謝しているアジア・アフリカ諸国は枚挙にいとまがない」

 といったタイプの負け惜しみの旧軍賛美の言説は、それでも、ある時期を境に急速に衰退した。

 なぜというに、戦争帰りの世代が、教育現場や政財界の責任ある立場から順次駆逐されるにつれて、軍国への郷愁もまた過去のものになったからだ。

 で、代わって、われら新しい戦後生まれの世代の脳内には、社会科の教科書や図書館の書物から得られる国際協調を旨とする世界地図が新たに展開されることとなった。

 実際、
 「日本は世界で唯一の有色人種が支配する先進国だ」
 式の昭和中期以前にはよく聞かされたおっさんの自慢話は、1980年代以降、少なくとも公の場所では、ほとんどまったく語られなくなっていた。

 飲み会の席みたいな場所で、
 「なにしろ、白人国家に伍して戦ってるのはオレら日本人だけだかだからな」
 てな調子で気勢をあげるおっさんも、私の世代から下の人間には現れなかった……と、私はすっかりそう思いこんでいたのだが、その、アナクロのおっさんが、どうやらよみがえっている。

 でもって、私は、いま、

 「日本は特別だ」
 「黄禍論を実力で吹き飛ばしたのは日本だけだ」
 「われわれは白人に負けていない」
 「日本人以外の有色人種はダメだ」

 という感じの、50年前に声のデカいおっさんたちから聞かされたどうにも古くさい妄言が、自分より若い世代の口から漏れ出るのを目撃している。

 なんということだろう。

 私は、昔から、なぜなのか、麻生さんには点が甘い。
 困ったところだらけの人であることはよくわかっているのだが、それでも人間としては、どうしてもきらいになれない。
 不思議なことだ。

 だから、麻生さんがああいうことを言うのは、もう仕方がないと思っている。
 ただ、麻生さんより若い人間には、自制と反省を求めたい。
 麻生無罪。
 唐突な断言に見えるかもしれないが、今回の結論はこれだ。
 麻生無罪。

 麻生さん以外のすべての日本人は、愚かな発言を控えて、堅実に生きてほしい。
 私も、麻生さんの年齢になるまでは、なんとか真面目に生きていこうと思っている。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

私も戦記マンガと戦中派の祖父母に育てられたクチ。
他人を見下げる方向の言葉を聞いた記憶は……あったかなあ。

 小田嶋さんの新刊が久しぶりに出ています。本連載担当編集者も初耳の、抱腹絶倒かつ壮絶なエピソードが語られていて、嬉しいような、悔しいような。以下、版元ミシマ社さんからの紹介です。


 なぜ、オレだけが抜け出せたのか?
 30 代でアル中となり、医者に「50で人格崩壊、60で死にますよ」
 と宣告された著者が、酒をやめて20年以上が経った今、語る真実。
 なぜ人は、何かに依存するのか? 

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

<< 目次>>
告白
一日目 アル中に理由なし
二日目 オレはアル中じゃない
三日目 そして金と人が去った
四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
告白を終えて

 日本随一のコラムニストが自らの体験を初告白し、
 現代の新たな依存「コミュニケーション依存症」に警鐘を鳴らす!

(本の紹介はこちらから)

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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。