しばらく連載の間が空いてしまいました、お詫びを申し上げます。
 単行本の加筆・編集に追われておりました。

 連載では心機一転、さらにさまざまな角度から「スジか、量か」というテーマについて書いていきますので、どうか引き続きお付き合いをお願いしたく存じます。

 で、今回は中国人、中国社会のプライバシー(中国語で「隠私」)の話である。
 「スジか、量か」という判断基準の違いは社会のさまざまな領域に影響を与えていると申し上げてきたが、プライバシーに関する議論もその例外ではない。

 生活の急激な都市化やIT化で、プライバシーや個人情報の管理に対する考え方は、中国のみならず、他の国でも大きく変わりつつある。日常的なさまざまなものごとを「スジ=原理原則」よりも「量=現実的影響」の大小で判断し、行動する傾向の強い中国人社会が時代とともに大きく揺れ動いている様子が、プライバシーにまつわる議論からだけでもよくわかる。

効率のためなら喜んで個人情報を差し出す

 今年3月、中国でNo.1の検索エンジン「百度(Baidu=バイドゥ)」の董事長兼CEO、ロビン・リー(李彦宏)が北京で開かれたフォーラムで行った発言が大きな議論を呼んだ。

 Baidu と言えば、アリババ(Alibaba)やテンセント(Tencent)と並んで「BAT」という言い方があるくらい、中国のインターネット企業の頂点に立つ存在の一つである。しばしば「中国のGoogle」とまでたとえられる存在(もっともBaiduに思想や理念は感じられないが)であって、中国でインターネットにつながる人ならその検索エンジンを使ったことがない人はいないだろう。総帥であるロビン・リーの言葉は社会的にも大きな影響力がある。

 彼の発言とはこんな趣旨である。

 「中国のユーザーはプライバシーに対して敏感ではない。プライバシーと効率を喜んで交換する」

 この発言は興味深い。10億人近いユーザーを持つ中国有数のインターネット企業のトップが、要するに「中国のユーザーは自分にとって便利になる状況があれば、プライバシーを譲り渡すことに抵抗がない。それどころか、むしろ喜んで提供する」と認識していることになる。

 さらに彼は続けてこうも言っている。

 「ユーザーが提供してくれたデータが、より多くの便利さをユーザー自身にもたらせば、ユーザーはますます多くの情報を提供してくれるようになる。それによって我々はより多くの情報を活用できる。このことが我々の“やるべきこと”と“やってはいけないこと”を判断する基準になっている」

 つまり彼自身、ユーザーの個人情報の扱い方を、基本的に「便利になるか、ならないか」という基準で判断していることがわかる。

「信用スコアが低いと結婚もできない」

 このロビン・リーの発言より少し前になるが、アリババグループの総帥、ジャック・マー(馬雲)も、個人のプライバシーに関する発言で物議をかもしたことがある。

 アリババグループには、「芝麻信用(ジーマクレジット)」と呼ぶ、個人の信用情報に基づく格付けサービスがある。同グループの提供するモバイル決済サービス、アリペイ(支付宝)の支払い履歴などをもとに個人の信用度を点数化し、個人を評価する仕組みだ。その「芝麻クレジット」の成長性に関して、2017年1月、スイスのダボスで開かれた世界経済フォーラム(通称「ダボス会議」)でのニューヨークタイムスのコラムニストとの対話中、ジャック・マーはこんな話をした。

 「芝麻信用のスコアは今後、恋愛の必要条件になる。彼女のお母さんはあなたに対して『娘と付き合いたいなら芝麻信用のスコアを見せなさい』と言うだろう。レンタカーを借りに行けば芝麻信用のスコアはいくつかと聞かれるはずだ。もしあなたが借金を返さなければスコアは下がり、アパートを借りることもできなくなる。もしネットでニセモノを売るような商売をすれば、すぐ信用スコアに反映される。これが私のつくり上げたいシステムだ」(訳は筆者)

 中国国内のメディアはすぐさま「芝麻信用のスコアが低いと結婚もできない、とジャック・マーが語った」と大きな見出しで伝えた。こうしたわかりやすいモノ言いは彼の真骨頂で、人気の秘密でもあるのだが、この発言もまた非常に興味深い。

 ジャック・マーがここで語っていることは、確かにその通りで、「だから自分の信用を傷つけるような行いをせず、真面目に暮らして信用を積み、スコアを上げなさい。そうすれば生活はさらに便利で快適になりますよ」――という話ではある。

 しかし結婚や就職といった微妙な社会的背景が絡む問題で、「(自社の提供するサービスの)スコアが低いと結婚できない」といった発言をし、やや冗談めかした口調ではあるが、それをビジネスのチャンスととらえる、そこには前述のロビン・リー発言と同様、中国社会に特徴的な「プライバシー感」が反映されている。

個人情報の公開にむしろ積極的な人々

 企業家たちがこうした考え方を持ち、それをごく気軽に公開の場で語るのは、ロビン・リーが言うように、そういう気分が社会にあるからだろう。プライバシー保護の重要性は昨今、中国でも知識層の間では急速に関心の対象になってきた。しかし、それはまだ一部の世界に留まる。企業家のこうした発言の反動として「プライバシーは大事なのだ」という意識は目覚めつつあるが、一般の庶民がインターネットの各種サービスを利用する際、自身のプライバシーについて考える例は多くはない。

 私の友人たちの多くは、アリペイで買い物をする際、自分がどこで、何を、いくらで買ったのか、そのことを常にリアルタイムで「監視」され、記録されていることに一種の安心感を覚えている。自分のプライバシーを知られることを恐れるより、自分が不正行為の被害に遭ったり、売り手のミスで損害を被ったりすることを防ぐ効果のほうが重要だと感じている。

 また、芝麻信用のスコアによる「個人の格付け」の問題も、むしろ自分のランクが明らかになることで、「信用できる客」として遇されるメリットがある。さらには自分がよく行く店やホテル、レストランなどが信用度の高い客を集めてくれれば、そのほうが自分は快適かつ安全になる。そのほうがいい、と思っている。自らの信用情報の公開に抵抗感を示す人は、少なくとも私の周囲ではほとんどいない。

プライバシーは「守られるべき」というスジ論

 これまでの連載で、中国人は自分の周囲に発生した状況を認識する際、まずその「量=現実的影響」の側面に注目して頭の中を整理する傾向が強い、と説明してきた。一方、日本人はというと「現実=今の状況がどうなっているのか」よりは、まず「どうあるべきなのか」「どんな状態を目指すべきなのか」という「スジ論」を優先するように小さい頃から習慣づけられている。そんな話をした。

 では、プライバシーや個人情報に関する議論を、この考え方に沿って考えてみると、どうなるだろうか。

 まず日本人がイメージしやすい「スジ」のほうから見てみる。

 スジ論で考えれば、プライバシーとは人間にとっての基本的な「権利」であって、守られる「べき」ものである。そこでは、サービスの向上や商売の利益よりも、プライバシーを保障することが絶対的な優先事項となる。

 これが「スジ」であり、人々は個人情報の公開には否定的な姿勢が強くなる。

 もちろん、個人情報をある程度は公開しなければ社会的なサービスを受けることは不可能だから、本人同意のうえで必要な情報は公開することになる。しかし、それはあくまで必要最小限に留めるべきであり、場合によっては、便利さや効率はある程度犠牲にしても、この「権利」は守られなければならない――と考える。それがスジである。やや極端に言えば、こういう考え方を日本の社会はする。

現実を「いかに自分に有利に変えるか」と考える中国社会

 一方、中国社会の底流にある発想は、もっと実利的であり、融通無碍である。

 個人の「権利」という、もともと存在はするが目には見えない話よりも、事実として目の前に存在している状況からものごとを判断する習慣がついている。「本来、どうあるべきか」を考えるよりも、まずどうやったら目の前の現実が自分に有利になるか、効率を高められるか――という観点から考える。それがこの社会ではごく自然な思考の順序である。

 だから、中国では有力なインターネット企業が提供するサービス、例えば、上述のアリペイなどのモバイル決済システムはあっと言う間に普及し、定着した。それ以外にも、日常の足としてすっかり定着したタクシーの配車サービス、シェア自転車、食事の宅配サービスなど、非常に便利で生活上のメリットもある仕組みが登場した際、ほとんどの人は、そのサービスを使うためにむしろ喜んで個人情報を提供した。冒頭の2人の企業家の発言は、中国におけるそういう状況を背景に出てきたものである。

 一方、日本国内では、個人情報保護はいいが、その「スジ論」があまりに強すぎて、IT化、デジタル化の世界的な流れに乗り遅れがちだ。時代に合った個人情報のあり方に発想を改めるべきだ――といった意見を耳にすることも多い。

 では、中国人、中国社会にプライバシーを守りたいという意識がないのか、といえばそんなことはない。誰だって他人に知られたくないことはある。

 しかし、そこでどう考えるのかといえば、中国の人々の関心は「プライバシーが守られるべきだ」という原則論よりは、プライバシーの問題が「どれだけ自分の実生活に不利益をもたらすのか」という点にある。つまり、たとえば個人情報漏洩の問題は「自分の住所や連絡先が勝手に他人の手に渡って、うっとうしいセールス電話やスパムメールがじゃんじゃんやってくるのは嫌だ」という「実害の有無」にある。

 このことは以前、この連載で「割り込み」の話をした時(「列に割り込む中国人は、怒られたらどうするか?」)、中国の人たちは、自分の目の前で割り込まれた時、「割り込みという行為の是非」というスジ的な話よりは、「その割り込みによって自分がどれだけの時間のロスを被るのか」という「損害の大小」にまず意識が行く傾向がある――と説明したのと同じ理屈である。

 つまり、頭の中で常にメリットとデメリットを天秤にかける。すべては「程度の問題」であって、「どっちが得か」という「メリットの量」が基準になりやすい。そしてこれは通常、そのまま金銭に置き換えることができる。要するに、身も蓋もない言い方をしてしまえば、プライバシーを取るか、経済的利益(お金)を取るか、取るのだったら、どちらを「どの程度」取るのか、常に天秤にかけて、自分に最も有利なバランスを考える――ということができる。

「監視されているから安心」という心理

 2017年夏、北海道を旅行中の中国福建省出身の女性が行方不明になり、その後、釧路市内の海岸で遺体となって発見されるという痛ましい出来事があった。各種状況から最終的には自殺と判断されたが、この女性の行方不明中、中国国内の関心は高く、さまざまな憶測が飛び交った。この時の中国国内の反応を見ていると、「日本は街角の監視カメラが少ないから危ない。街を歩くのが恐い」「日本は犯罪があっても犯人を捕まえる方法がない」といった声が少なくなかった。

 確かに中国では、全土の道路という道路、事実上すべての公共空間には、ほぼ隙間なく監視カメラが設置されており、その数は一説には億の単位に達するという。自宅やオフィスの中にいるのでない限り、どこを歩いても、車で通っても、その行動はすべてモニターされている。人々は自分がスマホに付属したGPS(衛星測位システム)で常に位置を捕捉され、決済システムで金銭の支払い、受取り状況を「監視」され、街角にくまなく設置された監視カメラ+顔認識システムで行動をモニターされている。

 そしてこのような状況を政府は「天網プロジェクト(「天網恢恢疎にして漏らさず」の「天網」である)と名付け、こうした政策を進めていることを隠そうとしていない。むしろ積極的に公言し、治安の向上を目指すと高らかに宣言している。

 プライバシーどころの話ではないが、中国の人々はこうした状況をむしろ当然と思っていて、不快感を唱える人は少ない。むしろ「別に何も悪いことはしていないから構わない。生活が安全になったほうがいい」と「守られている感」を持って安心する人が多い。日本に来るとそれがないから不安になるのである。自分に相応のメリットがあれば、第三者に自分の情報を引き渡すことに対する抵抗感は、むろん個人差はあるものの、全般に薄い。

 こうした「監視慣れ」「安全はプライバシーに優先する」という感覚は「個人情報保護、プライバシー至上」というスジ論が強い日本社会では理解されにくい。一方、中国社会では、このような国民の「プライバシーに対する鷹揚さ」は権力者による思想、行動の管理に極めて都合がいいばかりでなく、政府や民間企業による個人情報の収集と活用を容易にし、特にIT化、デジタル化の世の中になって、社会の効率を高めていることは否定できない。

「量」で考える中国社会はデジタル化と相性がいい

 これまで日本国内での中国社会、中国人に対する評価は「チーム内の情報共有が苦手」「個人では強いが、団結力に欠け、チームプレーに弱い」といった評価が多かった。そのことが日本人の「中国には負けない」という自信の根源にもなってきた。その見方に根拠がないとは思わないが、中国社会はいま、高度に進化したデジタルなコミュニケーションの仕組みが社会に深く浸透し、社会的な個人情報の共有が急速に進みつつある。

 その根底に、ここで述べてきたような「プライバシーを“メリットの『量』”で判断する」という中国社会の習性が深く影響している。ものごとを、スジ=「そもそも論」「べき論」で整理するより、現実的な効率を追求したほうが結局は得だと考える、「量=現実的影響」を重視する中国社会の発想がそこにはある。そして昨今の「中国すごい論」の根拠となっている中国の斬新なサービスの飛躍的な成長は、その条件の上に実現したものである。

中国がうまくいったから我々も、と考えるのはやめておこう

 私の友人でもある中国に詳しいノンフィクション作家、安田峰俊さんが、先日、ネットメディアに書いた文章にこんな一節があった。

 「よくよく考えてみると、中国のイノベーションとは日本が絶対にマネできない(かつ、マネしてはいけない)中国特有の社会や政府や庶民意識のありかたが、たまたま上手に組み合わさった結果として生まれたものでもある」(「ズルい」中国のイノベーションを日本が“絶対に”マネできない理由)文春オンライン2018年10月1日)

 これはまことに言い得て妙というべきで、ここで安田さんが言う「中国特有の庶民意識」の一つが、まさにものごとを「スジ論」ではなく、「量=現実的影響で判断する」という中国の人々の思考様式にほかならない。これは確かに簡単には「マネできない」もので、中国社会、そして中国の人々の発想がここに端的に表れている。

 「プライバシーに対する鷹揚さ」は成長の条件なのか。グローバル化、デジタル化によって人々の情報収集、意思決定のプロセスが劇的に変化している現在、これは中国うんぬんの問題というよりは、私たち日本人自身が自らの価値観に基づいて考えるべきテーマだろう。中国社会は何を捨てて、何を取っているのか。日本はどうするのか。これはゆっくり考えてみる必要がある問題だと思う。

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 この日経ビジネスオンラインの連載と、10年に及ぶ「wisdom」の連載の中から厳選・アップデートしたコラムを、「スジと量」で一気通貫に編集。平気で列に割り込む、自慢話ばかりする、自己評価が異様に高い、といった「中国の人の振る舞いにイライラする」「あれはスジが通らない」という、あなたの「イラッ」とくる気持ちに胃薬のように効き、スッキリとする。ユニークな中国社会・文化論です。

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この記事はシリーズ「「スジ」の日本、「量」の中国」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。