北米自由貿易協定(NAFTA)の見直し交渉で、米国とメキシコが大筋合意した。この合意が、日本の自動車業界を激震させる可能性がある。あまり報じられていないが、合意内容に日本の自動車メーカーの身動きをとれなくする“毒まんじゅう”が仕込まれている。

トランプ大統領はメキシコに“毒まんじゅう”を食わせた?(写真:ロイター/アフロ)
トランプ大統領はメキシコに“毒まんじゅう”を食わせた?(写真:ロイター/アフロ)

レイムダックのメキシコを二国間で突く米国

 北米自由貿易協定(NAFTA)の見直しを巡る米・メキシコ、米・カナダ2国間協議に世界の目が注がれている。8月29日、米・メキシコは大筋合意し、その後、行われた米・カナダは農業分野などでの対立が解消されず、9月5日に再協議する。

 「これまでのNAFTAは米国の雇用を奪ってきたので見直す」

 

 NAFTAの見直しはトランプ大統領にとって大統領選での選挙公約であった。しかし、昨年からのメキシコ、カナダとの交渉は膠着状態に陥っていた。事態が動いたのは、7月のメキシコの大統領選だ。12 月に新大統領に交代するが、新大統領が現政権との協議結果を受け入れると表明したことで、米国はレイムダックになった現政権との協議を一挙に加速させた。ある意味、新旧大統領の「無責任が生んだ間隙」を突いた結果なのだ。

 

 メキシコにとってその代償は大きかった。

自動車産業の北米戦略、抜本見直し迫られる

 日本の自動車業界では、米・メキシコの間で大筋で妥結した中身に衝撃が走った。

 まず、北米域内で自動車関税ゼロにする適用条件として域内での部品調達比率が定められているが、これを現在の62.5%から75%に引き上げる。日本メーカーは現状では75%を達成していないので、対応が必要になる。

 

 そして米国製部材の調達を事実上増やすことにつながる、「賃金条項」も新たに盛り込んだ。部品の40~45%について時給16ドル以上の地域での生産を義務付けるものだ。これは事実上、米国製部品の購入を強制する、悪名高い「バイ・アメリカン条項」に等しい。メキシコの労働コストの安さ(時給7ドル程度)を前提として生産体制を構築してきた、これまでの自動車産業の経営戦略の転換を迫るものだ。

 

 さらに、これはまだ公表されていないようだが、全体としての域内調達比率を満たすだけでは足りないようだ。部品の中でもエンジン、サスペンション、トランスミッション、バッテリーなど中核的な部品7品目については、それだけで75%の現地調達比率を定めているとの情報もある。これらの中核的な部品は日本から供給している日本メーカーにとって、対応の困難な深刻な問題だ。特に内製化していない部品は、部品メーカーが域内から供給しない限り、条件を満たせない。

 

 自動車メーカーはこれまでNAFTAを前提に、北米でのサプライチェーンを構築してきた。部品の品質、価格、納期などを緻密に検討して、部品の調達先を決めて作り上げてきたものだ。その前提条件が変更されるのだから、堪ったものではない。調達先の切り替えも簡単ではない。

 

 部材メーカーも自動車メーカーの調達方針を踏まえて、メキシコなどへの投資をしてきている。今回の見直しで、メキシコの工場ではなく、米国の工場からの供給に切り替えざるを得ないところも出てくるだろう。

 

 コスト高になってでも米国工場からの部品供給に切り替えるのか、中核部品を北米から供給できるような体制を組めるのか、それらの対応を諦めて2.5%の関税を支払うことを覚悟するのか、そうした選択の厳しい経営判断を迫られる。

 

 いずれにしても、今後のメキシコへの投資が冷え込むのは明らかで、メキシコが安易に妥協した代償は大きい。

“毒まんじゅう”を食べてしまったメキシコ

 しかし、当初公表されたこれらの条項だけではなかった。もっと衝撃的な内容が付属合意としてあったことが判明したのだ。それが「数量規制」という“毒まんじゅう”だ。

 当初、日本のメディアでは「最悪の事態を回避して安堵」といった、呑気なコメントもあったが、これでは本質が見えない。海外通信社の衝撃的な報道で、やっとその深刻な内容に気づいたようだ。

 

 かつて日本も80年代に締結した日米半導体協定においても、その付属文書で外国製半導体のシェアに関する数値目標を盛り込まされた。そしてその後、大きな禍根を残した苦い経験をしている。

 

 突かれたくない重要な内容は本体の合意には盛り込まないものだ。付属文書を見なければ本質はわからない。

 

 メキシコから米国への乗用車輸出数量が240万台を超えると、25%の関税が課されるというものだ。米国は現在通商拡大法232条に基づいて、自動車輸入への追加関税を検討しているが、この高関税を免れるために、数量規制を飲んだということだ。メキシコはこの“毒まんじゅう”を食べてしまった。

 

 数量規制は関税引き上げよりも自由貿易を歪める度合いが強いので、世界貿易機関(WTO)のルールで禁止されている。これは明らかに自由貿易の根幹を揺るがす大問題なのだ。

 

 かつて80年代の日米貿易摩擦において、鉄鋼の対米自主規制を行い、自動車でも米国は同様の自主規制を日本に対して要求していた。そしてこのような「管理貿易」には怖さがあった。日米半導体協定のように、一旦安易に譲歩すると、更に米国はカサにきて要求を強めてくる、という苦い経験をした。

   

 そして今、塗炭の苦しみを味わっているのが韓国だ。

 

 本年3月、米韓自由貿易協定(FTA)の見直し交渉が合意した。この中で、鉄鋼に関して、通商拡大法232条に基づく追加関税を免除されるのと引き換えに、米国への鉄鋼輸出の数量制限が盛り込まれた。

 

 当初、うまく交渉をして追加関税を免れたとされていたが、そこに大きな落とし穴があった。数量規制の運用が米国にいいようにやられて、韓国はがんじがらめにされて、悲惨な状況に追い込まれているのだ。

 

 「これでは追加関税をかけられていた方がマシだった」との声が聞こえるほどだ。

 「ミスター数量規制」によって「北米管理貿易協定(NACTA)」になった

 ライトハイザー米国通商代表は、80年代に日本に対して鉄鋼輸出自主規制を飲ませた成功体験を持つ。さらにトランプ政権下では拍車がかかり、通商拡大法232条による高関税を脅しに、数量規制に追い込む。鉄鋼問題で韓国に対して味を占めて、今回、メキシコに対して自動車の数量規制を飲ませたのだ。

 いわば彼は「ミスター数量規制」だ。

 

 さすがにメキシコのグアハルド経済大臣は当初受け入れなかったが、最後はレイムダック化した現大統領が安易に受け入れてしまったのだ。

 

 メキシコは「25%の追加関税を免れるための保険を得た」とその成果を説明するしかなかったが、これこそ米国の思うつぼだ。

 

 2017年のメキシコから米国への乗用車輸出が170万台なので、240 万台の数量規制ならば今後4割程度の増やす余地があると安易に考えたのだろう。

 

 しかしメキシコの対米輸出はここ5年を見ても、年平均1割は伸びている。今後も自動車メーカーの生産拡大計画があり、新協定が2020年から発効するとして、恐らく数年で240万台に達してしまう。

 

 しかも注意を要するのは総枠の数量だけでない。韓国は鉄鋼の数量規制を54品目ごとに規定されて「がんじがらめ」にされている。今後、明らかにされるであろう数量規制の中身も子細に見る必要がある。

 

 例えば、前述したように、自動車メーカーが「引き上げられた域内部品調達率や賃金条項を無理して満たすよりも、2.5%の関税を支払う方がコスト的によい」として選択したとしよう。ところが、そういう対応を抑制するために別途の仕組みも仕込まれているようだ。

 

 2.5%の関税支払いをして米国に輸出できる台数を百数十万台に制限して、これを超えると懲罰的な高関税がかかる、という仕組みだ。

 

 こうした管理貿易の仕組みを駆使して、企業の経営判断の自由度を「がんじがらめ」に縛り、米国での部品調達に巧妙に追い込んでいるのである。

 

 いずれにしても自動車産業はメキシコへの投資を抜本的に見直しすることを迫られそうだ。

 

 「北米自由貿易協定」は「北米管理貿易協定」になってしまった。NAFTA(North American Free Trade Agreement)ではなく、NACTA(Controlled Trade )だ。

カナダとの交渉を固唾を飲んで見守る日欧

 現在協議が継続中の米加間の交渉では、カナダの乳製品の扱いと米加間の紛争処理のあり方で対立が激しいが、自動車分野は大きな対立点になっていない、とメディアは伝えている。

 カナダについては、賃金が米国並みで、低賃金のメキシコとは賃金条項での立場が違うので、この点では対立点にならないのは確かだ。しかし表に出ていない数量規制については、その危険性をカナダは十分理解していることを期待したい。カナダがメキシコのように“毒まんじゅう”を食べないよう、日本、欧州は固唾を飲んで見守っている。

 

 トランプ大統領はカナダへの強硬姿勢を強め、NAFTA分裂や自動車の追加関税もちらつかせることによって脅して、カナダの譲歩を迫っている。しかし五大湖付近では日本メーカーも含めて自動車産業は、国境をまたいで一体化して生産している。仮にNAFTAを維持できない事態になれば、米加双方も、そしてそこに投資するメーカーも致命的打撃を受ける。

 

 米国議会の権限も無視できないことも忘れてはならない。NAFTA分裂の事態は、議会としても受け入れられないだろう。強硬姿勢はトランプ政権の焦りの裏返しでもある。

今後、欧州、日本に対しても数量規制要求へ

 鉄鋼で韓国に対して、自動車でメキシコに対して、米国は「高関税で脅して、数量規制を飲ませた。」これが米国の手法だ。

 米国は今後、欧州、日本に対しても、同様の手法でやってくるだろう。ハガティ駐日大使が自動車の数量規制に言及するのもそれと軌を一にするものだ(参照:メディアが報じない、日米通商協議の真相を読む)。9月の日米通商協議(FFR)、日米首脳会談での大きな焦点となるだろう。

 

 この問題は世界の通商秩序の根幹を揺るがすものだとの危機感が必要だ。部品調達率や賃金条項だけに目を奪われていてはいけない。自動車メーカーも「実害のない数量が確保できればよい」といった安易な考えは、将来に禍根を残すことを肝に銘ずるべきだろう。

 

 さらに考えなければならないのは、これを米国に許すと、将来、同様に巨大市場を有する中国も同じことをしてくることも覚悟しなければならないということだ。

 

 日欧は連携して、「毒まんじゅう」を阻止する戦いの胸突き八丁にさしかかっている。

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