体操界がパワハラ問題で揺れている(写真:PIXTA)
体操界がパワハラ問題で揺れている(写真:PIXTA)

 8月29日に行われた体操女子選手の記者会見。

 「権力に支配される体操協会ではなく、選手一人ひとりが純粋に強くなれる環境にしてほしい」

 こんなにも重たくて切ない言葉を、18歳のアスリートがカメラの前で主張しなければならない異常事態に「またか」と強い憤りを覚え、「全部嘘」と言い放った塚原光男副会長には心底呆れ果てた。
 と同時に「パワハラ」というシンプルな言葉がもつ複雑さを改めて痛感した。

 つまり、権力者塚原夫妻のパワハラ疑惑問題にだけ、スポットを当ててしまうのはちょっとばかり違うよ、と。

 そもそもの騒動の始まりは、この体操女子選手を指導していた速見祐斗元コーチのパワハラ疑惑だ。

 日本体操協会による経過報告では、

  • 7月11日 速見コーチのハラスメントに関する通報(調査依頼)が入る
    7月22日 協会によるNTC(ナショナルトレーニングセンター)のトレーニングでのパワハラの事実調査
  • 7月23日 第1回懲戒委員会の開催
  • 7月30日 速見コーチへの聞き取り調査(弁護士同席)。パワハラの事実を認めた。反省している
  • 8月8日 懲戒委員会に付議するに足る事実が確認できたため、第2回懲戒委員会にて対応を決定。常務理事会にて懲戒委員会提案を審議の上、決議
  • 8月13日 速見コーチに懲戒処分通知を発送
  • 8月15日 協会より、ニュースリリースを発表
  • 8月16日 女子選手の保護者と面談(渡辺栄事務局長)。今後の選手に対する指導その他対応を協議

 で、5日後の8月21日。この女子選手の代理人弁護士が、彼女の直筆の文書を発表。内容は、速見コーチは頭をたたくなどしたが、選手本人は被害を訴えていないとしたもので、協会が暴力行為を認定した根拠や、重い処分を執行したプロセスに不自然さがあるとしたものだった。

 「オリンピック金メダルという目標は速見コーチとだからで、他のコーチとでは私の望むことではないし、意味がありません。」(選手の直筆文書より)。

 8月23日には、日本体操協会は東京地方裁判所より、“指導者の地位保全仮処分命令申立事件”の通知書を受領(8月31日速見氏取り下げ)。

 そして、8月29日。女子選手が記者会見し、コーチの暴力行為を一部認めるものの「パワハラではない」と主張した上で、塚原夫妻から受けた「パワハラ」を告発。今回の騒ぎとなったのである。

ストックホルム症候群

 世間(メディア?)の関心は、塚原夫婦のパワハラだけに集中しているけど、加害者もパワハラを認め処分が下された案件を「被害者が加害者を擁護する」という、パワハラ問題を理解する上で極めて重要な視点がないがしろにされている。

 もちろん塚原夫婦のパワハラ疑惑は、日本体操協会の具志堅幸司副会長の言う通り「全部膿を出して新しく出発しないと東京五輪はあり得ない」大きな問題である。

 が、奇しくも女子選手の記者会見に同席した弁護士が、

 「当事者(被害者)さえ否定すれば問題ない、との流れができる可能性もあり、非常に難しい問題」

と訴え、ストックホルム症候群(後述)を例にあげたように、パワハラ問題の本質を捉えることはホント難しく、誰かを吊るし上げてジ・エンドとなるものではない。

 私は彼女の記者会見を見て、上司からパワハラを受けていた人たちがインタビューで語った言葉とダブった。そうなのだ。私のフィールドワークに協力してくれた700人弱の方たちの中には、上司のパワハラで精神的に追い詰められ、会社を辞めたり、仕事ができなくなったり、今なお「その経験」から抜け出せず苦悩する人たちがいた。

 アスリートとビジネスパーソン、コーチと上司、選手と部下、協会トップと会社トップと違いはあれど構造は全く一緒。

 パワハラは、加害者と被害者という二者間の問題ではなく、それを生む組織風土、階層組織の権力、人間の本能に宿る欲望や欲求、さらには「知覚」が強く影響する。

 「人は見えるものを見るのではなく、見たいものを見る」という、極めて根源的な問題が複雑に絡んでいるのである。

 というわけで、今回は「パワハラ」という行為について、「心の窓」から考えてみようと思う。

 まず最初に「ストックホルム症候群」について、説明しておく(ご存知の方も多いとは思いますが)。

 これはDV(ドメスティックバイオレンス)の調査などでも用いられる精神用語の一つで、恐怖を与える他者から決して逃れられない状況下で、加害者に好意や共感、さらには信頼を抱く心理状態を言う。心的外傷後ストレス障害として扱われる場合もある。

 語源は1973年にストックホルムの銀行で起きた強盗事件だ。

 人質たちは131時間に及ぶ監禁状況で、次第に犯人に共感し、驚くべきことに犯人にかわって警察に銃を向け、解放後に犯人をかばう証言をする人たちもいた。

 そこで加害者の「完全な支配下=極限状態」で起こる「人質(=被害者)」の心理的な動きと行動や症状を、ストックホルム症候群と呼ぶようになったというわけ。

 女子選手の弁護士は、「手でたたかれたり、髪の毛を引っ張られたりされたことはある」と彼女が認めながらも、その行為を「自分のための指導」と容認したことについて、「ストックホルム症候群」という言葉を用い、世間に警告したんだと思う。「本人が何と言おうと暴力はダメなんだ」と。

 ホント、そのとおりで、人間の自己防衛本能は想像を超える反応を示すことがある。

と同時に、個人的には「パワハラをパワハラと知覚できない」のは、別の心理が働いていると考えている。

 人間なら誰もが持つ「他者に認められたい」という承認欲求である。

 「僕、パワハラに遭っていたんです。でも、渦中にいるときってそうは思えない。徹底的に自分を否定されると、どうにかして認めてもらおうと思うようになる。パワハラされている自覚がなくなっていくんです」

 これはパワハラ被害者の男性が言っていたことで、似たような心理状態を実に多くの人たちが教えてくれた。

 「何をやっても、何を言っても否定される。みんなの前で怒鳴られることもあれば、部屋に1人呼ばれてチクチクと言われることもありました。

 人間って不思議ですよね。そうやってずっと怒られてばっかりいると、どうにかして認めてもらいたいって思うようになる。とにかく何とか上司に怒られないように、と。僕はそんなにダメな人間なのか?って、ずっと自分を責めていました」

理不尽かつ執拗に人格を否定され続ける日々

 男性は幸いにも心身を病む前に転職。きっかけは大学時代の同窓会で、上司からパワハラを受けて自殺未遂を起こした同級生の話を聞いたことだった。

 「悪いのは僕じゃない。あれはパワハラなんだ」と自分が危機的状況にあることに気づき、「このままでは壊れてしまう」と会社を辞める選択をしたのだ。

 彼は「たまたま」同窓会によって、非日常の風が吹き最悪をまぬがれたが、インタビューした人の中には、会議中に倒れ病院に運ばれたり、ある日突然家から出られなくなったり、通勤電車に乗ると吐き気を催すようになったり、「壊れた」あとに気づいたりする人たちがいた。

「最初の頃は、パワハラを受けているのが苦しくて苦しくて。毎日、みんなの前でまるで見せしめのように支店長から怒鳴られる。僕は副支店長なので、そこにいるのは全員部下です。

 部下の前で怒鳴られるのは、苦痛以外の何ものでありませんでした。

 でも、悔しいから結果を出すしかないと躍起になるんです。すると上司も僕のことを認めざるをえないから、それがある種の快感になるんですね。その繰り返しでした。

 だんだんとパワハラされているという感覚もなくなった。職場である日、呼吸ができなくなった。パニック障害と診断されました。

 僕のデスクにはチョコレートがいくつもあふれ、たばこを1日5箱も吸っていたんですけど、その異常さにも気づけなかった。

 人間の感情は複雑です。パワハラをされたときの周りのさげすんだ視線も苦痛でした。自分は強い人間だと思っていたけど、その自分への過信も上司のパワハラをエスカレートさせたかもしれません」

 こちらの男性はその後、半年間休職。復職はうまくいかず、現在も働いたり、働かなかったりを繰り返している。

 理不尽かつ執拗に人格を否定され続ける日々。たとえ上司であれ、赤の他人にそこまでされる所以はない。普通に考えれば第三者に「しんどい」とSOSを出せるはずだ。

 だが「人間の感情は複雑」と男性が指摘するとおり、私たちは常に複数の感情が行き交う交差点で惑わされる。

 罵倒される悔しさから「何でもやってやるよ」と自暴自棄になったり、「どうにか認めさせてやる」と躍起になったり。「パワハラ」の苦痛が、「自分が悪いのかもしれない」という自己否定に変化し、ズタズタになった自尊心を回復させるために、上司の奴隷になることを自ら選択してしまうのだ。

 疲弊した心は、一瞬でも認められると「アレはアレで意味あること」「自分のためだった」という盲信に変化する。

 「能力発揮にパワハラなど一切必要ない」という当たり前が、ストレスの雨に濡れ続けた心には届かなくなってしまうのである。

加害者と被害者の二者間だけの問題ではない

 実際、度々発生しているスポーツにおけるパワハラでは、自身のスキル向上や勝負に勝つというポジティブな経験が、パワハラを肯定的に捉える傾向を高めることが国内外の調査研究から明かされている。また、監督やコーチの体罰を目の当たりにしながらも、親たちが容認したり、擁護するケースが度々確認されていて、親など周囲の人間関係を巻き込んだパワハラ構造を理解する必要がある。

 さらに、職場ではパワハラを見て見ぬふりをしたり、「俺だってしんどいんだからお前もがんばれよ」と傍観者がパワハラを容認したりすると、被害者が集団から切り捨てられ、追い詰められるケースが報告されていて、これは「セカンドパワハラ」と呼ばれている。

 私がインタビューした人の中にも、勇気を出して、パワハラを先輩社員に訴えたのに「耐えろ」と言われ、弱い自分を責めるようになった、と話してくれた女性がいた。

 しかも、その女性はSOSを出したことが上司に伝わり、パワハラがエスカレートしたそうだ。

 厚労省が実施した調査で、過去3年間にパワハラを受けたと感じた人で、その後「何もしなかった」と回答した人の比率は管理職が58.2%、男性で48.4%と多い。その理由を「何も変わらないから」と約7割の人がしたのも、セカンドパワハラの存在を肌で感じているからなのだろう。

 そして何より問題なのは、こういった傍観者たちの容認がパワハラを生む風土を形成し、維持されてしまうってこと。加えて、身近な人のパワハラを目撃し、恐怖心を抱くだけでも心身に悪影響が出る。

 DV研究ではこれを「DVの目撃」と呼び、親から子への虐待には「DVの目撃」を含むのが一般的だ。

 DVの目撃にさらされた子どもは、頭痛、腹痛、睡眠の問題等の身体症状を訴えたり、不登校や引きこもりになったり、 自傷行為を繰り返す傾向が認められているのである。私が以前行った調査では、幼少期に「DVの目撃」にさらされた経験がある人は、成人になってからも自己肯定感が低く、自殺や死について思いをめぐらす傾向が強かった。

 対象が子どもなので、そのまま会社員にあてはめられるものではない。だが、パワハラが加害者と被害者の二者間だけの問題ではないことは、十分におわかりいただけるだろう。

 先の厚労省の調査では、パワハラ対策のトップは「相談窓口の設置」(82.9%)だったが、パワハラをパワハラと知覚できない心の動きを鑑みれば、これだけでは役に立たないことがわかる。セカンドパワハラ対策にも注視しなきゃだし、徹底的な教育機会と、目撃したときの第三者の介入の仕方、もっと言ってしまうと「すべての人が意見を言える組織、すべての人が能力発揮できる組織、すべての人が生き生きと働ける組織」を目指さなきゃダメ。

 繰り返すが、パワハラは誰かが謝罪し、ジ・エンドになる問題ではない。もっともっと構造的に、組織の問題として捉えなきゃいけないのだ。

女子強化本部長の発言

 最後に、今回の事件について一言。
 18歳の女子選手が会見した翌日、塚原副会長は「全部うそ」と言い放ち、塚原千恵子女子強化本部長は「悪いことはしていないし、お金を使ってでも勝てるところまでやる」と発言したと報じられた(日刊スポーツ)。

 私はこの反論こそがパワハラであり、選手を育成し、守る立場にある大人の発言としては許されないと考えている。

 つい自分が一所懸命だと相手の言動に苛立ち不寛容になりがちだが、すこ~しだけ「息」を入れると、相手も一所懸命ってことがわかる。それは自分自身にも言えることだ……。

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