貴乃花親方は突如、日本相撲協会を退職した。2014年撮影(写真:Atsushi Tomura/Getty Images)
貴乃花親方は突如、日本相撲協会を退職した。2014年撮影(写真:Atsushi Tomura/Getty Images)

 相撲界を巡る一連の騒動は、まるで「台風一過」のようにあっと言う間に過ぎていった。

 9月25日に引退届(その後、退職届となる)を提出した貴乃花親方は、記者会見を開き自身が内閣府に提出した告発状(のちに取り下げ)の内容について「事実無根の理由に基づいたものであることを認めなければならない」との要請を協会役員から受けたと主張した。そのことを認めなければ親方として協会内に残ることができないと感じた。それは譲ることができない。「無念」という言葉を何度も使いながら、踏み絵のような要求が引退の理由だと説明した。

 ここからの進展は早かった。10月1日に相撲協会の臨時理事会が開催され、貴乃花部屋の力士ら(10人)の千賀ノ浦部屋(元小結・隆三杉)への移籍が承認され、これをもって貴乃花部屋の消滅が決まった。同時に貴乃花親方が正式に協会を退職することになった。

 同日、会見を行った相撲協会の八角理事長は、千賀ノ浦親方や代理人弁護士を通じて、貴乃花親方と直接話し合うことを働きかけていたが実現できなかったことを明かした。「22回の優勝を成し遂げた立派な横綱で、大相撲への貢献は大きなものがあった。いつか一緒に協会を引っ張っていきたいと思っていた。このような形で相撲協会を去ることは誠に残念」と述べた上で「直接会って話ができなかったことを残念に思う」と語った。

 奇しくも、この前日(9月30日)には、騒動の発端となった横綱・日馬富士の引退相撲と断髪式が行われ、翌1日には両国国技館で大相撲・全日本力士選士権(トーナメント戦)が行われ、平幕の阿武咲(阿武松部屋)が横綱・稀勢の里を破って優勝した。予定されていた行事や会合を怒涛のようにこなした大相撲界は、現役横綱が暴行事件の責任を取って引退し、その一件で協会の対応を問題視した貴乃花親方も追い込まれたかのうように退職し、まるで両者が刺し違えるがごとくの結末を見ることになった。

 おそらくこの一件はこれで手打ちになるのだろう。なんとも物悲しい終わり方である。

 ただ、この問題の本質は、もう少し深いところにあってこれですべてが解決したわけではない。今回の騒動を「ある種の権力闘争」という見方だけで終わらせないためにも根底にある問題に触れておこう。

角界のウインブルドン現象

 テレビでご覧になった方もいるだろうが、これから述べることは9月30日のプライムサンデー(フジテレビ)でも少しだけ話したものである。補足したいこともあるので改めて文章で書かせていただこうと思う。

 今、大相撲界に横たわる本質的な問題は、「ウインブルドン現象」なのだと思う。「ウインブルドン現象」は経済用語で、外国の資本に地元の産業や商業が駆逐されてしまう現象のことである。テニスのウインブルドン大会では2013年に英国のアンディ・マレー選手が優勝するまで約80年間地元の男子選手が勝てなかった。
女子も1977年にバージニア・ウェード選手が勝って以来、40年以上英国の選手が優勝から遠ざかっている。

 これは英国にとっては残念な事態だが、ウインブルドンという大会にとっては、それだけオープン化と国際化が進んだということ。同時にそれがこの大会の世界的なステータスになっている。言うまでもないが、大相撲でもこの傾向が年々進んでいる。今やモンゴル勢をはじめとした外国人力士が上位陣を占め、大相撲人気を牽引している。その意味で、横綱・稀勢の里は「ウインブルドン現象」に対する救世主であり、日本国民の期待の星なのだ。これについては本コラムでも以前書いた通りである。

 今回の事件の発端は、飲食の席で日馬富士が貴ノ岩に暴力をふるってケガをさせたことにあるが、そもそも貴乃花親方は弟子の貴ノ岩にモンゴル勢の集まりに参加することを禁じていた。土俵で戦う者が、日ごろから仲良くしていたのでは、いろいろなことを疑われかねないと言うのが貴乃花親方の教えだ。そこで貴ノ岩はモンゴル出身でありながら同郷の力士たちとは一線を画していた。

 ただ、この時は、貴ノ岩が高校時代を過ごした鳥取の母校の集まりということで参加が許されていたようだ。

力士のジャージ姿に批判、伝統は曖昧に

 貴乃花親方は、相撲関係者からは「原理主義」と呼ばれるほど、相撲道に対して厳格な人だ。これまでも土俵での所作の乱れや、横綱の品格についてなど、事あるごとに苦言を呈してきた。一連の騒動においても、その頑な言動は随所に感じられた。

 どちらが良いか悪いかということではない。問題は相撲協会が、どこへ向かおうとしているのか……ということだ。貴乃花親方は部屋の運営や若手の育成に対しては、現代的な手法を積極的に取り入れていた。後援会にサポーター制度を導入したり、力士の年俸制を主張したり、様々な改革案を提唱していた。ただ相撲本来の様式や精神性に関しては徹底して保守的な伝統路線の上に立っていた人だと思う。

 貴乃花親方は、退職にあたって後援会のホームページに感謝のメッセージを残している。 それは以下のように結ばれている。

 「大相撲は不滅です。土俵は、必ず日本国の遺産として残ります」

 彼の相撲観が伝わってくる文言だ。

 一方、協会は国際化している現実を踏まえて、ある程度寛容な運営を進めているように私には映る。それは貴乃花親方が信奉する国技や神事というよりもスポーツ的な側面も意識した協会運営やガバナンスと言えるだろう。

 以前、ある力士が着物ではなくジャージ姿で外出して怒られたことがあるが、スポーツ選手やアスリートという観点で言うならば、スポーツメーカーのジャージは世界的な正装とも言える。今、起こっていることを象徴的に言うなら、そういうことだ。この文化をどう説明するのか。

 何が伝統で、どこまで守らなければいけないのか。大相撲の国際化に伴って、そこが曖昧になってきているのだ。いや、日本人の若い世代にとっても、もはや伝統的な価値観について分からないことが多いのではないだろうか。そして貴乃花親方が抱いていた危機感や苛立ちというものが、そもそもこうしたことから始まっていた……というのが私の見立てだ。

 伝統的な作法や所作、相撲界の価値観をすべて明文化する必要はないだろう。合理性を好む米国の大リーグでも明文化されていない紳士協定がいくつもある。大きくリードしたチームが盗塁や送りバントをしないのは、負けているチームへの配慮だ。優位な立場や状況にある者は、姑息な手段を選ばない。

 それは、横綱の取り口にも通用することだろう。立ち合いで変化したり、奇をてらったりするような相撲は取らない。こうしたことは明文化されていなくても伝承で十分に伝わるものだ。しかし、これだけ国際化が進み、日本の若い世代も伝統的な文化や価値観を学ぶ機会が少なくなっている現状で、これをきちんと伝えるためには、今後いろいろなことを明文化する必要はあるだろう。

 もうすでに外国出身の親方(部屋)も誕生している。近年では武蔵川親方(米ハワイ出身、元横綱・武蔵丸)の武蔵川部屋や鳴戸親方(ブルガリア出身、元大関・琴欧州)の鳴戸部屋などだ。押し寄せる国際化の波に相撲協会は、どう対応していくのか。大相撲の伝統文化を、どこまで守っていくのか。

 優勝22回を誇る大横綱の退場は、そのことを心配する「置き手紙」だ。

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