いったい何のために私たちは働いているのか(写真:ロイター/アフロ)
いったい何のために私たちは働いているのか(写真:ロイター/アフロ)

 また。そうまた、大切な命が会社に奪われた。
 それでも国はのたまう。「生産性向上には裁量労働制拡大が必要だ」と。

 いったい何のための仕事なんだ?
 いったい会社は誰のものなんだ?
 人生を奪うような働き方をさせてまで、“アメリカさん”のいいなりになりたいのだろうか。

 しょっぱなから少々鼻息が荒くなってしまった。今回は「裁量労働制拡大と知られざる文書」について、アレコレ考えてみる。

 先週、東京のIT企業で裁量労働制で働いていた男性会社員(当時28歳)が、くも膜下出血で過労死していたことがわかった。

 亡くなる直前の2カ月間の残業時間は、月平均87時間45分。裁量労働制が適用される前には最長で月184時間の残業があった。

 男性は不動産会社向けのシステム開発担当で、チームリーダーに昇格した際に専門業務型の裁量労働制が適用された。長時間労働は適用前から常態化しており、適用後は徹夜を含む連続36時間の勤務もあった(みなし労働時間は1日8時間)。

 男性はTwitterに、

  • ・やっと家ついたー。この安心感よ。今月も華麗に300時間やー。ねむすぎ。
  • ・ねむい。13時から翌日の18時までってなんなん。
  • ・仕事終わるまであと22時間
  • ・うおー!やっとしごとおわったぁー!!社会人になってから36時間ぶっ通しで働いたの初めてやがな。

などと投稿。
 家族に頭が痛いと訴えた翌月、自宅アパートで亡くなっているのが見つかったという。

 代理人の弁護士は、
「男性の過重労働は裁量労働制の適用前からだが、適用直後には徹夜勤務があるなど、裁量労働制が過労死に悪影響を及ぼした可能性は高い」 と指摘している。

 また、テレビ朝日でドラマを担当していた男性プロデューサー(当時54歳)が、2015年に心不全で過労死していたこともわかった。男性は裁量労働制を適用する制作部門に所属し、直近3カ月の残業時間は、月70~130時間。

 テレ朝は「極めて重く受け止めている。社員の命と健康を守るための対策をより一層進めてまいります」とコメント。さらに、テレ朝は5月16日、報道局で映像取材のデスクを務めていた子会社の男性社員(49)も4月21日に急死したことを明らかにした。が、勤務実態などについては「遺族に対応中であり、プライバシーに関わる」として回答を控えた。

“たかが仕事”で、人生を奪われる異常な事態

……。
 いったいいつになったら、過労死や過労自殺が死語になるのだろう。
 それ以上に気になるのが、過労死や過労自殺という言葉への“温度”の低さだ。実にサラリ、というかなんというか。
 “たかが仕事”で、人生を奪われる異常な事態に鈍感になっている、そう思えてならないのである。

 これだけ裁量労働制が問題になっているにもかかわらず、政府は高度プロフェッショナル制度の成立を目指すというのだから、わけがわからない。
 厚労省のずさんなデータも「結果には問題ない」って??

 でもって、今年1月に行った調査で1000以上の事業所で裁量労働制の運用に問題があることがわかったから、事業所に対して立ち入り調査を行い、違反が見つかった場合には、行政指導を行う方針を固めたって??(こちらを参照)

 全国の事業所は400万カ所超で、監督が実施されるのは毎年全体の3%程度にとどまる。原因は慢性的な人員不足だ。(こちらを参照)

 ここまでして「裁量労働制拡大」を、なぜ、しなければならないのか?
日本の財界の要請?  いや、それだけではない。「残業代がバカにならないから、労働時間規制を見直してね!」って、“アメリカさん”に要請されたからだ。

Recommendations
The American Chamber of Commerce in Japan (ACCJ) urges the Ministry of Health, Labor and Welfare (MHLW) to modernize the current work-hour regulations to better reflect the changing social and economic environment, including Japan’s evolution into a services-oriented,
knowledge-based economy and the diversification of the Japanese workforce.

(邦訳)
提言 在日米国商工会議所(ACCJ)は厚生労働省に対し、現行 の労働時間法制を見直し、サービス業の台頭、知識集約型 経済への移行および就業形態の多様化等社会経済環境 の変化に対応した制度の創設を要請する。

 このような文言で始まるのは、
Modernize Work Hours Regulation and Establish a White-Collar Exemption System(労働時間法制の見直しおよび自律的な 労働時間制度の創設を)と題された意見書で、2006年12月6日、在日米国商工会議所(ACCJ)が、安倍政権(第一次)に提出した。

ACCJとはどんな団体か

 ACCJは1948年に設立され、日本で活動する米国企業1400社の代表が加入し、約3000人のメンバーが名を連ねる。そのミッションは、「日米の経済関係のさらなる進展、会員企業および会員活動の支援、そして日本における国際的なビジネス環境の強化等」だ。

 メンバーによって、メンバーのために運営される完全に独立した商工会議所として、日本で最も影響力のある外国経済団体の1つで、日米のビジネスの進展を図るコミュニティーとして高い評価を受ける一方、実情は「政策を日本政府に命令している」団体とされている。

 先の意見書が出された当時、日経産業新聞では、以下のように報道(要約)。

(前略)

 ACCJは「同制度は優秀なホワイトカラーにやる気と自信を与え、日本の国際競争力も向上する」と主張している。

 同制度では、働く人が忙しいときは深夜まで働ける一方、暇なときは早退することも可能だ。仕事の成果や組織への貢献度で給与を決めるので、残業しても給与は増えない。
米国では年収2万3660ドル(約270万円)以上のホワイトカラーが対象だが、日本では年収800万円以上を対象とすべきだと提言している。

 厚生労働省は2007年の通常国会で同制度の法制化を目指し、日本経団連は導入に賛成している。
(2006年12月7日付日経産業新聞から)

 一方、しんぶん赤旗ではこう報じている(要約)。

(前略)

 これは際限ない長時間労働を合法化する制度です。
 ACCJは「管理監督者」の範囲拡大や、年収800万円以上はすべて対象にすることを主張。
 また、事務職、専門職、コンピューター関連のサービス労働者、外回りの営業職にも適用を求め、深夜労働の割増賃金は「労働コストの上昇を招くだけ」と廃止を要求している。
 労働時間規制を撤廃し、日本に投資した米国企業が米国流で労働者を使えることをめざしています。

 前者は「労働者のやる気」を、後者は「投資家が米国流で労働者を使えること」にスポットをあてているが、提言書全体を読めば「投資で儲かる人のための労働制度改革」であることは明白である(以下、要約・抜粋 提言書のWebでの公開期間は終了)。

    ・効率性・能力・生産性に優れた労働者が、能力の劣る者より高い報酬を得られる仕組みは、海外投資家にとって競争力のある魅力的な市場となる

    ・労働時間規制の適用除外労働者に対する深夜業の割増賃金の廃止を要請する

    ・深夜業の割増賃金制度は、現代のホワイトカラー労働者の働き方に適さず、労働コストの上昇を招くだけ

 さらに、過労死についても言及しているのだが、ここは結構なポイントなので、原文のまま掲載する。

    ホワイトカラー・エグゼンプション制度を批判する者は、過労死を助長しかねないと主張している。しかしながら、ACCJはむしろ、日本の現行制度に基づき労働時間規制の対象となっているホワイトカラー労働者から、より効果的に、より生産的に働く意欲を引き出すことができるのではないかと考えている。労働者の健康と安全については別に規制が行われており、日本の各企業の健康・労働安全保護のための制度に従って使用者による運用に委ねられるべきである。

ホワイトカラーエグゼンプション=労働時間短縮?

 ………書いているだけで吐きそうになった。
 つまり、大雑把にまとめると、
「残業代とか払うのバカらしいから、さっさと辞めてよ。そしたらもっと海外投資家が投資するよん! 過労死は別の問題。こっちはちゃんと企業が規制すればいいでしょ? 僕たちの要望とは関係ないよ~」
ってことだ。

 この意見書は、2005年からホワイトカラーエグゼンプションを議論していた政府の追い風になったと、私は推測している。
 なんせ、与党内から慎重論が出ていたにもかかわらず、意見書が出された翌月の2007年1月5日。柳沢厚生労働相(当時)は、「次期通常国会に法案を提出する方針を変えるつもりはない」と改めて強調。

 さらに、安倍首相も次のようにコメントした。

     「日本人は少し働き過ぎじゃないかという感じを持っている方も多いのではないか。(労働時間短縮の結果で増えることになる)家で過ごす時間は、例えば少子化にとっても必要。ワーク・ライフ・バランスを見直していくべきだ」(2007年1月5日付朝日新聞より)

 つまり、このとき政府は、
ホワイトカラーエグゼンプション=労働時間短縮と思い込んだ。

 一方、経団連にとっては、渡りに舟。
1995年の「新時代の『日本的経営』」で、3種類の労働者グループに分類し、「低コスト」化を進めてきたわけだが、その中の「長期蓄積能力活用型グループ」のコスト削減に好都合となった。

 つまり、企業の人件費削減と海外投資家からカネを引き出すには、何がなんでも「新ホワイトカラーエグゼンプション」が必要不可欠。

 悲しい話ではあるけど、過労死とか過労自殺とか関係なし。
 「え? 労働時間を管理しろって? そんなの労働時間規制からはずす働き方なんだから、そんなの企業には関係ない。労働者が自分の健康くらい管理できなくてどうする? 誰も死ぬまで働けなんて言っていない」と労働者を突き放し、「アメリカ投資家の奴隷になれ! そうすれば日本企業は魅力的になる」と暗に言っている。
……私にはそうとしか思えないのである。

 これまでにも何度も書いてきたとおり、裁量労働制そのものに反対する気はない。

 だが、日本には時期尚早。裁量権を与えることもなければ、過剰労働にならないための義務を果たすつもりもない日本には、1075万円という年収制限を付けようとも、「新ホワイトカラーエグゼンプション」を取り入れる資格などない。

 もし、「自分はもっと自由にやりたい!」という人は、「高度専門能力活用型」として、有期雇用契約すればいい。強者には「自由」を手に入れるだけの力があるはずだ。

 KAROSHIは決して、他人事ではないはずなのに。大切な家族を亡くした人たちの悲痛な叫びに、なぜ、もっと真摯に耳を傾けることができないのか? 私には到底理解できないのである。

過労死撲滅に真摯に向き合わない日本

 いったい何のために私たちは働いているのか?

 「働く」という行為は、人生を豊かにするための大切な手段であり、行為だ。
なのに、働くことで大切な命が奪われている。しかも過労死。
 私のようなフリーランスなら「自己責任」だが、会社が請け負った仕事を、なぜ、会社に雇用されている人たちが、自分の命を削りながら果たさなきゃいけないのか。

 「働く」という行為には、「潜在的影響(latent consequences)」と呼ばれる、経済的利点以外のものが存在し、それらこそが人を元気にし、人のやる気を喚起し、生きる力を与えるリソースが存在する。本来、私たちの人生を豊かにするための「働く」行為が、ただの「カネ」にすり替わっている。

 いったいいつまで「人生の邪魔をする働かせ方」を、偉い人たちは許すのか。
 人間は仕事、家庭、健康という3つの幸せのボールを持っていて、どのボールが地面に落ちても幸せになれない。

 「仕事」「家庭」「健康」のボールをジャグリングのように回し続けられる、「人生の邪魔をしない職場」を目指すことが必要なのに……。

 過労死につながるから高プロがダメなのではない。過労死撲滅に真摯に向き合わない日本に、高プロを適用する資格などないのだ。

 「問題だけ突っつくだけかよ!」という人は、これまで散々、何本もの本コラムで具体策を提案しているのでお読みいただければ幸いである。

 本書は、科学的エビデンスのある研究結果を元に、
「セクハラがなくならないわけ」
「残業が減らないわけ」
「無責任な上司が出世するわけ」
といった誰もが感じている意味不明の“ヤバい真実”を解き明かした一冊です。

(内容)
・ショートスリーパーは脳の故障だった!
・一般的に言われている「女性の特徴」にエビデンスはない!
・職場より家庭の方がストレスを感じる!
・人生を邪魔しない職場とは?

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