東京医大で女子の合格者数を抑えようとする得点操作が発覚した(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
東京医大で女子の合格者数を抑えようとする得点操作が発覚した(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 今から5、6年ほど前だろうか。
 ある医療系学会の基調講演の講師に呼ばれた時、「女性医師が増えて困っている」とこっそりと教えてもらったことがある。

 「うちの教室(医局)には女性医師はいらない。入れないでくれ」と訴える先生も多く、困っている、と。

 「育児中の女性医師は常勤勤務から非常勤になるケースが多い。世間からはセレブな女医に見られるからプライドだけは高い。そういった面からも女性医師は嫌われてしまうんですよね。
 あとこれは昔からあることですが……女性医師というだけで差別をする男性医師がいるのは事実です」

 こう「嫌がられる理由」を話していた。

 であるからして、例の東京医大での、女子の合格者数を抑えようとする得点操作問題は残念だし憤りを覚えたが、さほど驚かない自分もいた。

 ただ、一部の報道では「緊急の手術が多く勤務体系が不規則な外科では、女性医師は敬遠されがち」「医師のブラックな現場がそもそもの問題」との意見が散見されたが、女性医師を嫌うのは外科だけでも、ブラックな現場だけでもない。

 だって冒頭の医師は、

 「早くから女性医師が働きやすい職場にしようと取り組んできた結果、女性医師が増え、逆に女医医師が嫌われることになってしまった」
と、頭を抱えていたのである。

 つまり、「女性医師」という存在そのものが面倒くさい存在だ、と。

 「女性医師というだけで差別する男性医師がいる」。この一言こそが問題の根っこに深く深く広がっていて、
「結婚や出産でやめてしまうから」
「育児で緊急時対応できないから」
「だから女性ではなく男性」
というのは言い訳でしかない。

 とどのつまり「女性医師」の存在そのものへの嫌悪感が「入口から排除しよう」と点数削減という動きに繋がったのだ、と個人的には理解している。

 「排除されていない者は包括されている」との名言を残したのは、社会学に大きな影響を与えたドイツ出身のゲオルク・ジンメル博士だが、博士は「構成人員の割合によってその集団の性質が変わる」と、数の重要性を指摘した。

 ジンメル博士自身が「ユダヤ人である」という理由で、ベルリン大学の教授になれなかったのは社会学史上有名な話だ。

 その「排除」と戦い続けたジンメル博士の理論のひとつに、「よそ者と放浪者」という定義がある。

自覚なき価値観が“刃”に

 放浪者は「今日訪れ明日去り行く者」であるのに対し、よそ者は「今日訪れて明日もとどまる者」。私たちは「旅行客(放浪者)」にはとても親切にするが、その人が同じ土地で暮らすようになると「よそ者」扱いし、態度を豹変させる。

 「よそ者は集団そのものの要素であり、貧者(社会的弱者)や多様な『内部の敵』――その集団における内在的な部分的な地位が、同時に集団の外部と集団の対立を含んでいる――と異なることではない」(『社会学―社会化の諸形式についての研究』ゲオルク・ジンメルより)

 つまり、よそ者とは「集団の内部に存在する外部」で、よそ者差別は普遍的に存在する。

 これまでにも「数」の重要性を指摘したコラムを書いてきた通り、男社会に紅一点の女性が加わった途端、男VS女が顕在化する。この構図は人種、性別、学歴などあらゆる属性の違いで起こる現象である。

 内集団である多数派(男性)のメンバーは、自分たちの地位の高さの見せしめに「よそ者(女性)」を差別し、排除する。「よそ者」はある意味、多数派が権力を振るう装置として機能してしまうのだ。

 しかも悲しいかな、よそ者が女性の場合、無能呼ばわりされることが多い。

 「女性医師というだけで差別する男性医師がいる」という言葉の奥底には、女は面倒くさいという感情と「女性医師は無能」という偏見が混在しているのではあるまいか。そして、それは医師の世界に限らず「男社会」のあちこちに存在しているのである。

 例えば、「女性社員が80%を占めているのに管理職は男性だらけ」という会社に私は何度も行ったことがある。なぜ、圧倒的な女性の職場なのに階層組織の上位は男性のみになってしまうのか?
 ジェンダー・バイアス。

 社会に長年存在した「当たり前」が自覚なき価値観となり、女性蔑視を生んだのだ。

 言わずもがな古来よりリーダーの多くが男性だった。

 その結果、過去の男性リーダーたちの振る舞いが「求められるリーダー像」とみなされてきた。
 攻撃的で、野心的。人の上に立つのが得意で、自信家で、押しも強い。唯我独尊で個人主義なたくましさもある――。
 そういったステレオタイプが、「リーダー像(男性)」として刷り込まれているので、どうしたって女性リーダーの言動が無能に見える。

 そして、その「リーダー=男性」という自覚なき価値観が、時に“刃”となり、女性リーダーを傷つけてしまうのだ。

男社会だったツケは想像以上に根深い

 男性上司が「あーしろ、こーしろ、アレはだめ、コレはダメ」と権威的な言動をしても「正しい振る舞いを教えてくれる部下思いの上司」と受け入れられるが、女性上司が同じことをすると「感情的」「押し付けがましい」と非難される。
 女性上司が、部下に温かさや思いやりを示しても大して評価されないけど、男性上司が同じ言動をとると「優しい上司」と評価される。

 さらに「よそ者=女性=無能」という方程式の根深さを暴いたのが、通称「ゴールドバーグ・パラダイム」と呼ばれる社会心理学者フィリップ・ゴールドバーグ博士の心理実験だ。

 1968年、ゴールドバーグ博士は、学生たちに「女性問題に関する」テーマに書かれた論文を読ませ、内容を評価させた。ただし、学生には内緒で、論文の執筆者欄が「男性の名前」になっているものと、「女性の名前」のものの2種類を用意(論文内容は同一)。男女の差異が評価に与える影響を検証した。

 その結果、男性名が入った論文を読んだ学生は論文を高く評価。一方で、女性名が入った論文は低く評価された。女性問題がテーマの論文であるにもかかわらず、だ。しかも、結果は女子学生を被験者にした場合も同じだった。

 名前だけで評価が変わるとはにわかに信じ難いかもしれないけど、ゴールドバーグ・パラダイムに追従する調査結果は、半世紀経った現在に至るまで多数発表されている。

 例えば、1997年に実施されたスウェーデンの医学者、C・ウェンナラとA・ウォールドらは、スウェーデン医学研究評議会(Swedish Medical Research Council)による研究費補助金の審査過程を検証し、男性は「男」というだけで高く評価され、女性は「女」というだけで低く評価されていた現実を、統計的な分析から暴いた(C.Wenneras & A.Wold; "Nepotism and Sexism in Peer-Review", Nature, 1997.)。

 そして、女性が男性と同等に評価され研究補助金を得るには、「最高ランクの学術誌に男性の2.6倍もの論文を発表する必要がある」と結論付けた。これは不可能に近いことを意味している。

 この調査では、審査員のコネが審査の評価に影響していたことも突きつめたため、スウェーデン医学研究評議会はその翌年から、研究助成金の交付審査のやり方を改善し、助成金の獲得や研究キャリアの男女比較について の報告を毎年行っている。

 コネ審査……ね。そういえば東京医大は裏口入学でも問題になってましたっけ。

 いずれにせよ、男社会だったツケは想像以上に根深く、私たちの想像をはるかに超えているのだ。

 入試から助成金の確保、仕事への評価に至るまで、組織という組織の隅々まで、ジェンダー・バイアスは蜘蛛の巣のごとく張り巡らされている。たとえ運よくその蜘蛛の巣をくぐり抜けた女性が数人いたとしても、「男社会の壁」を打ち砕くのは至難の技。

 企業がそうであるように、医師の世界でも「トップ」がよほど覚悟を決めて「排除の壁撲滅」に挑まない限り、女性医師や女性医師の卵たちへの差別はなくならない。

 念のため断っておくが、「女性リーダーは男性リーダーより劣る」とか、「女性研究者は男性研究者より劣る」とか、「女性医師は男性医師より劣る」などの研究結果を私はこれまで見たことはない。

「女性医師が患者の死亡率を下げる」調査結果が相次いでいる

 むしろ逆。「性差はない」「女性リーダーの方が部下の能力が発揮される」ことに加え、医学会においては「女性医師が患者の死亡率を下げる」(内科、外科)、「女性医師の方が患者の再入院率を下げる」(内科)という調査結果が相次いでいるのである。

 米国ハーバード大学公衆衛生大学院が行った「Comparison of Hospital Mortality and Readmission Rates for Medicare Patients Treated by Male vs Female Physicians 」というタイトルの論文は米国で話題になり、ワシントンポスト、ウォールストリートジャーナル、CNN、ハーバードビジネスレビューなど、多くのメディアでも取り上げられた。

 この調査では2011~2014年にアメリカの急性期病院に入院した65歳以上の高齢者およそ130万人のデータを分析。医師の性別により患者の「30日以内の死亡率や再入院率」を比較したところ、女性医師が担当すると両方とも低くなる傾向が認められたのだ。

 具体的には女性医師だと「30日以内の死亡率が0.4%、再入院率は0.5%下がる」(死亡率0.4%は過去10年間の死亡率改善とほぼ同レベル)ことがわかった。

 こういった結果が出ると「でも~、それって~女の医師が単に症状の軽い患者を診てるケースが多かったからじゃないの~?」という意見が出る。

 そこでこの調査では、

  • 男性医師と女性医師の診療している患者の重症度を同レベルにする
  • 同じ病院で働いている男性医師と女性医師を比較する

 などの補正を行い(統計的な手法)、環境要因の影響を排除。
 加えて、

  • 入院患者の診療しかしない内科医である“ホスピタリスト”のデータを用いた分析

 も行い、調査の信頼性を高めた。

ホスピタリストとは、1990年代に生まれた「入院患者の診療」しかしない診療医。「外来患者」を担当するのはプライマリケア医。ホスピタリストは一般的にシフト勤務をしているため、患者が具合が悪くなり病院に運ばれたときのシフト勤務医師がその患者の担当医となる。

 ここまで丁寧に分析をした結果が、「女性医師の患者の死亡率を下げる」という結果だったのである。

 この調査が行われた背景には、「この患者は重症だから、Aさん(女性)では難しいだろう。Bくん(男性)に担当してもらおう」とか、「女性の医者では不安です。男性の医者を主治医にしてください!」といった“ジェンダー・バイアス”が米国で起こりがちだったため、それ払拭する目的があった。

 当初の仮説は「性差なし」。ところがいい意味で結果は研究者たちを裏切った。

 「性差がない」どころか、「女性医師で死亡率が下がる」というエビデンスが得られてしまったのだ。

 では、なぜ「女性医師が患者の死亡率を下げるのか?」

 先行研究で「女性医師は男性医師に比べて、患者の立場に立ってコミュニケーションを取る」ことが報告されていて、そういった患者との関わり方の違いが患者の予後に影響を及ぼしている可能性が指摘されている。

 健康社会学の分野でも、近い人との質のいいコミュニケーションが余命を伸ばす研究結果は多数報告されているし、個人的な経験からも、これはかなり納得できる考察である。

 個人的な話で申し訳ないが、3年前に旅立った私の父親は「お医者さま」の言葉を何よりも頼りにしていたのである。

医師は「残された命」に光を与えてくれる存在

 「○○先生から運動していいって言われた!」「○○先生が“血液検査の結果も良好!”って言ってた」「○○先生から“順調ですね!”って言われた」などなど、入院中も通院しているときも、父は医師の言葉に勇気をもらっていた。そして、そういう父を見るのが、私たち家族の希望でもあった。

 そのつまり、なんというか、医師というのは医療現場が考えている以上に、患者や家族にとって「残された命」に、光を与えてくれる存在なのだ。その「光」が生存率や予後にも影響することを「医学会の偉い人たち」にはもっとわかって欲しいと思う。

 そして、今回の「一律減点事件」を必要悪などとするのではなく、「患者の立場に立ってコミュニケーションを取ること」が患者の死亡率に影響する可能性を示唆した極めて重要な研究が、女性医師への偏見をなくし、女性医師たちの活躍の場が広がる意義あるものとしてもっと世間に広まって欲しいと心から願っている。

■訂正履歴
記事中の死亡率、再入院率に誤りがありました。お詫びして訂正します。記事は修正済みです。 [2018/8/7 10:30]

女性の扱いに悩む男性社員の必読の一冊! を出版することになりました。

ババアの私が、職場・社会にはびこる「ババアの壁」の実態と発生原因を探り、その解決法を考えます。

なぜ、女性上司は女性部下に厳しいのか?
なぜ、女性政治家は失敗するのか?
なぜ、女の会議は長いのか?
なぜ、女はセクハラにノー!と言えないのか?
などなど。
職場や社会に氾濫し増殖する「面倒くさい女たち」を紐解きます。

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