自分がいい年になってから、改めて親に接すると、そこには「親子」の関係だけではなく、「ひとりの人間として向き合う」関係性が浮かび上がります。お盆休みに帰省などされて、お年を召された親御さんに会って、改めてそれを感じられた方も多いのではないでしょうか。

 介護とは、自分をはぐくんでくれた親との新しい関係性の構築、とも言えるかもしれません。子どもにとっては、医療や生活の補助などの物理的なこと以外のさまざまな感情が、介護の中に含まれるわけです。

 今回のゲストは、人気コラムニスト&ラジオパーソナリティのジェーン・スーさん。ジェーンさんは、80歳になられたご自身の父親との“関係再構築”を赤裸々に語られた『生きるとか死ぬとか父親とか』をこの5月に上梓されました。ジェーンさんは娘と父親、松浦さんは息子と母親。クロスする子どもと親の「どうあるべきか」を、語り合っていただきます。

<span class="fontBold">ジェーン・スー</span> <br />1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。現在、TBSラジオ「<a href="https://www.tbsradio.jp/so/" target="_blank">ジェーン・スー 生活は踊る</a>」のパーソナリティーを務める。『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344424646/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=n094f-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4344424646" target="_blank">貴様いつまで女子でいるつもりだ問題</a>』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4591146553/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=n094f-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4591146553" target="_blank">私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな</a>』(ポプラ文庫)、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163904611/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=n094f-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4163904611" target="_blank">女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。</a>』(文藝春秋)、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4023315788/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=n094f-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4023315788" target="_blank">今夜もカネで解決だ</a>』(朝日新聞出版)など。コミック原作に『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4107719685/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=n094f-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4107719685" target="_blank">未中年~四十路から先、思い描いたことがなかったもので。~</a>』(漫画:ナナトエリ、バンチコミックス)がある。</p>
ジェーン・スー
1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のパーソナリティーを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』(文藝春秋)、『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)など。コミック原作に『未中年~四十路から先、思い描いたことがなかったもので。~』(漫画:ナナトエリ、バンチコミックス)がある。

 スーさんの『生きるとか死ぬとか父親とか』を読んではっとしたのが、まず「そうか父親って娘からこう見えるんだ」という驚き、そして、独身の子供は異性の親とマン・ツー・マンで向き合うことが、今後はとても増えてくるんじゃないかな、という気付きでした。松浦さんはお母様、スーさんの方はお父様、と、性別は逆ですが、そこの難しさとか、どう乗り越えていくのかというところから、始めていただければと思います。

松浦:何というんでしょうね。介護を通して、初めて「他人」としての母親と向き合ったのは間違いないです。どう言ったらいいのか。親子って……言ってしまえば役割じゃないですか。その役割とは別のところで個人として向き合った。

 僕の場合は、母と個人として向き合った時点で、彼女にはすでに認知症が始まっていました。こう言っていいかどうか分からないけど、僕の認識で言えば人としての機能の「劣化」なんですね。ところが、そうなっても個人の人間としてのコアの方は意外と衰えていない。その人らしさというか、人格の手触りみたいなところは変わらないものなんですよ。

ジェーン・スーさん(以下スー):なるほど、そうでいらっしゃったんですね。

松浦:実はいま「あっ」と思ったんですけど、僕はこの本の最後に母親の若いときの話を書いたんですけれども、なぜそれを自分が書く気になったのかが分かりました。自分でも無意識にやっていたんですけど。つまりは、一個人としての母に向き合ったからなんでしょうね。

スー:はい。そう感じました。

松浦:今、この場で気が付きました。

面白い時代を生きてきた「人」として親を見る

スー:松浦さんのお母さま、たぶんうちの父親と同世代ではないでしょうか。

松浦:うちは1934年、昭和9年生まれです。

スー:うちは昭和13年生まれです。ほぼ同世代とさせていただくとすれば、同じような面白い時代を生きてきた人たちじゃないかと。

松浦:もう、うちの母から往年のことを聞き出すことはできないんですけれど、たまたま別の仕事の関係で10年前に母に当時の聞き取りをやっていたものですから、そのときのメモと書いた記事を使って最終章に書いたんです。まだまだ書いてないことがいっぱいあるくらいですから、面白い時代だったのかもしれません。スーさんは、そういう意味ではお父様という方を「今」という時点から、探っていますよね。

スー:はい。私は子供時代に父と「親子」としての接点、たとえば公園で遊んだり勉強を教えてもらったりがほとんどなかったので、母の没後にあらためて父親と娘として向き合うことになりました。すると、「うちは母親がいて初めて家族として成り立っていたんだ」とひしひし感じるわけです。母を失ってから20年が経過しましたが、20年かけて父とふたりで家族を再構築したようなものです。

 本当に高をくくっていたんですよね、父も私も。「2人になっても家族のままだろう」と。でも、父と娘がそこにいるだけでは家族には成りえなかった。ただ血がつながっている2人がいるだけだったんです。

 これ、文字にするとすごくキツいかもしれませんが、笑いながらお話しされてますので(笑)。

スー:松浦さんがおっしゃったように、「親」と「子」って、どうしても親子という配役が決まってからでないと出会えないんですよね。配役を外してお互いを見た時に、個人としてどうとらえるか。親子の配役を背負ったままだと、お互いからにじみ出る人間性を客観的に評価するタイミングがまるでないんですよ。

松浦:なるほど。

スー:私は父親に対して、「親として何点か」でしか見てなかったと気付きました。親という世間の決めた型と比べて、うちの父親は何点マイナス、という減点法で採点していた。

 ところが、ふと立ち止まって考えてみると父はそうではなかった。父は私に一貫して「好きに生きればいい」と言い、私が独身であることや、子供を生んでないことを責めることはなかったんです。父は私に、いわゆる理想的な娘の型をはめてジャッジしたことがなかった。にもかかわらず、躍起になって世間の考える理想の父親像を求めていたのは私の方。それにやっと気付きましたね。

私にとっては、親は“先輩”でした

松浦:「親」「子」という役割とは違うところで、人対人がぶつかって、初めて見えてくることが。

スー:そうですね。一個人として父を見て、初めて「父親と同じ時代に生きて一緒に働いていたら、結構楽しかっただろうな」とも思えました。父親という属性を外して初めて見られた個性です。嫌だ、嫌だと思いながらも似ているところがあるなと思ったり。父の生きてきた人生を聞くのは、なかなか楽しい実験みたいなところはありました。

 ちなみに、おふたりとも、同性の親御さんとのご関係はいかがでしたか。

松浦:僕は父親が新聞記者なんです。僕も雑誌記者上がりなので仕事は同じなんだけれども、父は人文系、私は理系で、絶妙に接点がない。そうするとあつれきがないんです。話が合ってあつれきがないという状態だったので、父とはそんなに僕はもめたことがなかったんですね。

スー:なるほど。

松浦:むしろ、同業の先輩として父の話す経験談や思考法を結構活用させてもらったと思っています。

スー:私も母とは、思春期ならではの反抗はありましたけど、それが終わってほどなく、私が社会人になってすぐに亡くなったたので、あつれきが生まれる暇はありませんでした。いなくなってしまったので、その後に関係性が変わり、母が「毒親」のような存在になったかどうか? それも分かりません。

 本では、スーさんの家庭はお母様が教祖の、すごく小さい宗教みたいになっていたと書かれていて、印象的でした。

スー:ちょうど具合がいいんですよね。父と私、信者がたった2人だけの小さい宗教。父と私にとってはそこだけがよりどころで、仲たがいしても最終的には教義に帰ってきて「また明日も生きていこう」となる。亡くなった母を都合よく美化しているところもあるとは思いますが、父と私にとっては大切な信条です。

独身者による介護は辛いか?

 松浦さんの『母さん、ごめん。』は、「独身者の介護」の実録でもあります。親と1対1の介護というのは、たぶんどの独身者もこれから背負っていかなきゃいけないテーマになるのかなと思うんですが。

スー:その点に関して、私はいまのところ自分が独身でよかったなと思います。結婚して配偶者や子供がいたら自分の家族が優先されるでしょう。たとえメインの稼ぎ手が私だったとしても、自分の親に好きな時に好きなだけ時間を割いたり金銭的援助をしたりはできなかったでしょうし。

 松浦さんのご著書を拝読していて、銀行口座の預金残高がどんどん減っていく場面では「大変な思いをされたんだな」と胸が痛んだのと同時に、僭越ながら「松浦さんにご自分の家族がいなくてよかったのかもしれない」とも思ったんです。お子さんがいて、教育費がかさむ時期と介護が重なったとしたら、お母さまのことを考えての家の改装は難しかったかもしれません。介護の担い手が足りないなど不都合もあるとは思いますが、公的支援を上手に利用できれば、考えようによっては独身者は気持ち的には楽なのかもしれないな、と。お金の問題が解決できれば、という前提はありますが。

松浦:独身に限らず、僕は介護って実は7割から8割ぐらい、経済問題だと理解しています。

スー:昔のドラマになぞらえて「同情するなら金をくれ」と書いていらっしゃいましたものね。

松浦:ひどい言い方ですけど、お金があれば何とかなるみたいなところが絶対にあります。そうなると、独身が極端に不利、不遇、とも言いにくいかなと。もちろんすべてじゃないですが。

スー:松浦さんも私も、異性の親と密接にかかわる時間をたっぷり持てています。これは運が良いことだとも思うんですす。両親ともに健在だったり、自分に配偶者がいたりしたらここまでの時間は共有できなかったかもしれない。しかも、松浦さんの場合は介護を通してご自身のできることがいくつも増えていらっしゃる。素晴らしいです。

松浦:(笑)

スー:いいことばかりではないけれど、ボーナスポイントもあると思います。松浦さんはお母さまの好き嫌いなどご著書にすべて書いていらっしゃるけれど、それを知らないまま親と別れる人も少なくないと思います。私は、父と向き合って父のことをたくさん知ることができました。母が他界していたからこそ知りえたことばかりです。

スー:と、独身で親の面倒を見るのは大変だと思われがちですが、意外と“おいしい”ところもある。どんな状況にもいいところと悪いところがあるので、ご家族がいる方が不利というわけでは、ありませんが。同時に、独身者であることとか、片方の親しか残ってないことが損ばかりでもないな、と思います。

松浦:ただ、煮詰まるんですよね。

スー:ああ、それはそうですね。

松浦:特にうちの母は認知症が急速に進行したものですから、家の中でずっと向き合っていると、精神的に引っ張られるんですよ。ここら辺(と、頭の後ろに手をやる)からちゅーっと自分の生気を吸い取られるような感覚のところがあって。

スー:そうでいらっしゃったんですね。

松浦:そのときに「外側」があると……この場合例えば家族ですね、それがあったらおそらくもうちょっと耐えられたんじゃないかなと思います。もしも、社会的支援の受け方を知らないままだったなら、そのまま1人で穴に落ち込んでいた可能性もあるわけですし。

 例えば、衰える母がいる一方で、育つ子供がいれば、気持ちの上では抵抗力につながるのかもしれない。しかもうちは、母に引っ張られたのみならず、実は母が飼った犬もいまして、この犬が実は今ちょうどもうそろそろおだぶつ状態。

スー:ワンちゃんの介護もしていらっしゃるんですね。

松浦:はい、またしても自宅介護状態なんです、今(笑)。

腹をくくられた様子が文字から見えました

スー:『母さん、ごめん。』を読んでいると、前半では松浦さんが日々の生活にとてもストレスを感じていらっしゃるのが手に取るようにわかるんですけど、後半どんどん、ちょっとギャグめいてくるというか、何かのタイミングで状況に腹をくくられたんだな、というのが分かって、そこからどんどん楽しく読めるようになってきました。

 大変なのは重々……重々承知とは、認知症の親を介護したことのない私には言えませんが、ただ何かあるタイミングから、「これも人生」と達観するフェーズに移行されたんだなと分かって。読んでいてほっとしました。光が差していました。介護というしんどい日々にも、やり続けていればたぶん大気圏を抜けるタイミングというのがあるんだなと。

松浦:ああ、そう思われましたか。実はあまりそういう意識はなかったんですが。

スー:「どんどん何かが欠けていく、崩れていく」という恐怖と背中合わせの文章を書いていらっしゃると思いながら読んでいましたが、あるときから、はいはい、もううちはこれがデフォルト(初期設定)。はい、また1つ(できることが)減りました、じゃあ、次どうしましょう、と文章が明るくなっていらっしゃった。そこに希望を見ました。

松浦:たぶんそう読めたとしたら、さっき触れた「外部」が入ったことです。特にヘルパーさんが家に入って1日1時間なりやってきてくれると、そこのところで外との情報的なつながりができるんですよね。

スー:そうですよね。

松浦:それはものすごく大きい。この本を出してから対談や取材を受けた中でよく言われるのは、女性の方は身近に必ず息抜きの場をつくるんだけど、男性で介護をする人はこれができずに、煮詰まる人が結構多いということです。家族がなくても、外部と接していく方法はあるのに、どうも男性はそれが苦手ということらしい。

男性は、辛い時に独りになりたがるんですね

スー:50代とか40代、私と同世代ぐらいから上の男性で、これはちょっとどこかのタイミングで何とかしないとマズイのでは? と感じた点がいくつかありました。その世代の男性は、幼少期に炊事や洗濯や掃除、つまり家事全般を上手に執り行うことに対して周囲からほとんど期待されないまま育っているのではないでしょうか。よくも悪くも女性はその手の期待をされてきて、上手下手はあるんですけど、家事に対して抵抗が少ないとも言える。

 男性の場合は、介護のタイミングでほぼ初めて家事をやるという方もたくさんいらっしゃるでしょう。松浦さんは最初から比較的お料理ができた方だと思うんですけど、あのレベルからいきなりできない人はたくさんいるかと。そうなると、必要となるまえに料理を練習しておいた方がいいでしょうし、洗濯、掃除を効率よくやる方法を意識するとかもそうですね。

 そうそう、松浦さんは、「煮詰まったらバイクに乗って映画館」と書かれていました。あれを読んだときに、「あ、男の人はやっぱり辛いとき独りになりたがるんだな」と思って。もちろん、これも個人によるとは思いますが。

松浦:(驚いた様子で)……そうですね。それはそうです。今言われて初めて気が付きました。人と話にいって愚痴を言うんじゃなくて、外部を切り離しちゃいたくなっちゃう。

スー:私が同じ状況に陥ったら、ばんばん友達を呼んで、ぎゃんぎゃんしゃべっていたと思います。そこでいろいろな情報が入ってきて、井戸端会議のなかで「うちのおばあちゃんの時はこうしたよ」とか、たぶん話すんですよ。これも拙著には書きましたが、うちは実家を撤収するときに全部友達に手伝ってもらっていますし、友達にずいぶん助けられました。

 突き詰めていくと、「男の子なんだから泣いちゃだめ」というような、子供のころからの呪縛が男性にもある。人前で、素面で、弱音が吐きづらい。弱っているところを人に見せるのは恥だとか、ぐちぐち言っている男は情けないという男性に掛かりがちな社会圧を変えていかないといけないのではないかと思いました。男同士で介護にまつわる愚痴を言い合ったり、情報交換したりが抵抗なくできる社会にしていかなきゃいけないな、と。

 松浦さんとは宇宙関連の連載を担当させていただいていたんですけど、介護のことは一言もおっしゃらなかった。お母様が施設に入られた後、初めて、「今まで実は」と言われて、びっくり仰天して、じゃあ、それを書いてくださいとお願いしたのが「介護生活敗戦記」なんです。

松浦:書いてくださいと言われて驚いた(笑)。記事になるとは思ってもいなかったので。

スー:よかったですね(笑)。

 そのとき松浦さんに「なぜ今まで私に教えてくださらなかったんですか」とお聞きしたら、「だって言っても何も変わらないだろう」と。

スー:そうそう。男性からよく聞く台詞です。でも、人に話すだけで変わることもある。会話って、すべてが即意当妙に解決策を出さなきゃいけないものでもないと思うんです。相手に解決できないこと、解決してほしくないことは話すべきではないという思い込みが強い男性にもよく出会いますが、無駄話の中からヒントをもらえたりとか、情報をもらえたりということはとても多い。私たち無駄話のプロは、それを確信しております(笑)。

 とはいえ、時代も変化しています。30代だと、同じ幼稚園や小学校に通うお子さんを持ちのお父さんたちが、パパ会をやっていらっしゃったりするんですよ。問題は、私たちの世代ですよね。これから親の介護に直面していく世代。松浦さんのように、知らない人たち(ヘルパーさん)が入れ代わり立ち代わり家に入ってくる環境に順応できる人ばかりとも限らないですし。

コミュ力なんて、人の話を聞かなくても大丈夫

松浦:その話、まさにNHKで介護殺人の番組を作ったディレクターの方がしていました。男性が多いそうですが、ひとりで悩んで苦しんで、結局もう話すことを拒んじゃう人がいる、と。公的介護の立場でその人を支援する方が、コミュニケーションの糸口をつくるのにものすごく苦労するんだそうです(「普通の人が親を殺す『介護殺人』の悲劇」)。

スー:コミュニケーション能力は後からも培えるものだと思います。

松浦:そうなんです。それに、実はたぶんそんなに難しくないんだと思うんです。変な言い方ですが、実はコミュニケーション能力の中には「人の話を聞かずに自分がしゃべる能力」というのがあるんじゃないでしょうか。99歳まで生きた私の祖母は、晩年、女学生時代からの友達がそこそこ近くに住んでいました。2人とも90歳後半まで、ぼちぼち会っていましたが、片方は耳が遠くなって、たまに相手の耳に口をつけて話していたりして。これ、もう会話の意味が通じているんだか通じてないんだか分からない。

スー:言いたいことを言っているだけと。

松浦:そう。

スー:それ、私は15歳ぐらいからずっとそうですよ。それもコミュニケーションの楽しさの1つです。

松浦:そうそう。でも、会ったあとはなんだか楽しそうな顔をしている。

スー:そうそう。楽しいんです。お互い、相手の話は聞いてないですけどね(笑)。

(次回に続きます。明日掲載予定です)

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