『残念な職場』を書いた河合薫さんがベストセラー『不死身の特攻兵』の著者、鴻上尚史さんと対談。9回出撃して9回生還した特攻兵、佐々木友次氏の生き方、現代の職場に通じる課題などを語った。(写真:栗原克己)

鴻上:河合さんの『残念な職場』は興味深い点が多数ありました。なかでも印象に残ったのは、女性が「職場でポジティブな気分を感じている」のに対して、男性は「家庭でポジティブな気分を感じている」という部分です。

 一方、ストレスを感じると上昇する「コルチゾール値」は男性、女性ともに家庭よりも職場のほうが低い。つまり職場のほうがストレスは小さいのですね。すると、男性は家庭でポジティブな気持ちであると同時にストレスを抱えていることになります。

河合:ストレスのような生体反応が、気分と矛盾するのは実はよくあることです。「たいへんだけど仕事にやる気がみなぎってくる」ように、ストレスがかかっていても、気分のうえでは満足感が高いことがあります。ストレスがあることと満足感を持つことは必ずしも一致しないのです。

 女性の場合、職場のほうがストレスは小さく、気分もポジティブな状態にあります。男女でなぜこうした違いがあるのかといえば、男性は職場でたいへんなことがあっても、家庭ではくつろぐことができる面があります。女性は職場を出て家庭に戻ってからも、今度は家庭での仕事がある、などの理由が挙げられます。

鴻上:男性、女性ともに家庭のほうがストレスが大きいとは、なかなか複雑ですね。

河合:職場では「頑張った」「君のことを必要としている」と言ってもらえることがあるのに対し、家庭ではあまりほめてくれないことがストレスにつながっていると思います。

 家庭に比べてストレスの小さい職場ですが、そこには階層社会があります。そして、階級社会の特徴はその場の状況に染まると、外から見たときに「それはおかしいだろう」ということが見えなくなることです。『残念な職場』を通じて伝えたかったのは、おかしいはずのことが「当たり前」になる理不尽さです。

 鴻上さんの『不死身の特攻兵』を読んでまず感じたのは、「ここにも残念な職場があった」ということです。この本で鴻上さんが書いたように、戦前の日本軍において佐々木友次さんは優秀なパイロットであるにもかかわらず、特攻隊に任命されました。軍はせっかく佐々木さんを育てたにもかかわらず体当たりをしたら、もう飛べなくなります。これはあまりにもおかしなことです。

 次に感じたのは、鴻上さんによるインタビューに対して佐々木さんの感情がすごく「割れている」ところです。特攻隊として「絶対に突っ込もう」と思っていたとする一方、「なにがあっても生き延びてやる」でもあったという。組織の人間としての感情と一人のパイロットとしての感情の両方があり、もっと知りたいと思いました。

鴻上:まず『残念な職場』について、組織がブラックになればなるほど、所属する人は本音が言えなくなる、ということではないでしょうか。当時の状況に対して、佐々木さんにはやはり「残念だ」という気持ちがあったと思います。

 では、そんななかで佐々木さんはなぜ、9回特攻に出て9回帰って来られたのか。なせ生き延びたのか。それが知りたくて、僕は何回も佐々木さんとお会いしました。

飛行機で飛ぶことが好きで本当にワクワクしていた

 そもそも佐々木さんは「人間はそんなに簡単に死ぬものではない」と思うところがありました。佐々木さんの父親は日露戦争を生き残り、勲章をもらっていましたし、佐々木さんが所属していた部隊長は「死ぬな」と言っていました。

<span class="fontBold">鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)</span><br />1958年愛媛県生まれ。早稲田大学卒。81年に劇団「第三舞台」を結成。以降、作・演出を手掛け、紀伊國屋演劇賞、ゴールデンアロー賞、岸田國士戯曲賞を受賞。現在は「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」での作・演出を中心としている。2010年には虚構の劇団旗揚げ三部作戯曲集「グローブ・ジャングル」で第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。海外公演も行っている。17年に著書『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』を発表
鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)
1958年愛媛県生まれ。早稲田大学卒。81年に劇団「第三舞台」を結成。以降、作・演出を手掛け、紀伊國屋演劇賞、ゴールデンアロー賞、岸田國士戯曲賞を受賞。現在は「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」での作・演出を中心としている。2010年には虚構の劇団旗揚げ三部作戯曲集「グローブ・ジャングル」で第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。海外公演も行っている。17年に著書『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』を発表

 ただし、もっとポジティブでプリミティブな理由があったと思います。それは佐々木さんが空を飛行機で飛ぶことが好きで本当にワクワクしていた、ということです。乗っていたのはあまり性能がよくない飛行機でしたが、その飛行機も佐々木さんは大好きだったのです。にもかかわらず、飛行機で体当たりをすれば当然壊れるし、もう飛べなくなります。それが嫌だというのが一番の理由だったのではないかと思います。

 それでも組織が大きくなるほど、階層が厳密になるほど、「好きだ」という原初的な言葉は通じなくなります。だから、佐々木さんはそうした言い方をしなかったのではないか、という気がします。

河合:特攻隊は「死ぬのが当たり前」とされていたと聞きますが、佐々木さんは特攻隊についてどうとらえていたのでしょうか。

鴻上:やはり「死ぬ覚悟はあった」とおっしゃっていました。飛行機乗りになった以上、どこかで死ぬことはわかっていましたが、いざ死ぬときには「効率的な死に方をしたい」「意味のある死を迎えたい」と考えていたのだと思います。

 特攻隊は初期のうちベテランのパイロットが選ばれていました。ベテランにはスキルがあり体当たりができると考えたのでしょう。しかし、それならば「自分を一回の特攻で殺す」よりも、「撃ち落とされるまでは出撃を繰り返す」ほうがさらに効率はいいはずです。佐々木さんにとっては「自分たちも戦いがいがある」ということだと思います。

 一方、上官がベテランパイロットを選んだのは「奇跡を起こすためにはこんな優秀な人たちが自らの命をささげて戦っている」と国民と軍隊内部に示す面もありました。

河合:それはあまりにもおかしい状況です。

鴻上:上官たちは日本人が好きな精神性で、必死で忠を尽くしていれば頑張ればなんとかなるというわけです。そして、戦後70年以上たってもそんな構造は変わってないと思います。店長が身を粉にして働き、体を壊すか精神を病むかの直前で表彰の対象になる。月100時間、200時間の残業が称えられ、愚かなことだと気づかない状況と似ています。

河合:精神主義は日本人に特有だと思われますか。

鴻上:「上が責任取らない」「現場のせいにする」は日本人だけではありません。また、戦争中のことを調べてみると、例えば、米国のリーダーでもとんでもない決定をした人がいます。

 日本と米国の違いは「その後」です。米国ではとんでもない決定をしたリーダーはクビになったり、地位をはく奪されたりします。これに対して日本の場合、とんでもないリーダーでも身内だからとかばう面があります。

情でみるとき、100%いい悪いにならない

 『不死身の特攻兵』に書きましたが、敵前逃亡でフィリピンから一人で逃げたにもかかわらず、結局責任を取らないまま軍に復帰した司令官がいます。日本人は直接ぶつからない、言わないで気を回すことを美徳とする文化があるため、「あなたは能力がないから司令官になれない」と言えなかったのです。現状維持で残そうとするため、敵前逃亡の司令官まで軍務に復帰したのです。これは最近さまざまな場面で出てきた忖度と似ています。

河合:日本の職場も同じだと思います。つぶれた会社について調べてみるとダメな会社、残念な会社の原因となった人も、なぜかかばっていることが多いのです。これが果たして日本人に特有なのかどうかはわかりませんが、国によって「違うな」と思うことはあります。

 私は小学校4年生から中学1年生まで米国でも田舎のアラバマ州にいました。日本人は私の家族だけでしたが、当初は国が違っても人は本質的な部分は同じだと思っていました。しかし、遊んでいて岩から10メートルほど下の池に飛び込んだとき、あまり泳ぎが得意でない私はおぼれかけたにもかかわらず、米国人の友達はジョークを言っていました。私が死にそうだというのに「ここで言うのか」と思いました。こうした違いは戦争のような究極状態だと出やすいかもしれません。

鴻上:戦前の軍隊は典型的なブラック企業であり、ファクトを見ていませんでした。代わりに見ていたのが「情」です。特攻もファクトでなく情を見て、情にフォーカスしていたから「命がけでやっている以上間違いなく戦果は上がっているはずだ」としていたのです。特攻の後期には、訓練時間が100時間ほど、本来ならば離着陸だけでも必死という人を特攻に出したとき、「お前たちの気持ちさえあれば」などと、情から言っていました。

 僕は河合さんの『残念な職場』を読みながら、「日本的」とはいったいなんだろう、と思いました。

 ファクトでなくて情でみることは、100%いいとか100%悪いということはありません。だからその分、やっかいです。僕は「cool japan」というテレビ番組を13年ほどやっていますが、外国の人が言うのは、日本人の思いやりは例えば東日本大震災のとき、スーパーやコンビニが襲われなかったうえ、帰宅途中にある商店が夜も店を開けて暖かいコーヒーを配るといったことに表れているというわけです。そのすごさは情がポジティブに表れ、うまく機能したのだと思います。しかし、情はマイナスに働くと「気持ちさえあればどんなに腕が悪くても特攻の成果が上がる」といった方向に向かうのです。

河合:佐々木さんについて、私はSOCがとても高いと感じました。SOCとは究極の悲観論の上のポジティブな感情を指します。首尾一貫感覚が直訳ですが、私たちが使うときは「生きる力」「対処力」としています。

 特攻隊では自分が突っ込んでいく指令が出ましたが、佐々木さんにとって一番大切にしなければならないのが飛行機だったからこそ、飛行機で自分のスキルを最大限使い、最後は飛行機で乗って帰ってきたわけです。これは究極の悲観論の上のポジティブな感情というSOCにあてはまります。

「最後には傘を差しだしてくれる人がいる」感覚

鴻上:興味深い指摘だと思います。SOCを磨くにはどうすればいいのでしょうか。

河合:人生経験で育まれますが、特に影響を与えるのは子供のときの親子関係です。分かりやすく言えば、親子間におけるSOCとは、「裏切られることも理不尽なこともあるだろう。でも最後には傘を差しだしてくれる人がいる」という感覚です。

鴻上:その感覚は演出家としてよくわかります。

 僕は稽古場を失敗しても大丈夫な場にしておかなければいけないと思っています。その理由は自分の一番ナイーブなところを差し出していくからです。例えば、恋人同士になっていちゃつく場面では、本当にいちゃついてなければお客さんは見抜くわけです。一方、本当にいちゃつくのは自分の恥ずかしい部分を人前でさらすことでもあります。だからこそ稽古場はそれができる場でなければならないし、その分失敗しても平気な場所にしなければいけないのです。

 誰かが一人でも稽古が終わった後、「お前、普段あんなふうにいちゃついているんだろ」とからかったら、次から二度と人前で見せられなくなります。だから、そうしたことを言う者がいたら、僕はすぐ「もう稽古にこなくていい、帰れ」と言います。その感覚はSOCと同じだと思います。

 その意味で、僕の言葉で言うと「親にきちんと愛されなかった」俳優をリラックスさせるのはすごくしんどいですね。世界が最終的に微笑んでくれるという確信を持たない人は最後の最後でやはり心を閉じますから。

河合:「最後に微笑んでくれる」はまさにSOCです。人生思い通りにいかないけれども終わるときに「まあいい人生だった」と思える感覚です。稽古場で失敗を言えるようにするために鴻上さんは何をしているのですか。

鴻上:僕だけがしゃべり周りが黙る稽古場は絶対うまくいきません。だからまず、全員が同じように発言する環境を作ります。それができたらほぼ芝居の半分以上成功という感じです。

 厄介なのは「ダメな中年のおじさん」です。これは河合さんの言う「ジジイ」に関係しますが、「お前らそんなこと言うんじゃない」と言い出すわけです。そうした「教育」をする人は本当に困ります。

河合:若者は聞きたいことがあっても、「聞いたらだめなやつだと思われる」から聞かないし、言いたいことがあっても言わない傾向があります。学生に「どうするつもりなのか」と尋ねると、「キャラを演じているのがつらいのです」と言いながらも、実際には集団から落ちていくことのほうが怖いのです。これではジジイの文化が広がるばかりです。

鴻上:僕は学校教育の原因だと思っていますが、若者には「許されることしかやらない」発想が目立ちます。第三舞台を解散したあと「虚構の劇団」という劇団を若者と10年ほどやっていますが、第三舞台のときと違い「そんなことしていいんですか」という言葉をよく聞くのです。

河合:「そんなことしていいんですか」は、私もこれまでたびたび学生から聞かされてきました。

鴻上:若手が小さな発表会を開くというので、僕は「初めてだから音響も照明も自分たちでやってみよう」と言ったことがあります。ただし、劇場には音響と照明のブースがあり、窓がついていました。舞台からの声が聞こえないため、担当者はできるだけ広く窓を開けたかったのですが、うまくいかず困っていました。そこで僕は「窓自体をはずしてしまええばいい」と言って、実際に窓をはずしました。若手は驚いた顔で「そんなことしていいんですか」というわけです。僕は若手に言いました。「この劇場は自分たちが借りた以上、自分がルールを作ればいい」。

若者は戦うための牙を完全に抜かれている

 ムダで無意味な校則で育ってきた人は、枠組み自体を疑う発想がないのです。「すごくやばい」と思います。そして、企業はこうした教育を受けて育った人を社員として受け入れるわけです。いつの時代もジジイを倒したのは若者ですが、これでは若者は戦うための牙を完全に抜かれている気がします。

 僕は上が学生運動の世代で、そうした人から例えば早稲田大学では「学生運動のとき、大隈講堂の中でたき火をして焼き芋を焼いた」といった話を聞いてきました。教授が学内に機動隊を入れるかどうか議論した末に「入れるしかない」と機動隊を入れると、大隈講堂では皆が焼き芋を食べて帰ったあとだった、と。そうしたことを知っているので、枠組み全体を疑うのは当たり前だと思っています。

 伝説を聞いた世代だから「校則が間違っている」「辞書が間違っている」と普通に言えますが、下の世代は「学校の名誉のため」といったわけのわからない言葉でさまざまなことを押し付けられています。そんな牙を抜かれた若者がジジイ文化に取り込まれたり負けたりするのはある意味、しょうがないとも思います。

河合:私はジジイたちが一掃され新しい世代になればそんな状況も変わるのではないか、とあるときまで思っていました。しかし、最近になって、「そうではない。むしろ逆だ」と考えるようになります。若者はジジイに何か言われると疑問を持つことなく、流されていくだけになっています。ジジイの壁はどんどん厚くなっています。

 私はストレスを雨に例えて話します。人生の雨であるストレスは生きてればずっとついてきます。でもそのとき、傘があれば濡れずに済みます。SOCとはストレスを乗り越える力でもあります。傘は自分の心の中にあれば、周りにもいろいろ傘があります。自分がどうしようもなくなったとき、傘を貸してくださいと言えるかどうかだと思います。

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 本書は、科学的エビデンスのある研究結果を元に、
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司令官の逃亡 守られたエリート すり替えと責任逃れ 天皇と特攻 「命令する側」「命令される側」 など

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