今年の更新は今週が最終回になる。
来年元旦の更新分は、新春吉例の企画として、いろは歌留多を披露することになっている(編注:昨年分はこちら)。
昨年ですでに6回やっていることを鑑みても、年々ネタ的に苦しくなっていることは我がことながら重々承知しているのだが、われら日本人のDNAには、恒例として引き継がれているイベントをなんとしても続行せんと考える回路が組み込まれてしまっている。
長年続いている何かを途中でやめるのは、ゲンが悪いと、どうしてなのか、われわれはそう考えてしまう民族なのである。
なので、紅白歌合戦や新語流行語大賞がそうであるように、前例を踏襲して恒例化している企画は、どんなに苦しくても、どれほど無意味に見えようとも、とにかく血を吐く思いで続けることになっている。
そんなわけで、今回の原稿が今年の分の最終回となる。
締めくくりの原稿の主題を、週単位でバタバタ動く時事問題にあてるのもなんだかせわしない気がするので、今回は、今年一年を総括する意味で、日々の暮らし徒然の中で私自身の心の中を通り過ぎて行くとりとめのないあれこれを、そこはかとなく書きつける所存なのだが、この作業は、あるいは、はるか昔に吉田兼好という人がしみじみと述懐していた通りに、どうにも狂ったやりざまであるのかもしれない。私は何を言っているのだろう。
12月の初旬、早稲田大学商学部で嶋村和恵先生が開講している「現代広告論」という講義にゲストスピーカーという形でお邪魔した。このゲストスピーカーの仕事は、当「日経ビジネスオンライン」上の別企画で不定期ゲリラ対談を続行している岡康道(こちら)とともに、半年に1回の頻度で、この5年(あるいは7年くらいになるかもしれない)ほど続けさせてもらっているもので、私自身、現役の学生のナマの声に直接触れる機会として、毎回楽しみにしている。
もっとも、昨年度からは、私自身が同じ早稲田大学の文化構想学部で非常勤講師を仰せつかることになったので、ナマの学生を見ることそのものはさほど珍しい体験ではなくなっている。
講義の後、嶋村先生と、ほかに聴講に訪れてくださった幾人かの先生方を含めて会食する機会に恵まれた。
そこで話題になったのは、ありがちな話ではあるのだが、昭和の時代と平成の時代の学生のマナーの変化についてだった。
先生方が異口同音に指摘していたのは、21世紀にはいって以降、それも東日本大震災をはさんで、学生たちが目に見えて「お行儀良く」なっている傾向についてだった。
単に出席率が高いだけではない。
受講態度や、発言を求めた場合の口のきき方、大学構内での立ち居振る舞いのすべてが、実にどうして上品になっているというのだ。
ただ、物足りなく思える点もある。
それは、講義の中で挙手をすることや自分の意見を言うことに尻込みしがちな点で、一人の先生は
「とにかく周囲から浮くことを極端に嫌っているように見えますね」
とおっしゃっていた。
私も、昨年来、同じことを感じていた。
礼儀正しくておとなしくて優秀で、しかしながらその一方でひどく控えめに構えている彼らは、初手の印象としては、なんだか緊張しているように見えるのだ。
しかし、継続的に観察していると、彼らが必ずしも緊張しているのではないことがわかってくる。
私の世代の人間から見ると、21世紀の学生は、昭和の学生がガチガチにカタくなっていた時と同じように見えるのだが、その実、現代の学生たちはさほど緊張しているわけではない。彼らなりにくつろいでいる。つまり、どうやら、目上の人間の前で若干緊張しているかのようにふるまっているのは、彼らが採用している新しい時代の礼儀であるようなのだ。
自分の時代の話をすればだが、私の周囲にいた早稲田の学生はおしなべて粗野な振る舞い方をしていた。
私自身は、自分を上品な学生だと考えていた次第なのだが、その万事に控えめで思慮深い自分から見て、早稲田のキャンパスに集まり散じている有象無象の若者たちは、どれもこれもやたらと声のデカいがさつな人間に見えた。
学生時代に、一度、何かの用事で学習院大学を訪れた折、目白のキャンパス内を行き来する学生たちが、誰も皆、緑深い環境の中で静かに「語らって」いることに、衝撃を受けたことを記憶している。
「ああ、こういう場所をキャンパスと呼ぶのであろうな」
と私は強く印象付けられたものだった。
「あくまでも抑制的な声量と口調で互いの意思を伝え合っているこの人たちと比べたら、オレたちはまるで屍肉を奪い合うカラスだぞ」
当時、早稲田の学生の声がやたらとデカいことの理由として私が自分を納得させていた仮説は、
「なにしろうちのキャンパスは人口密度が高いからなあ」
ということだった。
日曜日のアメ横とそんなに変わらない環境でコミュニケーションを強いられている以上、われわれの声がアメ横の売り子の売り声に近似してくるのは、避けられない必然だと、そう考えたわけだ。
しかしながら、40年の歴史時間を経て再び早稲田のキャンパスを訪れてみると、あらまあびっくり、2018年の早稲田の学生諸君は、1970年代の学習院の学生ライクな口調と声量で静かに語らっているではないか。キャンパスの人口密度そのものは、40年前とほとんどまったく変わっていないにもかかわらず、だ。
これは、どういうことなのだろう。
ワセダが学習院化したということは、もしかして、学習院はまるごと皇室化しているのだろうか。
これまたずっと昔の話だが、1980年代の終わり頃、ある雑誌に
「パパ社長の未来」
というタイトルのエッセイを書いたことがある。
当該のテキストが手元にないので、記憶から書き起こすと、ざっと以下のような話だ。
当時、私は、四谷の荒木町にあるスナックに時々顔を出していた。その、店内に白いアップライトピアノを据えたカウンター8席+テーブル席10人分ほどの小さな店の常連客の中に、ちょっと風変わりな人々がいた。
「○○商事パパ社長会」
という名前でボトルをキープしていた彼らは、名前を聞けば誰もが知っている都心にオフィスを構える一流商社の社員だった。
そのパパ社長会の面々は、商社マンとしての自分たちの暮らしにいまひとつ適応しきれていない人々でもあった。
というのも、彼らは、“生まれつきのサラリーマン”ではなかったからだ。
「パパ社長会」の入会資格は、ただひとつ、「パパが社長であること」だった。
もう少し詳しく説明すると、自分で自分の口を養っている独立自営の父親のもとで大人になった人間だけがパパ社長会の会員になれるということなのだが、ここで言う「社長」は、必ずしも文字通りの「社長」でなくてもかまわない。たとえば個人タクシーの運転手や、おでん屋の店主や、鉄工所のオヤジであってもかまわない。もちろん画家でもキャベツ農家でも漁師でも失業者でも差し支えない。どんな職業であれ、会社に出勤して月々の給料を貰っているサラリーマンでない人間であるのならば、その父親は「社長」と見なされ、彼の子供は「パパ社長」の会員資格を得る。
で、その非サラリーマン子弟であるところの「パパ社長」の会員の面々(以下煩瑣なので「パパ社長」と表記します)は、毎度その店に集まっては、会社員生活に伴うこまごまとしたマナーについて怨嗟の声を分かち合っていたのである。
パパ社長たちは、懇親会や歓送迎会といった非公式の社内行事のいちいちに苛立ちをおぼえる。
「冗談じゃない」
「どうして給料も出ないのに上司やら部下やらと同席しないとならないのか」
「自腹で説教されるとか信じられない」
と、どうしても不満をかかえてしまう。
会議も大嫌いだし、そもそもネクタイや背広を身につけることにいつまでたっても慣れることができない。
その点、サラリーマンの家で生まれ育った第二世代以降の純血種サラリーマンたちは、上司や部下との家族ぐるみの付き合いや、冠婚葬祭にともなうしきたりやタブーといった勤め人の「常識」を、骨絡みの生活感覚としてあらかじめ身に着けている。
対照的に、非サラリーマン家庭の環境からサラリーマン生活に参入した外様のサラリーマンたるパパ社長たちは、電話に出る時の第一声の発し方から、休日出勤のためのマインドセットの作り方にいたるまでのあらゆる組織人としての身の処し方を、ゼロから学びはじめなければならない。
であるからして、パパ社長は、サラリーマン子弟である純血種の商社マンがごく自然に上司の引っ越しの手伝いを申し出るその身のこなしのエレガントさに、うらやましさと軽蔑の両方を感じつつ、その自分の抱いているアンビバレントな感情の浪費具合にうんざりするのである。
もしかしたら、自分自身の休日を無給で上司の私用に供されることに憤懣や屈辱を感じてしまう自分たちは、異常な人間であるのかもしれない。してみると、その種のノルマをあたりまえの義務として飄々とこなしている同僚たちの方が、人間としての練度が高いということなのだろうか。
パパ社長の悩みは深い。
だから彼らは、今日もほかのパパ社長とツルんでは愚痴を言い合い、互いを慰め合っている。
なるほど。
実は、自分もパパ社長だ。
私の父親は小さな木工所を経営する零細企業の社長だった。
そして、あらためて振り返ってみるに、私がふだんから親しく行き来している友人は、あらまあびっくりほとんどすべてがパパ社長なのである。
パパ社長はパパ社長としか飲まない。
パパ社長はパパ社長同士の集団でしかくつろぐことができない。
まるでわれわれは異国で暮らす民族ではないか。
……というこの原稿は、仲間内のパパ社長の間で、大変に好評だった。
「おい、こないだのあのパパ社長の原稿良かったな」
「オレ、涙が出そうだった」
「はじめてお前の原稿読んで共感したぞ」
非パパ社長の読者があれを読んでどう感じたのかはわからない。
というのも、非パパ社長とパパ社長の間には見えない壁があって、お互いに率直な言葉を交わし合うことが大変に少ないからだ。
どうしてこんな古いネタを持ち出したのかというと、ワセダの先生方との食事会の帰り道でつらつら考えるに、もしかして、現代のワセダの学生たちの驚異的なお行儀の良さは、パパ社長の比率の減少に由来しているのではなかろうかという仮説に思い至ったからだ。
パパ社長(非サラリーマンの子弟)は、30年前の段階で既に少数派ではあった。
が、私が子供だった当時は、まだ日本の就業人口に占める給与生活者ないしは被雇用者の割合は、たぶん5割ほどだったはずだ。
私はこういう場面で自説を補強する統計データを探しに行くことはしないことにしている。
それをしたら、ニセ学者になってしまう。
なので、ここから先は、あくまでも私個人の印象であって、エビデンスはないということを申し上げた上で話を進めるつもりなのだが、ともかく、戦後70年の間、わが国の就業人口に占める給与生活者の割合は、一貫して高まっている。
ということはつまり、パパ社長は昭和から平成にかけて確実に減少しているわけだ。
私は、個人的に、昨今の学生のお行儀の良さと、若年層の政権支持率の高さ(これについては、この12月のはじめにTBS系列が、JNNの調査として、18~29歳の男性の73%が内閣を支持しているとする調査データを紹介している)は無縁ではないと思っている(ソースはこちら)。
もっとも、私が言いたいのは、
「給与生活者の子弟は保守的だ」
「サラリーマン家庭で育った若者は反骨精神を持っていない」
ということではない。
話はもう少し微妙だ。
たとえば、われらパパ社長の父親であった自営業者や農業者や中小企業経営者たちが、政権に対して批判的な人たちだったのかというとこれは正反対で、私の父親もそうだったが、昭和の時代において、多くの自営業者やフリーランスの働き手たちは、自民党の支持層だったからだ。
思い出してみれば、30年前に私がパパ社長の原稿を書いた当時、野党支持層は、むしろ都市在住のホワイトカラー層に多かった。
とすると、
「給与生活者の子弟は自民党を支持する」
と、言い切ることはちょっとむずかしい。
私が言いたいのは、誰が保守的で誰が進歩的だとか、パパ社長が与党支持なのかとか、サラリーマン子弟の野党支持率の推移とかそういうガチな話ではない。
私が言おうとしているのは、サラリーマン世帯で生まれ育った子弟は、ごく自然に身に着けたマナーとして世間の大勢に対して融和的にふるまうことが多いのではなかろうかといった程度の話に過ぎない。
これは、政治思想とか反骨精神とかいったおおげさな話ではない。
単なるマナーの問題だ。
で、その単なるマナーの問題として、組織の中で生きる人間のもとで育った子供たちは、「コトを荒立てることをめんどうがる」傾向を持っている。
対して、独立自営民の子弟たるパパ社長は、周囲に合わせて振る舞うことに苦痛を感じる性質を生まれ持っている。
21世紀のわが国の労働人口の最大多数は、被雇用者で占められている。
とすれば、その国の国民の国民性が、組織の一員として生きる人間のマナーを共有することは、もはや避けられない。
一人ひとりの国民が、あえて不必要な自己主張をしないという、たったそれだけのことで、その国の民主主義の根本設定がかなり大幅に変更されてしまうことは大いにあり得る。
年末だというのに、謎のような原稿になってしまった。
今回は、特に結論を提示したつもりはない。
あれこれ考えるばかりで特定の結論に到達しない原稿は、一般的に考えれば不出来なテキストということになる。
その意味で、当稿は失敗なのだろう。
でもまあ、最後を失敗でしめくくっておくのは、新しい年の出発のためにはそんなに悪いことではない。
平気な顔で失敗できるということが、パパ社長のほとんど唯一の長所でもあることだし。
そんなわけで、来年もよろしく。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
それでは皆様、すこし早いですがよいお年を!
なぜ、オレだけが抜け出せたのか?
30 代でアル中となり、医者に「50で人格崩壊、60で死にますよ」
と宣告された著者が、酒をやめて20年以上が経った今、語る真実。
なぜ人は、何かに依存するのか?
<< 目次>>
告白
一日目 アル中に理由なし
二日目 オレはアル中じゃない
三日目 そして金と人が去った
四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
告白を終えて
日本随一のコラムニストが自らの体験を初告白し、
現代の新たな依存「コミュニケーション依存症」に警鐘を鳴らす!
(本の紹介はこちらから)
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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。