みなさまに呆れられ、時にディスられながらも、長ーく愛されてきた「人生の諸問題」。だらだらと永遠に続くかと思われた連載でしたが、いったん終了の節目を迎えました。
ということで、いつものメンバーが東京工業大学に集まりました。何で東工大?……それは本文中で追々、お伝えしていきましょう。では「人生の諸問題@NBOファイナル」スタート!
干支が一回りしてしまいました
岡:いや、この連載はいったい何年ぐらい続いているのかな。
「日経ビジネスオンライン」のバックナンバーを検索しますと、スタートは2007年ですね。ということは、まるっと足掛け12年。
小田嶋:干支が一回りしたんだ。
恐ろしいことに。
岡:12年って、今どき女の子と付き合い続けることだって難しい時間だよね。
小田嶋:だって始めたときは、俺たち、ギリ40代だったような気がする。
そうなんです。「オレたち、もうすぐ50代になっちゃっうよ~」なんて、言い合っていました。
岡:それが今では60代だからね。
小田嶋:で、60歳になったときには、誰もそのことに触れなかったね。
岡:うん、なかったことにしていた。
じゃーん、これが記念すべき第1回です(第1回はこちら)。「『文体模写』『他人日記』『柿』」という一見、意味不明のタイトルで、お二人が登場されています。
小田嶋:ああ、これか。
岡:僕たち、若い!
お暇な方は、ぜひバックナンバー踏破に挑戦してみてください(※ちなみに単行本も3冊、出ています。最終ページでまとめてご紹介)。
岡:これ、当初は、おしゃれな場所で盛り上がってやっていなかった?
小田嶋:そう、まだ編集部に余裕があったころ。
岡:最初はおしゃれだったのに、だんだんだんだん経費削減になってきて。
そこで途中から日経BP社の怪人プロデューサーこと柳瀬博一さんが、カメラマン兼任になりました。じゃーん、ここで、その柳瀬さんも登場です。
ヤナセ:お邪魔しまーす。
柳瀬教授の研究室へようこそ
というか、今日は私たちが柳瀬さんの研究室にお邪魔をしています。柳瀬さんは今年の春に日経BP社をお辞めになって、4月に東京工業大学リベラルアーツ研究教育院の教授に就任されたのです。
岡:なんと。
しかも教授なのに、今日も柳瀬さんがカメラ担当だという。
小田嶋:いや、柳瀬さんも腕をずいぶん上げましたよ。
ヤナセ:ありがとうございます。
小田嶋:連載の途中から柳瀬さんがカメラをぶんぶんやるようになったけど、柳瀬さんの持っているカメラが、だんだんよくなっていくプロセスを、俺は目の当たりにしてきましたからね。最初はコンデジだったのが、望遠レンズのついているものになって、一眼になってと、だんだんレベルアップしてきた。
岡:自分への投資? というやつだよね(笑)。
それで、今は教授さまになっておられる。
小田嶋:自分への投資がムダになっていないのよ。
岡:それにしても、普通は連載といっても、なかなか、ここまで続かないよね。
おかげさまで、みんな、生きてここに。
小田嶋:誰も死なないで、みんな元気でここまで来れたというのはね、これは貴重なことですよ。
岡:誰も死なないというのは重要だけど、あと、みんな、はげなかったというのはね、大きい。
小田嶋:還暦超えのプライドとしてね。だいたい今の俺なんか、「若いやつ」って言うときに、40代を想定しているからね。
10代、20代を飛び越えて。
岡:完全にそうだよね。昔だったら、「40代? オッサンじゃん」という立場だったのに。
小田嶋:この間、小石川高校のでかい同窓会があったじゃないか。
岡:100周年ね。
小田嶋:俺は盛大な式典の方には出席しないで、二次会みたいなところから参入したんだけど。
岡:盛大な式典の後に、それぞれの学年が分科会みたいになって二次会をやったんだよね。
校長先生が小僧に見えるお年頃
小田嶋:そうしたら、でかい方の式典に出てきたやつが、「校長が小僧に見えた」ということを言っていた。
岡:つまり、我々からしたら、校長先生がグンと若い人になっているんだよ。
小田嶋:それは、俺たちが年寄りになったということもあるし、今時分の学校は校長先生を年功序列じゃなくて、優秀さで選ぶようになったということもある。
最近では千代田区立麹町中学校で、「宿題なし、固定担任制も中間・期末テストも廃止」を標榜する校長先生が話題になりました。
小田嶋:公立の王道みたいな中学で、ビジネスイノベーションみたいなことが語られるようになっている。
岡:渋谷区長だって若いんだよ。博報堂出身の40代。
小田嶋:だいたい、お巡りさんに「ちょっと」と、止められると、相手は全部若いからね。素直に「ごめんなさい」と、言いにくいんだよね。
何をやって止められているんだか……はさておき、小田嶋さんは同じことを10年前からボヤいていました。
小田嶋:だから、ますますそうなっている、ということです。
岡:僕は、その同窓会の分科会以来、ずっと風邪をひいているの。
小田嶋:ああ、あれ、外で行われたから。確かに寒かったよね。
岡:秋の夜に戸外って、あり得ないでしょう。
文化祭みたいですね。
小田嶋:ほぼ文化祭の打ち上げでしたね。秋の繁忙期によく会場が取れたよね、ラッキー、ということだったんだけど、何とかガーデンという感じの、オープンエアな場所で、それは夏場は気持ちいいでしょうけれども、何でひざ掛けがあるの? という。
岡:めちゃくちゃ寒かった。
小田嶋:そりゃ、幹事が会場を押さえるのは大変だといっても、空いているに決まってるじゃん、って。
岡:ストーブが何機かあったんだけど、それはやっぱり女性陣が独占しますよね。僕は震えながら、我慢するしかなかった。それで次の日から、リンパ腺が腫れてきちゃってさ。
え、おじいちゃま、大丈夫?
岡:なによ、それ。
小田嶋:今年の風邪は長いというしね。
ボヘミアン・ラプソディに泣く
岡:そうそう、すぐ治ると思ったら、もう全然治らなくて。病院で、ゴルフとかジムとかは行かないでくださいよ、って言われたんだけど、やっぱりゴルフに行ったりしていたの。それで余計にこじれたんですけどね。
小田嶋:せき風邪が結構、はやっているというからねえ。
岡:治らなくてねえ。ほら、お腹のみぞおちのところとか、いろいろ、あちこちが痛くなって。
小田嶋:そうそう、そうやって、やたら内臓に詳しくなっていく。
私たち、今、老人クラブにいますか?
ヤナセ:いや、一応、東工大の柳瀬研究室です。
小田嶋:ともかく、連載を続けられてよかった、ということだよ。
岡:とりわけ小田嶋なんて、ストレスも少なそうだしさ。
小田嶋:いや、意外とありますよ、これが。ちょっとオフレコですが、この間●●が●●になって、とても落ち込んだ。
岡:小田嶋にも、そんなことが起きるんだ。それは確かにきつい。
小田嶋:目の前が暗くなって、この2~3日、ふさぎ込んだよ。これでマージャンの打ち方も、ちょっと変わると思う(笑)。
岡:早い、弱い、明るい、が小田嶋の流儀なんだから、そこはずっと変えてほしくない。
小田嶋:いや、人生の暗転を味わい、そのプロセスの中で「ボヘミアン・ラプソディ」を鑑賞したんだけれどね(「マリちゃんが聞いていた『オペラ座の夜』」)。
岡:ああ、それで、あのコラムの、あの文面ね。それはもう、染みるわね。
「新潮45」休刊を振り返る
そういえば、「新潮45」休刊は小田嶋さんに何か影響を与えましたか?
小田嶋:いきなり飛びましたね。……あれね、面倒くさかったです、ずっと。
岡:分かっていて聞くけど、例のLGBTの論文に端を発した休刊騒動のことだよね。
小田嶋:かつては日本の論壇の一端を担っていた、といわれていたんだけどね。2年前に編集長が代わったときに、編集部の体制がずいぶん変わって、俺の連載も政治的にかみ合わないものになってきて、間に立った編集者が苦慮していた。それで、晩年は「地方新聞を見て歩く」というような、絶対に政治的になりようのないテーマになっていたの。
岡:そういうことだったのね。
小田嶋:熊本日日新聞とか、上毛新聞とかに行って、「最近どうですか?」なんて話を聞いていたのは、安倍さんから俺を遠ざけるための工夫で(笑)。
岡:小田嶋が上毛新聞の経営状態とかを尋ねるって、明らかにヘンでしたからね。まあ、背景には、そういうことがあったわけだ。
小田嶋:それにしても、ここ1、2年のメディアの人たちの身の変遷というのは、すごいものがありますよ。NK新聞、A新聞、M新聞といったところから、ちょっと顔を知っている記者がずいぶんスピンアウトして、まるでパ・リーグの球団が減ったときみたいな感じを味わっています。
岡:どんな感じで動いているの?
小田嶋:大看板から、ネットのニュース媒体に移るパターンが多い。旧メディアにとどまって役員の地位を目論むより、新しい分野で何か始めないと、ちょっと後がないぞ的な感じが漂っていますよね。それこそ広告業界は、メディアよりも、よほど早くにそういうことが起こったんじゃないかと思うけど。
岡さんが電通を辞めてTUGBOATを設立したのが1999年です。まだ20世紀のことでした。
医者と役員と、あと博士号を持っているやつ
岡:今では、かなり昔の話になってしまったけれど、なぜかというと、広告業界は制作者であっても、わりと早く現場から離される仕組みになっていたからなんです。たとえば大看板の編集長から、新興媒体の編集長に移る、というのは、まだ現場感でつながっているよね。でも広告業界の場合は、「40代になったら床の間を背負えよ」ということが、通念みたいになっていたんだよ。
小田嶋:床の間か。
岡:うん、そうやって現場から離されちゃう。でも、それで役員になる保証は、制作者にはほとんどないわけですよ。あとの15年間は、ただ何となく床の間の前にいる人として終わる。
小田嶋:床の間の置物人生か。
岡:それで、俺、床の間人生って、どうなの? みたいな感じになってしまって、自分の行く末を考えちゃったんだよね。まあ、それでもいいやと思う人も、たくさんいたんだけど、そうでもないだろう、と考えたのが僕だった。
小田嶋:我々も60歳を超えたからあれですが、会社員の人生の末期――という言葉は不穏当かもしれないけれど、フィニッシュの時期に役員になるかならないかというのは、結構大事なことで。
岡:それはそうですよ。
小田嶋:役員になって、会社に残ってあと何年かやる、あるいは子会社の社長とかになって、やっぱりあと何年かやる、という方向と、役員にギリ、なれませんでした、ということの差は結構でかくて。
岡:でかいよ。退職金も違うしさ。
小田嶋:それって本当は紙一重の差なんだけど、その差が紙一重どころじゃなくなる。それで、小石川みたいな半端な進学校のクラス会に、俺らの年代で来るやつは、役員になった方のやつだね。
岡:イヤな話だけどね。
小田嶋:同窓会の準備会みたいな集まりに行ったとき、みんなが偉いもんだから、「ああ、うちの学校って結構、ああ見えて、ちょっとした学校だったんだな」と、思ったんだけど、家へ帰って落ち着いて考えたら、そういうやつしか来ないということだった(笑)。
岡:身もフタもないんだよ。
小田嶋:医者と役員と、あと博士号を持っているやつと、って、そういうやつしか来てないんだよ。
オダジマ先生も、そこに入っていた、と。
小田嶋:俺は別枠。そこは自覚している。
岡:サラリーマンというのは、50代が超つらいんですよ。
ヤナセ:いや、分かります!
お、ヤナセ教授が参入です。
出世の真理に気づいたヤツは、バカなことしか言わなくなる
岡:なぜつらいかというと、会社人生の中で、ルールがよく分からないゲームが始まっちゃって、どうすれば勝つのか誰も分からないまま、勝ち負けがついていって、勝ったやつは役員になる。それで、負けたやつは、よく分からない。
小田嶋:これ、語弊があるかもしれないけれど、表現系の業界は、特にその分からなさ感は著しいよ。私が知っているメディア業界で役員をやっている人は、みんな結構……(以下、禁句)。
岡:それは広告だって同じですよ。何か作ったやつ、目立ったやつは、絶対偉くならないですから。
小田嶋:そういう人は、岡みたいにフリーになって独立するしかない。フリーになると、会社の同世代の偉くなったヤツ、偉くならなかったヤツを、外側から観察する立場になる。俺もメディア業界のちょっと外側から、同年代の似たようなやつの動向を眺めてきた。そういう観察を長年にわたって行ってきた結果、出した結論は、「一言多いやつは出世しない」というもので(笑)。
珠玉の箴言byオダジマ先生。
岡:もう間違いないよ、それは。
サイン色紙に添える言葉は、これで決定ですね。
小田嶋:たとえば俺の知っている在京キー局の中で、役員になったやつと、そうじゃないやつを比べてみると、俺の評価とはまったく違うわけです。あんなに優秀だった人が何で今、ここにいる?? とか、逆に、あのぼんくらが何で今、あそこにいる?? とか。
ヤナセ:あるある、あり過ぎるほどあります。
岡:それで、紛らわしいのは、「一言多いと偉くなれない」ということを感づいたやつらは、ばかなふりをするようになるじゃないか。
小田嶋:そうなるね。
岡:たとえば会議の席では、絶対に鋭い意見を言わなくなる。ということは、ばかなやつが偉くなっているのか、ばかなふりをしているやつが偉くなっているのか、よく分からない。あそこにいる役員のあいつが、本当のばかか、そうじゃないか、分からない。ルールも真実も、どんどん分からなくなって、これは苦しい。
ヤナセ:本当に苦しいです。僕の同年代である50代のサラリーマンは、みんなあがいていますね。
(それがどうなっていくのか。第2回に続く。)
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