記者会見に臨む日大アメフト部の宮川泰介選手(写真:AP/アフロ)
記者会見に臨む日大アメフト部の宮川泰介選手(写真:AP/アフロ)

 このコラムが公開される頃、日大アメフト部の問題はどうなっているのだろうか?

 権力、不正、服従、正当化、自己保身、ウソ、無責任、密室性、心理的抑圧etc……。
 これまで研究者たちが検証を試みた「心のメカニズム」が、見事なまでに再現された“事件”だった。
 内田正人前監督と井上奨コーチの節操なき会見は、「権力が強さではなく弱さに宿る」ことを知らしめる象徴的な会見だったし、先だって行なわれた日大アメフト部の選手の言葉には、「不安という感情が人を弱くも強くもする」ことが赤裸々に表れ、切なかった。

 今回のような事件は、どこの組織でも起きるし、起きてきた。過去には何人もの、“内田氏”、“井上コーチ”、“日大アメフト選手”がいたし、“外野席”にいる私たちも例外じゃない。

 そして、手を染めてしまった“あと”を、左右するもの。
 SOC。Sense Of Coherence。直訳すると「首尾一貫感覚」。

 SOC とは人生であまねく存在する困難や危機に対処し、人生を通じて元気でいられるように作用する「人間のポジティブな心理的機能」。このコラムで何回か書いてきたとおり、SOCは生きる力であり、ストレス対処力だ。

 平たく言うと、どんな状況の中でも、半歩でも、4分の1歩でもいいから、前に進もうとする、すべての人間に宿るたくましさだ。

 真のポジティブな感情は、どん底の感情の下で熟成される。この究極の悲観論の上に成立しているのが、SOC理論である。

 勇気ある20歳のアメフト選手の言動は、SOCを理解する上で最良の教材である。

 そこで今回は、「アメフト事件に学ぶたくましさと愚かさ」をテーマにアレコレ考えてみる。

 本題に入る前に、
 なぜ、権力者はのうのうとウソをつくのか?
 なぜ、権力者に従ってしまうのか?
 について、説明しておく。

 まず、前提として権力者が度々ウソをつくことは、世界の膨大な研究結果が一貫して証明している。

 私たちは一般的に、「ウソをつき、責任を回避すると、イヤな気持ちになる」と考える。ところが、ウソを貫き通すことができると、次第に“チーターズ・ハイ”と呼ばれる高揚感に満たされた状態に陥り、どんどん自分が正しいと思い込んでいくのだ。

 権力者の周辺に漂う「もの言えぬ空気」が、権力者の権力を助長し、やがて権力者自身がルールとなり、彼らは「このウソは必要」だと考え、正当化する。その確信が強まれば強まるほど、チーターズ・ハイに酔いしれ、共感も罪悪感などいっさい抱かない「権力の乱用」が横行するのである。

 彼らには危機感の「き」の字もない。あるのはウソの上塗りのみ。
 そして、
「よく言うよ、何年か前の関学が一番汚いでしょ」といった具合に、都合のいい情報を探し出し、巧みに問題のすり替えを行なうのだ。(by 内田氏 「文春オンライン」の音声データより)。

「自分は不正をしない」という人も不正の罠にはまる

 一方、権力に屈し、不正を犯してしまう心のメカニズムは、ミルグラム実験(別名アイヒマン実験)で明かされている。

 これは50年前の心理実験だが、「権威者に従う人間の心理」を理解するための模範的な社会心理実験として、今なお評価されている(詳細はこちらに書いたので興味ある方はどうぞ)。

 どんなに「自分は不正なんかしない」と思っている人でも、極度のプレッシャーに「不安」という心理状態が重なったとき、不正の罠にはまる。
 他人からみればたいしたことじゃなかったり、後から考えるとたわいもないことでも、その渦中にいるときには、過度のプレッシャーに押しつぶされそうになり、つい境界線を越えてしまうのだ。

 だって、人間だから。
 その心情は、アメフト選手が記者会見で語ったとおりだ(以下、記者会見での質疑応答より抜粋)。

記者:もし、これを拒否していたら、どうなっていたとお考えでしょうか? やってしまってもこのようにフットボールをできなくなった可能性も高いし、やらなかったらやらなかったで、やはりまたフットボールができなくなる現状が起きていたんでしょうか? いかがでしょうか?

宮川:この週、試合前、まず練習に入れてもらえなかったっていうのもありますし……どうなっていたかははっきりはわからないです。けども……今後ずっと練習に出られない、そういう状況にはなりたくなかった、という気持ちです。

 不安の極限状態で“光”となるのが、権力者の悪魔のささやきである。

 「オマエのためを思って言ってるんだ」といった甘言に病んだ心はすがり、その言葉を妄信し、「やるしかないじゃん!」ともうひとりの自分に支配される。

 そして、「自分はちゃんと命令通りやっている」という満足感が、不正を犯すという罪悪感を上回り、「アレは仕方がなかった」と自らを正当化するのである。

……が、20歳の青年は正当化しなかった。
これがSOC。そう、SOCだ。

 SOCは、困難やストレスが生じて初めて機能する力で、ストレッサー(ストレスの原因)の多い環境ほど、SOCの高低による影響が現れやすい。言い換えれば、SOCはストレッサーが生じて初めて機能する能力であり、「ストレスに対処するための能力」でもある。

SOCの高い人も「鉄人」ではない

 SOCの高い人は、大きな危機に遭遇したとき、それを脅威ではなく「自分に対する挑戦だ」と考えることができる。自分の人生にとって意味ある危機であればあるほど、「これは挑戦だから、どうにかして対峙してやる」と踏ん張り、対処するのだ。

 とはいえ、SOCが高い=「鉄人」ではない。
 SOCの高い人でも間違いは犯すし、後悔もする。
 それでも絶望の淵から抜け出すための最善の策を探り、覚悟を決め前を向く。ときに傷つき、ときに悩み、自分を見失いながらも、自分を俯瞰する力を取り戻し,自分を信じる力を武器に、困難を乗りこえる度にひと回りもふた回りもたくましくなるしなやかさを、SOCの高い人は持っているのである。

 20歳の青年のSOCは高かった。それを裏付けたのが先の会見であり、彼の贖罪の気持ちが、彼の成長の糧になると確信している。

監督やコーチから理不尽な指示があってこういう形になった後に、たとえば同僚とか先輩とか周りの人たちから「いや、お前は悪くないんじゃないか。監督、コーチの責任じゃないか」という声は挙がらなかったんでしょうか?

宮川泰介選手:挙がっていたと思います。

それを聞いて、ご本人はどういうふうに感じていらっしゃいますか?

宮川:いや、まず、そもそも指示があったにしろ、やってしまったのは私なわけで……。人のせいにするわけではなく、やってしまった事実がある以上、私が反省すべき点だと思っています。

明らかな反則行為なわけですけども、直後から悔悟の念がよぎるその行動を、なぜしてしまったのか? 監督の指示がご自身のスポーツマンシップを上回ってしまった、その理由は何でしょう?

宮川:監督、コーチからの指示に、自分で判断できなかったという、自分の弱さだと思っています。

ただ、今日会見に臨んでくださるような、そんな強い意志を持たれている方が断れない状況になっているということは、これはまた繰り返されてしまう可能性もあるという意味もあって。ここで伝えておかなければならないメッセージというのもお持ちかと思うのですが、そういった点いかがでしょうか。

宮川:自分の意思に反するようなことは、フットボールにかかわらず、すべてにおいて、するべきじゃないと思います。

指導する側に求めるものもあると思いますが、いかがでしょうか?

宮川:指導する側……先ほどから言ってる通り、僕がどうこう言うことではないと思っています。

 20歳の青年は、しっかりと自分の言葉で、自らを罰するがごとく言葉を紡いだ。記者たちが“狙った”安易な質問にも、一切のらなかった。

 あれって、なかなかできることじゃない、と思うのです。
 あのフラッシュの中での記者会見は、本人の想像以上のプレッシャーと緊張との戦いだったはずだ。
 一挙手一投足を逃すまいと構えるカメラと、記者たちがしきりに繰り返した「なぜ、監督やコーチの指示に従ってしまったのか?」という「責め」にも、彼は屈しなかった。

弱さと向き合い、自己受容を手に入れた

 青年は、普通であれば目をつぶりたくなるような、自分の弱さ、不甲斐なさと正面から向き合い、「自己受容(self acceptance)」というリソースを手に入れていたのである。

 自己受容とは、ナルシシズム的な自己愛や過剰な自尊心とは異なり、自分のいいところも悪いところも、しっかりと見つめ、自分と共存しようとする感覚である。

 SOCの高い人たちは、いくつものリソースを獲得しているだけでなく、困難に遭遇する度にリソースを動員する力もある。

 リソースとは、世の中にあまねく存在するストレッサーの回避や処理に役立つもののこと。お金や体力、知力や知識、社会的地位、サポートネットワークなども、すべてリソースである。
 リソースは、専門用語ではGRRs(Generalized Resistance Resources=汎抵抗資源)と呼ばれ、「Generalize=普遍的」という単語が用いられる背景には、「ある特定のストレッサーにのみ有効なリソースではない」という意味合いと、「あらゆるストレッサーに抗うための共通のリソース」という意味が込められている。

 彼は、プレッシャーと先行きの見えない不安から、監督とコーチに屈してしまったけど、ちゃんと「自分」を取り戻した。
 ラフプレーで退場になったあとテントで大泣きしたとき彼の内部にあった「自己受容」に気付き、ご両親や関係者のサポートというリソースに支えられながら、自己受容を強化したのだ。

 「自己受容」はSOCを高める大切なリソースのひとつだ。
 私の個人的な感覚では、40代以上で「自己受容」ができている人は、例外なくSOCが高い。一方、10代や20代で自己受容できている人は、幼少期での親子関係が極めて大きな役割を果たしていた。
 実際、私がこれまでインタビューした人たちで、自己受容できている人たちはそうだった。

 ⻑くなるので具体的なことは、今回は書かないけど(いずれ機会があったら書きます。著書には書いてあるので興味ある方はそちらを読んでください。すみません)、彼にもSOCが育まれる質のいい親子関係があったに違いない。

 SOCはただ単にストレスや困難に対処する力ではなく、困難や危機を成長につなげる力だ。

 20歳の青年は、今はとんでもなくしんどいかもしれない。贖罪の気持ちに押しつぶされそうになることもあるかもしれない。だが、きっと乗りこえられる。周りの力を借りながら、踏ん張り、感謝し、再び踏ん張れば、やさしくて強い人、真のしなやかなSOCを獲得できると確信している。

 今回の事件で、ひとつ残念なのは、記者会見で「信頼していた」という井上コーチが、最後まで権力に屈してしまったことだ。なんというか……、中間管理職のジレンマというか。「自分が未熟だった」という言葉を繰り返していたけど、“日大アメフト部のコーチ”という社会的地位が彼の目を曇らせてしまったのだろう。

13項目の質問によって測定できる

 最後にSOCについて、補足しておく。
 SOCは、イスラエルの健康社会学者であるアーロン・アントノフスキー博士が提唱した概念で、信頼性と妥当性が確認され、世界各地で使われている13項目の質問によって、個人のSOCを測定することができる。私は恩師である山崎喜比古先生の下で、長年にわたりSOCに関する研究を積み重ねてきた。

 SOCの高い人は、さまざまな健康に関する要因を予測する力が高い。
 例えば、SOCの高い人ほど、ストレスにうまく対処し、健康を保つことができる。抑うつや不安、頭痛・腹痛などのストレス関連症状だけでなく、欠勤なども予測する。SOCの高い人ほど、仕事上の疲労感が少なく、バーンアウトを起こしにくく、職務満足感が高いことも確認されている。
 欧米で行われた10年間の追跡調査では、SOCの高い人は低い人に比べて10年後の精神健康が良好であることも確認されている。SOCが寿命を予測するとの研究結果もある。

 ーSOCの高い職場の作り方満載!ー

 本書は、科学的エビデンスのある研究結果を元に、
「セクハラがなくならないわけ」
「残業が減らないわけ」
「無責任な上司が出世するわけ」
といった誰もが感じている意味不明の“ヤバい真実”を解き明かした一冊です。

(内容)
・ショートスリーパーは脳の故障だった!
・一般的に言われている「女性の特徴」にエビデンスはない!
・職場より家庭の方がストレスを感じる!
・人生を邪魔しない職場とは?

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中

この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。