日本時間7月3日の未明に行われたサッカーのFIFAワールドカップ(以下W杯)決勝トーナメント第1戦、日本代表vsベルギー代表のゲームは、読者諸兄もすでにご存知の通り、3対2のスコアで、ベルギー代表の勝利に終わった。

 残念な結果だが、力及ばずとはいえ、見事な戦いぶりだった。
 まずは、力を尽くしてくれた代表選手ならびに監督をはじめとするチームスタッフの労をねぎらいたい。

 今回もサッカーの話につきあっていただくことになる。

 特段に大音声で呼ばわりたい主張があるわけでもないのだが、ほかにまとまったことが考えられないのだからしかたがない。大会が終わるまでの間、いましばらくのご辛抱をお願いしたい。

 大会前の時点での正直なところを述べるに、私は、日本代表の戦いぶりについて、3連敗でグループリーグを去ることもあり得ると考えていた。

 特に、コロンビア代表に対しては100%勝てないだろうと踏んでいた。
 結果は、ご案内の通り。わがチームの完勝だった。
 ひとことで言って、完全な私の認識不足だった。
 私は自分の国の代表チームの底力を見誤っていた。
 各方面におわびを申し上げたい。

 今大会を通じて、私が見誤っていたのは日本代表のチーム力だけではない。ほかの国の代表チーム同士の試合も、ほとんど神秘的なほどに予想を違えている。

 戦前に抱いていた予想と、現実に残されたゲームのスコアを見比べてみてあらためて思うのは、自分がFIFAランキングという、過去の戦績から機械的に算出しただけの数値を絶対視しているそこいらへんのド素人に過ぎなかったということだ。

 データ重視がどうしたとか、エビデンスがハチのアタマだとか、聞いたふうなことを言い散らして歩いている人間のほとんどすべてがそうであるように、私もまた、世間の多数派が唱える通説に従っているだけの哀れな風見鶏だった。

 別の言葉で言えば、私は無定見な権威主義者だったということだ。

 よって、強豪と言われているチームの実績と貫禄にただただひれ伏すばかりの、卑屈にして独立心を欠く私の予測は、新しいゲームがスコアを記録する度に、毎度裏切られなければならなかった。

 日本対ベルギーのゲームがはじまる前にも、私は、韓国がドイツを倒し、フランスがアルゼンチンを下し、ロシアがスペインを突き放す様子を、唖然としながら見送っていた。

 どの結果も、私の予断の逆を行っていた。
 それでもなお私は、わが日本代表がベルギーに勝つ可能性を考えなかった。
 なにしろ相手は、FIFAランキング世界第3位のスター軍団だ。
 引き比べてわれらはアジアの小天狗に過ぎない。
 戦うまでもなく結果はわかりきっているじゃないか、と、かように考えていた。

 で、できれば2-0くらいまでの恥の少ないスコアで舞台を去れたら上出来であろうなどという罰当たりな祈りを胸に、ゲーム前の仮眠に沈んでいたのである。

 自国の期待を背負って戦いに臨む誇り高い選手たちがひとたび芝の上に立てば、FIFAランキングが示唆する数字は、たいした意味を持たない参考資料に化けてしまう。このことを、今大会の20試合ほどの結果を通じて、あれほど何度も思い知らされていたにもかかわらず、それでもなお私は、過去の幻影に囚われていたわけだ。

 反省せねばならない。

 試合のホイッスルが鳴ってみると、われらが代表チームは、ほとんどまったく相手に引けをとらない堂々たるボール回しで前半をスコアレスのまま折り返した。

 そして、後半に入るや、焦りを見せて攻め急いだベルギーのスキを突くカタチで、カウンターから望外の2点を奪ってみせたのである。

 なんと。
 ベルギーから2点だ。
 私は平常心を失った。

 選手諸君がこの展開にいくぶん浮き足立ったかもしれないことを、私は責めない。

 というのも、遠く何千キロも離れた日本のテレビの前で画面を眺めていただけの一局外者である私にしてからが、思いがけない2得点の瞬間を目撃して、浮き足立つどころか、ほとんど中空を浮遊する霊魂となって後半の45分を観戦していたからだ。当事者に落ち着けというのはおよそ無茶な注文だ。

 で、有頂天になったからなのか、浮き足立ったからなのか、あるいはかえって静かな心になってしまったからなのか、理由はわからないが、とにかく、2つのゴールを決めたあとの30分ほどの間に、わたしたちの代表は、3つの失点を喫することになる。

 経過については詳しく述べない。
 分析もしない。
 わかるはずがないからだ。

 というのも、私は、ただただ嬉しさと誇らしさに浮かれて有頂天になって、そのすぐ後に悲しみと悔しさと落胆の底に沈み込み、そのまたしばらく後に気を取り直して、とにかく自分をここまで夢中にさせてくれた代表選手に感謝の気持ちを抱くに至っているというだけで、得点経過や戦術を分析できるような観戦のしかたはついぞできなかったからだ。

 とにかく、私としては、選手諸君に感謝の気持ちを伝えたい一心でこの原稿を書いている。その他のことは余談に過ぎない。

 試合が終了した後、実況アナの言葉を聴いて我に返った。

 実況アナウンサー氏は、試合後のピッチを選手たちが引き上げるなか、インタビュー取材の映像と音声がはいってくるまでの間、日本代表の今大会での活躍をたたえ、その戦いぶりを振り返る話で、時間をつないでいた。

 そのとりとめのない時間つなぎの語りのなかで、彼は、今回の代表チームの成り立ちについて

「監督が代わってオールジャパンで挑んだ今大会です」

 と言ったのだ。

 私は、この時の言葉をとらえて、

NHKのアナウンサー「監督が代わってオールジャパンで挑んだワールドカップ」っていう言い草はないんじゃないか?

 というツイートを書き込んだ。

 このツイートには60件ほどのリプライ(返事)が返されてきた。
 リプライの中には、3割ほど、私の考え過ぎをたしなめる主旨のものが含まれている。

 つまり、アナウンサーが、単に一丸となって戦っている日本代表の気持ちを描写する意味で、なんとなく使った「オールジャパン」という言葉を、ことさらに外国人排斥の意味にとらえたオダジマの読解の仕方がひねくれているのであって、普通にあの言葉を聴いていた人は、特に抵抗を感じなかったはずだという主張だ。

 たしかに、実況アナ氏は、私が引用した言葉のすぐ後に

 「長友は、いまはチームが一つになっている。いまが一番いい状態ではないかという話をしていました」

 「われわれにもチームの一体感は、ほんとにこの4試合伝わってきました」

 と言っている。

 とすれば、彼の言っていた「オールジャパン」という言葉のニュアンスは、「日本国籍を持っている日本人だけで構成されている、混じりけのない日本人だけのチーム」ということではなく、「日本の力を結集してみんなで頑張る日本代表」といった程度の意味で言っただけの言葉だったと考えた方が自然だろう。

 だとすれば、アナウンサー氏の言葉に対して

つまりアレか? 監督が外国人だとオールジャパンじゃないという認識なわけか?

 という反応をしたオダジマの感覚が、むしろ過剰反応だったということでもある。

 この点は、ご指摘の通りだ。
 私は、過剰反応していたようだ。
 ただ、私が過剰反応してしまったことには、それなりの理由がある。

 4月にハリルホジッチ前監督が突然解任されてからこっち、代表チームの動静や現状を伝えるメディアの記事や番組のトーンがガラリと変わったことに、私は不信感を抱いている。

 特にハリルホジッチ氏が指揮をとっていた時代、選手選考や戦術などについてあれこれと憶測や邪推を繰り返しては采配批判をしていたスポーツ新聞各紙の論調は、西野さんが代表監督に就任して以降、手のひらを返したように好意的になった。

 こうした記事を眺めながら、私は、

 「メディアがJFA(日本サッカー協会)の顔色をうかがっているというよりは、JFAがメディアの意思を忖度した結果があの解任劇だったのではなかろうか」

 と考えるようになった。

 どちらが王でどちらが従者であるのかはともかく、以来、メディアとスポンサーとファンと協会はひとつの意思を持つ生き物であるみたいに互いの意思を読み取りつつ西野ジャパンを全面支援しているように見える。

 もうひとつ、私がNHKのアナウンサーの言葉を邪推せねばならなかった理由は、ちょうどベルギー戦の前日の深夜に、東京の民放局が制作したデイリーハイライト的番組の冒頭で、日本人監督を後押しする意図を持っているようにしか思えない企画を放送していたからだ。

 当日放送されていたのは、

「日本代表レジェンド緊急招集 第2夜も激アツ! ホンネで2択」

 と題された討論企画で、4人の元日本代表選手に元Jリーグ監督とサッカー通のタレントを加えた総勢6人の有識者が、サッカーについて2択の質問に答えてディベートする内容だった。

 第1問は

「日本代表の監督、今後…… A:日本人 B:外国人」

 というものだった。

 個々の出演者の回答と主張内容はともかくとして、決勝トーナメントの初戦を翌日に控えたタイミングで、どうして次期監督の人選を持ち出さなければならないのかに、私は少なからぬ疑問をいだいた。

 なお、番組は、この質問を持ち出すにあたって、
 「これまで、開催国として臨んだ日韓W杯のケースを除けば、日本代表が決勝トーナメントに進んだのは、日本人監督の時だけです」
 というナレーションを画像とテロップつきで紹介している。

 この誘導的なテロップが効果を発揮したからなのかどうか、出演者の回答は、Aの日本人が4人、Bの外国人が1人、もうひとりは棄権だった。
 つまり、番組としては、次期監督にはぜひ日本人をという結論を匂わせたカタチだ。

 これを見たばかりだったので、私は、

 「またぞろJFAならびに日本サッカー村が、外国人排除に動き出したぞ」

 という予断を抱かざるをえなかった。
 過剰反応といえばたしかにその通りだが、私もなんだか必死だったのだよ。

 ベルギー戦後の取材で、インタビュアーは質問の最後、西野監督に対して

 「西野監督のもと、日本のスタッフで戦ったこの大会の意味、日本らしいサッカー、どんなものでしょうか」

 という問いを投げかけている。

 こういう言葉を聞くと、やはり心配になる。

 われわれは、そんなにまでして純血を保ちたいのだろうか。してみると「オールジャパン」というあの言葉は、やはり「一丸となって」というだけの意味ではなくで、「日本人オンリーで」「純血ジャパンで」というニュアンスを含んでいたのではなかろうかという、最初の疑問に舞い戻ってしまう。

 私たちが追放したハリルホジッチ監督は、たしかに、やっかいな人ではあった。
 これまでの来歴からもうかがえる通り、ハリルホジッチ氏は、チームの雰囲気を盛り上げ、選手を気分良く戦わせるモチベーターとしてはあまり優秀な監督ではなかった。また、対選手のみならず、対クライアントの場面においても、人間関係を構築することが苦手な人物でもあったはずだ。だからこそ、過去、いずれのチームにおいても見事な成績をもたらしていながら、短期間でチームを追われる経歴を繰り返していたのだと思う。

 そう考えれば、突然の解任が発表されたあの時期、日本代表のチーム状態(というのか、チームの雰囲気)が然るべき一体感を欠いていたのであろうことは想像に難くない。

 ただ、私がいまもってハリルホジッチ氏の解任劇にこだわっているのは、解任についてJFAが納得のいく説明をしていない点もさることながら、「チームの雰囲気」を第一に考えるタイプの組織運営哲学に疑問をいだいているからでもある。

 こんなことを言うと不愉快に感じる人もあるだろうが、私は、日本人のチームが失敗する原因としては、チームが一丸となっていないことよりも、一丸となり過ぎた結果として瓦解するケースの方が多いと思っている。

 われわれは、「ムラ化」することで融通性を失い、どこまでも硬直化したあげくに頓死することになっている。

 現状の日本代表について言うなら、西野監督が就任して以来、メディアがチーム批判をする声が事実上シャットアウトされてしまっている点に懸念をおぼえている。

 別にJFAが圧力をかけているとか、西野さんが強権的なチーム運営をしているとか、そういうことを指摘しているのではない。
 日本人が監督をやっている限り、必ずそうなるのだ。

 私自身、サッカー関係の取材仕事に何回か従事したことがあるだけに、あの業界の空気はなんとなくわかっている。
 あそこで、仕事をするためには、かなりの数の人々に顔つなぎをしないといけないし、その結果、「顔をツブしてはいけない人」が順次増えていく結果になる。

 私のような通りすがりの取材者ですら、間に何人も人を介さないとプロの選手のインタビュー取材にはたどりつけない。と、当然、いくつかの質問は、それらの関係者への配慮から断念せねばならない。

 で、結局、記事は微妙に食い込みの甘い出来上がりになる。
 私のような半アウトサイダーの書き手ですら、このありさまだ。まして、協会やスポンサー筋の人間と不即不離のカタチで移動しながら取材している専業の記者やライターともなれば、書けないことだらけになる。

 サッカーの業界は、グローバルにはばたくワールドワイドな世界のようでいて、その実、わりと狭い。
 関係者の頭数を一から数えれば、そこいらへんの公立高校の一学年分ほどでしかないはずだ。

 ということは、ほとんどの人間が顔見知りで、特に親しい間柄でなくても、間に知人を一人挟めば全員がツーカーの仲良しグループということになる。
 であるから、互いの批判はタブーになる。

 特に、日本人で監督をやるような大物ともなれば、自分がお世話になったあの人の親友だったり、上司の仲人のチームメートだったり、親しい選手の恩人だったりして、とてもじゃないが率直な批評はできない。

 でなくても、サッカーの世界は、メディアとスポンサーと協会の関係者が立食パーティーで一緒に写真を取り合っては世間話をしている業界ではあるわけで、そうやって業界が回っている以上、そのインナーサークルのインサイダーが運営に関わっている限り、代表チームに対しては誰も正面からものが言えないものなのだ。

 私は、なにも、代表監督が独裁者だとか、協会がゲシュタポ体質だとか、メディアが提灯行列カンパニーだとか、スポンサーの腐れ部長が大旦那気取りだとか、そういうことを言いたくてこの原稿を書いているのではない。

 私がぜひ訴えたいと考えているのは、どちらかといえば、われら日本人の多数派が、おおむね善良で気が利いていて、知り合いの面目をつぶすような振る舞い方を避けたがる人々だということで、そういうふうにわれわれが互いの立場や気持ちを慮ることを第一に行動しているからこそ、サッカーのような血で血を洗う設定の競技では失敗しがちだということを申し上げているのである。

 われわれは、昔から忖度する民族だ。
 言葉を発する前に、相手の気持ちを先回りして理解する能力を日々研ぎ澄ましながら生きているテレパスみたいな人たちでもある。

 だからこそ、高度に訓練された内圧の高いチームは、最終的に日大のアメフト部みたいな組織になってしまう。

 コーチは監督の意図を読み解き、選手は選手で明確な指示がなくてもコーチの意思を忖度することで自分たちの行動を規定する。と、チームは、いつしか無言のうちに自動運動をはじめる。批判分子はあらかじめ排除され、異論は口から外に出る前に噛み潰され、反論はアタマの中に言葉として浮かぶまでもなく忘却される。

 これはいかにも極端な例だが、監督の性格がどんなに温順で、協会のトップの組織運営がどれほど柔軟であっても、同じ人々が長きにわたって指導的な立場を占めていると、われわれの国の組織は必ずや日大アメフト部化することになっている。この傾向に例外はない。日本相撲協会も芥川賞選考委員会も経団連も経済同友会も、日本の主だったムラ社会チームはどれもこれも決して言語化されない相互忖度ガバナンスのもと、コックリさんみたいな意思決定でメンバーにタコ踊りを強いている。

 だからこそ、多少チーム内の空気がギクシャクしても、スポンサーの機嫌を損ねることがあっても、代表チームにはぜひ外国人の指導者を迎えなければならないと、私は以前から口を酸っぱくして同じ言葉を繰り返している次第なのだ。

 外国人が監督なら、監督はスポンサーの意向を忖度しないし、コーチは放送局の要望するスタメンに配慮しないし、記者は記者で遠慮なく思うところを記事に書くし、選手も疑問点は言葉にして質問するマナーを身体化するようになる。

 そうやって、あらゆる意図や反発や感情や戦術的迷妄をいちいち言語化していたら、なるほどチーム内には議論が絶えないだろうし、時には意見の合わない者同士が感情的に反発する事態も起こるだろう。

 が、サッカーというのは、1人ひとりの選手や監督や記者やファンがそうやってアタマの中にあるもやもやしたあれこれを言葉にして外に出すことで前に進んでいく競技なのだと私は思っている。

 常連がとぐろを巻いているスナックは、なるほど常連客にとっては居心地の良い空間だ。
 「いつもの」
 と言えば、それだけで、ちょうど良い濃さの水割りが出てくる。
 気心のわからないよそ者も入ってこない。

 そういう意味で、インナーサークルの人間にとって、これほど心やすらぐ場所はほかにないのだろう。
 しかし、代表チームをそういう場所にしてはいけない。

 「日本人らしさ」

 などという、お互いがお互いにもたれかかったような関係でチームを構築したらチームの中から言葉が失われてしまう。

 長くなってしまった。
 私が日本代表に外国人監督を求めるのは、チームに「外部」が必要だと考えるからだ。

 その意味で、日本代表がジャパニーズオンリーに落ち着きそうな現状には憂慮の念を抱いている。
 オールジャパンにもあんまり賛成したくない。
 オールモストジャパンくらいでちょうど良いのではなかろうか。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

いつまでも「日経ビジネスオンライン」の
外側に立つコラムニストでいてくださいませ。

 小田嶋さんの新刊が久しぶりに出ます。本連載担当編集者も初耳の、抱腹絶倒かつ壮絶なエピソードが語られていて、嬉しいような、悔しいような。以下、版元ミシマ社さんからの紹介です。


 なぜ、オレだけが抜け出せたのか?
 30 代でアル中となり、医者に「50で人格崩壊、60で死にますよ」
 と宣告された著者が、酒をやめて20年以上が経った今、語る真実。
 なぜ人は、何かに依存するのか? 

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

<< 目次>>
告白
一日目 アル中に理由なし
二日目 オレはアル中じゃない
三日目 そして金と人が去った
四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
告白を終えて

 日本随一のコラムニストが自らの体験を初告白し、
 現代の新たな依存「コミュニケーション依存症」に警鐘を鳴らす!

(本の紹介はこちらから)

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。