日本の場合、「自分は健康だ」とする人は3割程度しかいない
日本の場合、「自分は健康だ」とする人は3割程度しかいない

 なぜか最近、新聞やテレビを見ながら「なんでやねん」と、“一人ツッコミ”を入れることが増えた。

 これまでも「へ~」だの、「アハハ」だのと、“一人驚き” や “一人笑い” をし、「何?」「どうした?」と周りに聞かれ、「あ、いや、ごめん」とお茶を濁していた。が、最近の一人ツッコミは、報じられている問題に「もっとその先まで踏み込んで!」という、いわば消化不良によるものだ。

 先週、木曜日(7月19日付)の日本経済新聞の記事も、まさにその類だった。

「なぜか少ない『私は健康』」――との見出しで紹介された「OECD保健統計2018」に関する内容である。記事は韓国・毎日経済新聞によるものなので韓国が主語。だが、日本のことも書かれていた。

 なんでも、保健福祉省が「OECD保健統計2018」の結果を発表し、韓国人は肥満の割合が低く、平均寿命も長いが、「自分は健康だ」と考えている国民の割合がOECDで最低水準であることがわかったそうだ。その割合は韓国32.5%で、日本も35.5%と最低レベル。
ニュージーランド、アメリカ、カナダなどの比率は80~90%で、OECD平均は約70%なので、いかに低いかがわかる。

 また、患者一人当たりの平均入院日数は18.1日で、 日本(28.5日)の次に多い反面、韓日両国をのぞくすべてのOECD加盟国は「10日未満」だったという。

 ……ふむ。

 これは韓国語で書かれたものを、日本語に訳したものなのか?

 それとも韓国・毎日経済新聞に書かれていた記事を日本で紹介するために、記者さんが「日本」の情報を追加したものなのだろうか?

 いずれにせよ、「自分は健康だ」とする人が3割程度しかない→「なぜ」という方程式が真っ先に浮かぶのは結構、幸せなことだと思う。

 日本と韓国に共通しているのは労働環境の過酷さである。

 言わずもがな、どちらも世界有数の「長時間労働大国」で、有給休暇の取得率、女性活躍、最低賃金……などの世界ランキングで、日本と韓国は最下位常連国だ。

 ストレス。そうストレス。ストレスの多い日々を送っているビジネスマンが、「私の健康状態は良好です!」と、胸を張るのは難しい。少なくとも私は「私は健康です!」とキッパリ言い切る自信はない。

 はい、そうです。私の脳内ツッコミ隊は「なぜか少ない」という、まるで他人事の言葉に敏感に反応し、おそらくストレスを一切感じていない幸せな記者さんに、「なぜか? って、なんでやねん! もうちょっと考えてみ!!」と、大暴れした、というわけ。

 そこで今回は「私は健康か?」について、アレコレ考えてみようと思う。

WHOの定義から派生

 まず最初に、主観的健康について、少々専門的になるけどとっても大切なことなので説明します。

 「自分は健康だ」という主観的健康は、1946年にWHO(世界保健機関)が健康を以下のように定義したことから派生した指標である。

 Health is a state of complete physical, mental and social well-being and
not merely the absence of disease or infirmity.

 健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること。

 精神的・社会的とは具体的には……

  • 孤立や対立がない
  • 居場所がある
  • サポートが得られる
  • 役割がある

 ことで、これらに満足している状態を「健康」とした。

 この定義が発表された当初、あまりに理想的すぎるという批判もあったが、

 「健康は個人の問題じゃなく、社会の問題。人権であり、個人を尊重すること。それを追求する義務がアナタたちにあるんですよ」

と戦争でたくさんの人たちの命が失われた反省を世界各国に持ってもらいたいと、WHOは「精神的・社会的」という文言を加えたのだ。

 そこで「ならば医学的視点だけではなく、社会学的視点からも、心理学的視点からも健康を捉えなくては!」と気運が高まったものの、「病気ではない、弱っていないのに、肉体的に~とか、精神的に~とか、社会的に~とか、どうやって測ればいいんだ?」との議論を呼んだ。

 この疑問に答えようと、世界中の研究者たちがあれやこれやと考え、たどり着いたのが Well-being や QOL(quality of life)などの概念で、それを測定する尺度も開発された。

 一方、「もっとシンプルに考えていいんじゃね?」という流れの中で生まれたのが、「私は健康である」と主観的に捉える主観的健康である。米国では1972年以降の、National Health Interview Surveyに、日本でも86年の国民生活基礎調査から導入されている。

 ちょっとばかり余談になるが、今から2年前、Twitterユーザーが、とある調剤薬局で撮影した、WHOが定める健康の基準が書かれた額がTwitter上で話題になった。

  • 「こんな定義されたら日本の社畜どもはほとんど不健康やないけw」
  • 「今のご時世「健康」なひとは居ないんじゃないの?」
  • 「人間定年を過ぎれば健康になるんじゃないか?」
  • 「そんな難しいこと言われても……」
  • 「じゃあ、健康な人見たことない」
  • 「世界の健康の壁は高い! 高すぎる!!」

などなど、現代の日本でこの基準はあまりにも厳しすぎると瞬く間に拡散。

 「世界の健康の壁は高すぎる」と言う意見には失笑してしまったけど、健康問題はいまだに「個人の問題」と日本では受け止められているけど、「世界では社会の問題」と理解されているのだ。

 また、WHOの健康の定義は、「スピリチュアル」な側面を加えるモデルも70年以降提唱されている。

 ここでいうスピリチュアルとは霊的なものではなく、「人生に意味や方向付けを与えるもの」のこと。欧米では宗教であり、日本では、例えば五木寛之さんの著書だ。

 つまり、仏教を信仰しなくとも、その教えを説いた書籍を読み終え、人生の光を得た気持ちになれば「スピリチュアル」になるというわけ(五木さん以外の書籍などにも同様の役割を担うものあり)。

単項目が多用される理由は「感度の良さ」

 ……ちょっと脱線したので本題に戻ろう。

 さて、主観的健康という言葉は日本では広く使われているが、欧米ではsubjective health、perceived health、self-rated health、self-assessed healthなど呼称は統一されていない。

 また、尺度もいくつか存在し、複数項目で加算し得点化するものもあれば、単項目もある。

 ここ数年は単項目で測定するものが国内外を含め多数を占める。

 私がこれまで行った調査でも、よほどの理由がない単項目を使っている。

 具体的には「私は健康である」に対して、「全くその通りだ」~「全く違う」の4~5段階で回答したり、「あなたは健康ですか?」との問いに、「とても健康」~「健康でない」と4~5段階で答えるのが一般的だ。

 単項目が多用される理由は「感度の良さ」にあるといっても過言ではない。

 「測りたいものが測れる」感度の良さと(信頼性と妥当性)、「その他の要因との関連」を分析する際の感度の良さが単項目のウリ。

 例えば単項目を使った調査で、国内外の多くの先行研究から「主観的健康度が高い人ほど疾患の有無にかかわらず生存率が高い」ことや、「病気の予後や平均余命にも強く影響を与える」ことがわかっている。私が関わった調査研究でも、主観的健康度の高い人は術後の経過が良く、リハビリの効果も出やすいことに加え、人生満足度や職業満足度が高かった。

 医療技術は日進月歩で、多くの病が「死の病」から「共に生きる病」となった。現代社会では、「いかに自分の健康状態を認識するか」が重要となる。

 つまり、「うん。私は大丈夫だ!」という前向きな気持ちに加え、「生きてるっていいね!」と思える社会作りも大切なのだ。

 それだけではない。ここからが働く人にとって、極めて重要な知見である。

 なんと「主観的健康」が、心疾患やがんといったストレスとの関連の高い病気の単独の予測因子にもなることが追跡研究でわかってきているのだ。

 それは「主観的健康」が、ストレス状態に強く影響を受けていることを意味する。

 ただし、ストレスといっても、「仕事で失敗をする」とか、「上司から怒鳴られた」というような一時的なものではなく、

  • 長時間労働が常態化し、家庭で過ごす時間が取れない
  • 常に仕事の納期に追われている
  • 常に要求の高い仕事を求められる
  • 裁量権を与えられていない
  • 上司や同僚から支援を得られない
  • 雇用形態が不安定

といった慢性的なストレスである。

 今年1月。国立がん研究センターが、全国の40~69歳の男女約10万人を20年近く追跡し、長期間ストレスを感じている人は発がんのリスクが高くなることがわかったという調査結果を公表した。

 この調査は90年(または93年)の調査開始時に「あなたは普段の生活で、どの程度ストレスを感じていますか?(自覚的ストレス)」との問いに、「少しだけ」「平均的(人並み)」「たくさん」の三択に答えてもらい、その後のがんの罹患率との関連を分析した(追跡調査中に約1万7200人ががんに罹患)。

 その結果、実に興味深いことがわかった。

自覚的ストレスと主観的健康

 最初の分析では、「調査開始時の自覚的ストレス」とがんの罹患率との関連を調べた。その結果、統計的に有意な関連は認められなかった。

 そこで、「調査開始時の自覚的ストレス」と「5年後調査時の自覚的ストレス」の両方を用いて分析したところ、「両方でストレスの高かったグループ」は、「両方とも低かったグループ」に比べ、全てのがんに罹患するリスクが11%上昇していたのだ。

 開始と5年後の両方とも「ストレスが高い」と感じていることは、慢性的なストレスにさらされていることを意味する。

 しかも、この傾向は特に男性で顕著で、臓器別では、肝がん、前立腺がんでリスクが高まることもわかった。

 もちろん「ストレスへの自己認識」と「主観的健康」は、100%イコールではない。

 だが、主観的健康に関する数多くの調査結果でストレスとがんや心疾患との関連を報告されている限り、「私は健康です!」と胸を張って言える社会や職場を作ることがWHOの「健康の定義」の真意だと思うわけです。

 慢性的なストレス地獄で働いてる人たちは、ストレスの雨に鈍感になりがちである。

 だが、そのシトシトと降り続く雨が確実に心身を蝕んでいる。

 たかが「働き方改革」。されど「働き方改革」。

 少なくとも1日の三分の一を職場で過ごすビジネスパーソンにとって、職場環境は「その人の寿命までをも左右する極めて大きな役割を担っている」といっても過言ではない。

 ただ、残念なのは職場環境をよくしようとどんなに現場が頑張ったところで限界があるってことだ。

 「鶴の一声」。そうなのだ。トップがいかに真剣に職場環境の改善に努めるかどうかで、そこで働く人の寿命や病気にかかるリスクまで変わってきてしまうということを、もっともっと経営者には認識していただきたいのです。

 実は、韓国と日本の主観的健康の圧倒的な低さは、2016年のOECDの報告書でも指摘されていて、それについて韓国の保健福祉省は次のような見解を示した。

 「『社会文化的要素に起因すると見られる』と評価。つまり韓国人は自分の健康状態について、実際より過度に否定的に感じる傾向、いわゆる『健康心配症』が多い」と。

 なるほど。健康心配症ね。

 日本でも同じことが言える?

健康って何なのだろう?

 確かに、本屋には健康本が山積みされ、テレビや雑誌でも健康情報が溢れている日本人の健康への意識は相当に高い。

 だが、他の国では9割近くの人が「私は健康だ!」としているのに対し、たったの3割しかいない状態を「心配症」だけで説明するのは相当に無理があるように思う。

 それに「寿命は長いのだから、主観的健康の低さは説明がつかない」という意見もあるけど、そもそも寿命って何なのだろう? 健康って何なのだろう? ただ長生きするだけが健康じゃないし、がんや心疾患を発症して延命治療で長く生きながらえることだけが健康でもないと思うのだ。

 

 1つだけ確かなのは「私は健康です!」と胸をはれる毎日が過ごせればいいな、ってこと。慢性的なストレスを減らし、「私は健康です!」と言える人が増えれば、それがまた「健康な社会作り」を加速させる。

 ……「なんかみんな怒ってて怖っ……」なんてことを最近思う機会が増えていたので、余計に考えてしまったのです。

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