トランプ政権が鉄鋼とアルミニウムの輸入制限を発動した。欧州連合(EU)や韓国など7カ国・地域が適用除外になったが、日本は中国とともに対象にされた。なぜ、日本は除外されなかったのか。狙いは、4月の安倍首相訪米の際に米国に有利な交渉カードを日本に切らせることにある。
ついに、トランプ政権は鉄鋼・アルミニウムの輸入制限を発動してしまった。昨年12月に予想した通り、米中間で貿易戦争の悪夢が現実になりそうだ。(参照:中国と米国の「一方的制裁」の応酬の悪夢)
鉄鋼問題の本質は中国の過剰生産問題である。そのため、本来は「中国問題」であるはずだが、米国の無謀な輸入制限によって日本と欧州をも敵に回す「米国問題」にすり替わってしまった。
ほくそ笑んでいるのは中国だ。中国は、日米欧が連携して「中国問題」を解決しろと圧力をかけることを最も警戒していた。トランプ大統領は目先の交渉術に酔いしれた結果、本質的な対中国戦略を見失ってしまった。
「米国問題」にすり替わった鉄鋼問題に過剰反応は禁物
輸入制限の対象国については、7カ国・地域を適用除外にする一方、日本は除外の対象になっていない。同盟国であることや、安倍・トランプの蜜月関係を考えると、日本は当然、適用除外になるだろうと高をくくっていた向きも多かった。そのため、日本が除外対象にならなかったことに衝撃が走っている。3月23日の日経平均株価も大幅下落した。
しかし、過剰反応は禁物だ。
輸入規制対象から除外される国や地域は、4月末までに正式決定される。それまでは駆け引きが続くからだ。
除外対象となった7カ国・地域についても、4月末まで一時的に適用が猶予されているに過ぎない。7カ国・地域も、恒久的に適用除外対象となるために、引き続き交渉を迫られるのだ。
これこそ、トランプ流の交渉術である。
交渉術に酔いしれるトランプ氏
まず、なぜこの7カ国・地域が除外されたのか。トランプ氏の頭の中は、恐らくこうだ。
除外の理由は大きく分けて2つある。
1つは、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリアは米国にとって貿易黒字の相手国だ。「鉄鋼の輸入制限という手段を貿易赤字の是正という目的に使おう」という、トランプ氏の発想に従えば、貿易黒字の相手国は除外されて当然だろう。
もう1つが、カナダ、メキシコとは北米自由貿易協定(NAFTA)の見直し交渉をしている。韓国とも、今年1月に米韓自由貿易協定(FTA)の見直し交渉を開始した。適用除外が一時的であって恒久的でないのは、これらの交渉において鉄鋼とは無関係な要求を飲ませるために圧力をかける交渉材料にするためだ。
では、そのいずれでもない欧州連合(EU)はどうして適用除外になっているのか。EUは事前協議で、米国に対して「貿易に関する協議をする」というカードを切って、一時除外のカードを手に入れたのである。米国にとっては、米国のやり方を批判する日本と欧州を分断するという、交渉上の効果もある。
いずれも、トランプ氏の頭の中の理屈は単純でわかりやすい。しかし、こうした理屈は「筋違い」である。そもそも、鉄鋼の輸入制限をしたところで、直接的には貿易赤字の是正にはつながらない。にもかかわらず、「鉄鋼の輸入制限」を交渉カードとして使って相手国に揺さぶりをかけ、鉄鋼とは関係のない分野の交渉において、有利な条件を引き出そうとしている。
だが、その理屈が筋違いであろうがあるまいが、11月の中間選挙を控えて「交渉で有利な条件を引き出した」という実績を作りたいトランプ氏にとっては、関係のないことだ。まるで、交渉術に酔いしれているかのようである。
トランプ氏の狙いは4月の安倍首相訪米
では、なぜ日本は適用除外の対象にならなかったのか。実は日本も、EUが切った「貿易に関する協議」というカードを、既に1年前の日米首脳会談で切っている。麻生大臣、ペンス副大統領による日米経済協議がそれだ。そうであるならば、なぜ日本はEUと同じ扱いにならなかったのか。
それは、トランプ氏にとっては、「今回の鉄鋼の輸入制限という手段を使って、何を獲得したか」が重要だからだ。既に開始している日米経済協議では、トランプ氏にとっては意味がない。
今回、トランプ氏が日本を適用除外にした理由は、「日米FTA交渉を開始する」という新たなカードを日本に切るよう、圧力をかけていると見てよい。
狙いは4月に予定されている安倍首相の訪米だ。今回の訪米は、米朝会談を控えて北朝鮮問題に関して協議することが当初の目的だった。ところが急きょ、鉄鋼問題が浮上した。トランプ氏は、奇しくも格好のタイミングで訪米してくる安倍首相に対して、どういうカードを切るのかプレッシャーをかけている。そのカードの内容次第で、日本を除外するかどうかを最終決定することにしたのだ。トランプ氏らしい取引手法である。
トランプ氏が、次のような強烈な言葉を使ったのも、安倍首相の訪米を念頭に置いてトランプ流の牽制ボールを投げたものだ。
「日本の安倍首相らは『こんなに長い間、米国をうまく利用できたなんて信じられない』とほくそ笑んでいる。そんな日々はもう終わりだ」
まず強烈な先制パンチのボールを投げて相手のペースを乱し、不安に陥れ、非常事態だと思わせ、交渉を有利に進める。その取引のためには、どんな手段を持ち出すことも正当化される。鉄鋼問題とはおよそ関係ない問題の交渉を有利に進めるために、鉄鋼問題を交渉材料に使うことに何の躊躇もない。
これは、国家間の通商交渉の常識では考えられない「品のない禁じ手」だ。そこには理念や戦略のかけらもなく、交渉で勝つための戦術しかない。トランプ氏の頭の中は、ゼロサムのゲームの「取引」「交渉」という発想しかないのだ。
こういう発想をするのはトランプ氏本人で、側近に歯止め役がいなくなって、今はやりたい放題である。ライトハイザー米通商代表部(USTR)代表やロス商務長官は、そういう大統領に従順に従い、交渉に徹するだけの役回りだ。(参照:鉄鋼規制より怖いコーン委員長の辞任)
4月の安倍首相訪米でどういうカードを切るべきか
それでは安倍総理はどう対応すべきだろうか。
こうしたトランプ流の交渉術に向き合うためには、慌てて譲歩をしては相手の思うつぼだ。最も重要なのは、自分の交渉術が通用しない相手と思わせることである。もちろん、対象国から除外されるに越したことはないが、仮に除外されなくても、日本の通商外交の失敗と捉えず、どっしりと構えることが必要だろう。
幸い、日本から米国への鉄鋼輸出は日本の生産量の2%程度に過ぎない。しかも過半は鉄道用のレールや石油パイプライン用など、日本以外からの調達が難しいものだ。米国のユーザー企業にとって日本からの供給は死活問題であり、これらの要望を受けて、恐らく商務省は対象品目から除外してくるだろう。直接的な実害が大きくなるとは考えにくい。
また、日本の鉄鋼業界はかつて米国との激しい鉄鋼摩擦を経験してきており、こうした問題には国益を考えて冷静に対応する「大人の業界」だ。日本政府も当面の利害のための安易な譲歩は必要ない。
まずは、日本を除外しないことが米国にとってマイナスになるということを理解させることだ。もし、日本を除外せず日米が対立すれば、それを最も喜ぶのは、鉄鋼問題で本来のターゲットである中国である。日中が一緒になって米国を世界貿易機関(WTO)に提訴するという事態は米国議会も望まない。
ただし、日本を適用除外にさせたうえで、同時にトランプ氏にどのような花の持たせ方をするかを考えなければいけない。つまり、トランプ氏が国内に対して、何らかの「成果」をアピールできるようにする必要がある。
それは、決して譲歩することではない。対米貿易黒字の削減はおよそコミットできる性格のものではないし、すべきではないのは当然だ。
ならば、米国が日本に圧力をかけてくるであろう、「日米FTA交渉の開始」というカードは、どうだろうか。
日米FTAは譲歩なのか?
昨年10月に、今年前半は日米FTA交渉に焦点が当たると予想したが、どうもその様相を呈してきたようだ。(参照:どうなる?トランプ訪日と日米FTA交渉)日米経済対話での協議は事実上、日米FTAの交渉を開始しているようなものだ。これを日米FTAと呼ぶかどうかは本来、二次的な問題だ。米国は日米経済対話がいずれ日米FTAにつながっていくことを念頭にスタートしている。それは、ペンス副大統領の発言からも明らかだ。
これまでのトランプ政権はまずNAFTA、米韓FTAの再交渉に取り組む必要があった。手一杯の米国側に準備ができていないので、日米FTA交渉を始めるタイミングではないとの判断であった。そうしたトランプ政権内の状況は今も変わっていない。
農産物、自動車という米国が取り上げるテーマも、単にこれまでの決まり文句を繰り返しているだけで、政権内で中身を詰めた形跡はまるでない。特に自動車問題は米国のビッグスリーが日本市場を諦めて撤退し、欧州からの輸入車が伸びている今日でも、かつての日本市場の閉鎖性を言い続けているのは滑稽でさえある。何を具体的に要求したらよいかも分かっていない。従って、具体的に何をしたいのか、要求内容を明確にさせることが先決だろう。
日本側も受け身であってはいけない。特に貿易・投資のルール作りの分野で、日米間でどういう内容のものを志向するか、アイデアを煮詰める必要がある。
他方、問題は日本の国内に抵抗感が根強いことだ。農水省は、農畜産物の市場開放で環太平洋経済連携協定(TPP)以上の譲歩を強いられることを懸念している。財務省は、通貨安誘導を防止する為替条項は通貨政策を制約しかねないので、これを持ち出されることを懸念している。
そうした懸念ももちろん理解できるし、当然だろう。しかし、いずれ米国から日米FTAのボールを投げられれば、日本としては拒否する選択肢はないのではないか。いつまでも受け身で守り一辺倒の発想はそろそろ卒業すべきだ。
日米経済対話という仕掛けはトランプ政権発足当初の1年前の首脳会談では、絶妙のアイデアであった。しかし1年経って、トランプ氏から「先送りの仕掛け」「ガス抜きの仕掛け」と見られては、このままでいいわけがない。現状を一歩進めて、日米FTAに向けての何らかの工夫が必要だろう。
農畜産物についてはTPP合意以上の関税引き下げはあり得ない、為替条項の受け入れは不可、といった絶対に譲れないボトムラインがあるのも事実だ。そうした「実」を取ったうえで、「日米FTA」という「名」を譲るという選択肢もあり得るのではないだろうか。トランプ氏にとって大事なのは、何らかの成果の「形」だ。
その中には懸念される中国の国家資本主義の動きに対する歯止めを狙って、そうしたルール作りを日米共同で盛り込むという、日米共通の「実」を取ることもできよう。
安倍首相が直面する内外のリスク
ただし、ここで考えなければいけないのが、日本の国内政治の現状だ。
安倍首相にとってトランプ氏の鉄鋼問題での圧力に屈して日米FTAのカードを切ったと受け止められるのは絶対に避けたいところだ。それは国内政治的に持たないだろう。反安倍勢力にとって、安倍外交を攻撃する口実を与えかねない。森友学園問題もあって、霞が関に対する官邸主導の矛先は当面鈍らざるを得ないだろう。昨年4月に米国抜きTPPに舵を切った時のように、抵抗する勢力を抑えて官邸主導で外交を仕切ることを今、期待できるだろうか。
国内からは米国に屈したと言われないような形で、トランプに花を持たせる妙案があるのか、思案のしどころだ。まさに知恵が問われている。
タイミングについても秋の総裁選挙と米国の中間選挙の両にらみが必要になってくる。
また、コーン国家経済会議(NEC)委員長も辞任し、こうした戦略を内々に擦り合わせるカウンターパートがトランプ政権内にいないのが致命的な問題だ。首脳会談でトランプ氏がどういう反応をするか分からないという、ぶっつけ本番のリスクがある。
4月の安倍首相の訪米は、米朝会談で日本が梯子をはずされないかという厳しい問題を背負っての首脳会談の予定であった。これに加えて、経済外交でも本物の手腕が問われる場になりそうだ。堂々と、しかもしたたかに渡り合えるよう、どういうカードを準備するか正念場だ。
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