前回の当欄で話題にした雑誌「新潮45」をめぐる騒動は、同誌の休刊(9月25日に新潮社の公式サイト上で告知された→こちら)をもって一応の決着をみることとなった。

 「一応の決着」という言葉を使ったのは、私自身、休刊が本当の決着だとは思っていないからだ。
 もちろん、マトモな決着だとも思っていない。というよりも、こんなものは決着と呼ぶには値しないと思っている。

 現時点で感じているところを率直に開陳すれば、私はこのたびのこのタイミングでの新潮社による休刊という決断にあきれている。理由は、休刊が一連の騒動への回答として不十分であり、「杉田論文」が引き起こした問題を解決するための手段としても、的外れかつ筋違いであると考えるからだ。こんなものが説明になるはずもなければ、事態を打開する突破口になる道理もないことは、多少ともメディアにかかわった経験を持つ人間であれば誰にだって見当のつくはずのことで、休刊は、言ってみれば「説明をしないための手段」であり、責任ある立場の人間が事態に直面しないための強制終了措置であったに過ぎない。叱られた小学生が積み木を蹴飛ばしているのと、どこが違うというのだ?

 とはいえ、そう思う一方で、私は、今回の「休刊」という関係者にとって極めて重い選択が、結果として無責任な野次馬を黙らせる結果をもたらすだろうとも思っている。

 つまり、「休刊」は、問題の解決には貢献しないものの、事態の沈静化には寄与するわけだ。してみると、これは、実にどうも、日本の組織によくある事なかれ主義の結末としては極めて必然的な、ほかに選ぶ余地のない余儀ない選択だったのかもしれない。

 新潮社が自社の名前を冠した月刊誌を葬り去ることを通じて世間に伝えようとしたのは
 「自分たちはもうこれ以上この問題にかかわりたくない」  というメッセージだった。

 新潮社の上層部は、今回の一連の騒動に正面から対処するのがめんどうだった。であるからこそ、彼らは、不愉快なトラブルを爆破するついでに赤字部門をひとつ整理してしまおうではないかと考えた、と、私個人は、今回の行きがかりを、そんなふうに受け止めている。

 いつも取材する側としてトラブルの当事者を小突き回していた側の人々が、にわかにマイクを向けられ、看板に落書きされる立場に追い込まれたのであるからして、動転してしまった気持ちはわからないでもない。

 でも、安易に休刊という選択肢を選んでしまったことで、混迷に陥っている事態を正常化させるための機会はほぼ永遠に失われることになった。それ以上に、失われた名誉を回復するための時間とチャンスが完全に消滅してしまった。これは、雑誌にかかわっていた当事者にとって返す返すも残念なことだったと思う。

 今後、「新潮45休刊」というこのむごたらしい事態は、事態解決の手段としてではなく、左右両陣営の党派的な人々によって自分たちの論拠を補強するためのカードとして利用されることになるはずだ。

 すなわち、杉田氏を擁護する立場の人々は、「新潮45」の休刊を
 「ポリコレ棒を振り回すパヨクならびに似非人権派による言論弾圧の結果」
 であると決めつけて、反日サヨク陣営の暴走を訴えて行くのであろうし、反対側の陣営は陣営で
 「商売のために陋劣低俗な駄文を掲載した伝統ある雑誌が自滅した一方で、その当の駄文の書き手たちは今後も右翼論壇で活躍するのであろうからして、まったく世も末であることだよ」
 てな調子でネトウヨの跳梁跋扈を嘆いてみせるに違いないわけで、結局のところ、「休刊」は、党派的な人々に党派的に利用されるばかりで、杉田論文騒動の直接の被害者である性的マイノリティーの人々には、何の解決も、安堵も、慰安ももたらさないのである。

 今回の騒動が勃発して以来、私のツイッターアカウントには、

 「常々右派論壇を揶揄嘲笑していながら、その右派論壇に接近しつつあった『新潮45』に唯々として寄稿していたオダジマのダブスタにはまったくあきれるばかりだ」
 「仕事にあぶれたロートルが休刊に発狂してて笑える」
 「自分がカネもらって原稿書いてたくせに、他人事みたいに編集長をクサしてるのは、オダジマが少なくとも恩知らずのクソ野郎だということだよな?」

 といった調子の攻撃のツイートが多数押し寄せている。
 雑誌の休刊に類する破局的な結末は、ある種の人々を興奮させる。
 もう少し実態に即した言い方をするなら、雑誌の休刊や著名人の転落にエキサイトするような人々がネット社会のある部分を支えているということだ。

 彼らの共通項は、既存のメディアを憎んでいるところにある。
 おそらく、公式非公式を含めた新潮社のチャンネルには、私のところに寄せられたのよりもさらに辛辣かつ残酷なツイートやメールが殺到していることだろう。

 だが、その種のクレームや中傷や非難や嘲笑は、結局のところ、問題とするには足りない。

 というのも、メディア企業に粘着するアカウントの多くは、つまるところ、自分自身がマスコミに就職したくてそれがかなわなかったいわゆる「ワナビー」であり、同様にして、ライターやコラムニストに直接論争を挑んでくるのも、その大部分はライターやコラムニストになりたかった人たちだからだ。

 彼らは、メディアの中で発言している有象無象の低レベルな論客よりも、自分の方が高い能力を持っていると思っている。にもかかわらず自分に発言の場が与えられていない現実に不満を感じている。だからこそ、彼らは何かにつけて突っかかってくる。

 実際、私のツイッターアカウントやメールアドレスには

 「たいして根拠もないことを書き飛ばしてカネを貰えるんだから、コラムニストっていうのは楽な商売だな(笑)」

 という定番のツッコミが、定期的に寄せられる。
 私は、たいていは無視しているのだが、ときどき、

 「コラムニストは楽な商売なので、あなたも転職すると良いですよ」

 だとか

 「たしかに、才能のある人間にとってコラムニストほど楽な商売はありません。毎度ありがとうございます」

 という感じの回答を返してトラフィックの増加に寄与することにしている。
 彼らは恐るるに足りない。

 むしろ私が恐れているのは、何も言ってこない人々だ。
 何も言ってこない人々というのは、つまり、メディアにも表現者にも憧れを持っていない多数派の、とりわけ若者たちのことだ。

 現在のインターネット全盛時代に先立つ何十年かの間、メディア企業で働くことと、表現にかかわる仕事に就くことは、多くの若者にとっての憧れだった。

 いわゆるマスコミの社員は、高給取りでもあれば合コン市場での勝ち組でもあり、就活戦線でも無敵の人気就職先だった。
 高給取りで狭き門だったから憧れの対象になったのか、憧れの対象だから好遇されていたのか、起こっていたことの因果の順序は不明だが、ともあれ、20世紀の間、メディアは花形の職場だった。

 それが、現在は、そうでもなくなっている。
 高給の設定は、すでに裏切られつつある。昇給率はより確実に反故にされる見込みだ。

 つまり、昔みたいに黙っていてもどんどん昇給して行く夢のような生活はもう二度と再現されないだろうと、誰もがそう感じているのが現状のメディア業界人の共通認識だということだ。

 で、中の人たちのそうした悲観的な見込みを反映した結果なのか、就職戦線における優位にも影が差している。
 就職希望者が減っているのはもちろん、内定者がすんなり入社せずにほかの業界を選ぶ傾向も年々高まっている。

 つまり、現役の就活生たちは、マスゴミを敵視して突っかかって来ているワナビーの人々よりもさらに手厳しい人々なわけで、彼らはそもそもマスコミを第一志望の入社先として選ばなくなっているわけなのだ。

 今回の休刊は、この傾向(つまり、若い人たちがメディアを忌避する傾向)に拍車をかける理由になるはずだ。

 具体的な次元では、今回の休刊は、雑誌が「マネタイズできないメディア」であることを自ら証明してみせたのみならず、出版が衰退しつつあるビジネスであり、活字関連企業が斜陽産業であることを内外に広く知らしめるアドバルーンとして機能しつつあるということだ。

 今回、個人的に強い衝撃を受けたのは、9月21日の社長声明の中で、新潮社の佐藤隆信社長が、
《今回の「新潮45」の特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」のある部分》
 に関して
《あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現》
 が見受けられた旨を断言していたことだ。(こちら

 たしかに、小川榮太郎氏の文章は、私の目から見ても、明らかに「常識を逸脱」したどうしようもない駄文だった。
 しかし、一読者である私がそう思うのと、掲載誌を出版している社長がそれを言うのとでは意味が違う。

 私の抱いている認識では、新潮社や文藝春秋といった雑誌系の出版社は、昔から
 「安易に頭を下げない」
 ことで、その看板を保ってきた会社だった。

 念のために補足しておけば、ここで言う、「安易に頭を下げない」というのは、必ずしも、被害者に対する無責任さや利害対立相手に向けてのツラの皮の厚さを指摘するための言い方ではない。

 どちらかといえば、どんなことがあっても身内の人間を守る心意気を称揚する気持ちをこめた言い方だ。 

 もっとも
 「身内を守るためには命を落とすことも辞さない」
 「仲間のカタキはどんなことをしてでも必ず討つ」
 というのは、近代人の倫理コードや企業人の行動原理というよりは、どちらかといえば、より端的に「やくざ」ないしは「任侠」の人々の「仁義」ではある。

 が、雑誌にかかわる人間の内心に、いまなおこの種の「仁義」が共有されていることもまた事実だ。
 その文脈からして、新潮社の社長が、自社の雑誌に寄稿した人間の文章をああいう言葉で切って捨てたことの意味は大変に深刻だ。

 編集部が原稿を受け取って、活字の形で世間に流通させた以上、文責は編集部にある。
 それを、社長が「常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」と言い切ってしまったのではどうしようもない。

 書き手は、ハシゴを外された形になる。
 編集部としても、社長にこんな言い方をされたのでは、仕事のすすめようがない。
 なんとも悲しい話だ。

 雑誌が消滅することは、単に書店の書棚から書影が消えるだけの話ではない。
 月刊誌が消えることは、月刊誌への執筆機会を積み重ねることで筆力を養っていたノンフィクションライターの卵たちが壁にぶつかって潰れるということでもあれば、月刊誌が提供してくれる取材費を糧に関心領域への地道な地取りを続けていたライターが廃業を余儀なくされるということでもある。新聞やテレビがあまり扱わない、調査報道に費やされるべき人員と予算が雲散霧消することでもある。

 ついでに言えば、週刊誌が衰えることは、事件取材の層が薄くなることでもあれば、人間の手足と目と口でとらえた現場の空気が読者に伝わらなくなることでもある。

 いずれにせよ、雑誌の死は、単に紙の上の活字が消えるだけの変化ではない。
 それは、読者たるわれわれが世界に対峙する視野が少しずつ狭くなることを意味している。

 レコードがCDになり音楽ファイルになり、配信コンテンツに変貌して行く過程で、レコードショップが消滅し、プレス工場が更地になり、アナログの楽団やその演奏者が失業し、巨大なスタジオがビルの1室にまるめこまれたように、また、写真が紙焼きから画像ファイルに身を落とすたった15年ほどの期間の間に、フィルムメーカーが倒産し、現像所が消え、日本中の街角から写真館とDPEの窓口が消失したのと同じように、雑誌が活字として紙に印刷される形式から液晶画面上の画素の明滅にとってかわられることになれば、それらは、順次刷られなくなり、配本されなくなり、手売りされなくなる。そしてこれらの変化は、編集、印刷、製本、取次、配本、小売、という活字にまつわる一大産業が裾野の部分からまるごと消滅することを意味している。

 「コンテンツとしての文章は不滅なんだし、人が文章を読むという行為そのものが消滅することはあり得ないのだから、そんなに心配する必要はないよ」
 と言っている人もいる。

 もちろん、大筋において、彼の言っていることに間違いはない。
 ただ、雑誌なり新聞なりという「形式」を成立させていた営為は、その形式が消えれば自動的に消滅するはずで、私は、その部分に大きな危機感を抱いている。

 このあたりの機微は、ちょっとややこしい。
 なんというのか、われら出版業界の人間が20世紀の雑誌の世界でかかわっていた「文章」は、単なる個人的なコンテンツではなくて、もう少し集団的な要素を含んでいたということだ。

 で、そのそもそもが個人的な生産物である文章をブラッシュアップして行くための集団的な作法がすなわち「編集」と呼ばれているものだったのではなかろうかと私は考えている次第なのである。

 してみると「編集」は、一種の無形文化財ということになると思うのだが、その「編集」という不定形な資産は、この先、文章というコンテンツが単に個人としての書き手の制作と販売に委ねられるようになった瞬間に、ものの見事に忘れ去られるようになることだろう。

 書き手がいて、編集者がいて、校閲者がいて、そうやってできあがった文字要素にデザイナーやイラストレーターがかかわって、その都度ゲラを戻したり見直したりして完成にこぎつけていたページは、ブロガーがブログにあげているテキストとは別のものだ。

 ここのところの呼吸は、雑誌制作にかかわった人間でなければ、なかなか理解できない。
 で、その違いにこそ「編集」という雑誌の魔法がはたらいていたはずなのだ。

 取材についても同様だ。
 レコードショップが消えても音楽配信サイトがあれば、結果としてコンテンツとしての音楽は流通するし、人々の耳に届くことができる。

 ただ、音楽業界の人間に言わせれば、レコード・CDの時代に積み重ねられてきた古い音楽の制作過程や流通経路が滅亡する中で、失われてしまったものが確実にあって、それらは、一度失われると二度と復活できないものでもあるらしいのだ。そういう話が、さまざまな世界にころがっている。

 おそらく、文字を紙に印刷して書店で売ることをやめて、出来上がった文章を直接読者がファイルなりストリーミングなりで受け取る形にすれば、中間過程で費やされていた余計な経費や時間や手間はすっかり不要になる。
 それは、経営的には間違いなく効率的なはずだ。

 しかしながら、事態を逆方向から眺めてみればわかる通り、これまで新聞社が世界中に支局を持ち、雑誌社がボツネタのためにも記者を派遣し、出版社がほとんど売れる見込みのない書籍のために労力を割いていたのは、読者が新聞を定期購読し、電車に乗り降りする度に雑誌を買い求めていたからであり、つまるところ、無駄な本を作るための無駄な労力と無駄な中間経費のための代金を支払っていたからだ。

 ここのあたりの事情をもう少し詳しく説明すると、出版物の制作過程から無駄を省き、経費を節減し、中間過程を省略すると、空振りの取材や、ボツネタのためのアポや、書かない著者が編集者を待たせる待ち時間がまるごと消滅して、結果として、取材時間や、取材人員や、企画を考えるための空き時間が現場から消えることになる。

 と、その種の無駄な時間と手間を原料として生成されていた雑誌の魔法は、次第に効力を失っていくはずなのだ。

 早い話、私の知っているある週刊誌の編集部は、1990年代と比べて3分の1の広さになっている。
 スペースだけではない。かかわっている人間の数や予算はもっと減っている。

 無駄を省き、コストを節減し、選択と集中を徹底しないと、雑誌は立ち行かなくなっている。
 そして、無駄を省き、コストを大量殺戮し、選択と集中を徹底した結果、雑誌からは行間が失われている。

 1980年代の後半から1990年代にかけて、雑誌はまさに黄金時代だった。
 私自身、20代から30代になったばかりで、いまから比べれば無理のきく年頃だったが、同じ世代にはもっと勢いのあるライターがいくらもいたものだった。編集者もおしなべて若かった。そんなこんなで、業界全体に勢いがあった。

 当時行き来のあった書き手は、現在、ほとんど残っていない。
 私のように、30年以上同じ仕事をやっているライターは数えるほどだ。

 ただ、私は、自分が生き残ったというふうにはあまり思っていない。
 原稿を書く仕事から離れて、ほかの分野で成功している人が少なくないことから考えても、むしろ、目はしの利く人間や、ほかに芸のある書き手は早めにこの仕事から撤退したということなのかもしれない。

 ともあれ、90年前後の雑誌黄金期にライターをやっていた人たちは、皆、きらびやかで優秀だった。
 最近は、自分は逃げ遅れたのではないかと思うことが多い。

 「新潮45」は、表向き「休刊」という言葉をアナウンスしている。
 つまり「廃刊」という最終的な言葉は使っていないわけだ。

 ということは、理屈の上では、復刊の余地はあるのだろうと思っている。
 10年後くらいに「新潮75」あたりの名前で復刊することがあるのであれば、ぜひ寄稿したいと思っている。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

オダジマさんのツイート、私の最近のお気に入りはこちら。
        ↓    ↓    ↓
金のために文章を書く人間をプロと呼ぶのではありません。
書いた文章が金になる人間がプロと呼ばれるのです。
祝!六刷!ミシマ社さんおめでとう。

 なぜ、オレだけが抜け出せたのか?
 30 代でアル中となり、医者に「50で人格崩壊、60で死にますよ」
 と宣告された著者が、酒をやめて20年以上が経った今、語る真実。
 なぜ人は、何かに依存するのか? 

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

<< 目次>>
告白
一日目 アル中に理由なし
二日目 オレはアル中じゃない
三日目 そして金と人が去った
四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
告白を終えて

 日本随一のコラムニストが自らの体験を初告白し、
 現代の新たな依存「コミュニケーション依存症」に警鐘を鳴らす!

(本の紹介はこちらから)

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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。