『残念な職場』を書いた河合薫さん、『不死身の特攻兵』を書いた鴻上尚史さんの対談の2回目。それぞれの著書を踏まえながら議論はさらに深まる。

前回から続く)

鴻上:軍隊のなかで、パイロットはほかの職種と違う部分があります。完全な技術職のため、空に飛んだら抑圧的な「上下」の関係が通じないのです。

 上官から無茶な命令を出されても、パイロットは空の上では個人でいられるのです。自分の思いに対して忠実にできるのです。飛行機を降りたら怒られますが、技術のない上官も「ガミガミ言いすぎたら、敵機と遭遇したときに守ってくれないのではないか」と思ったでしょう。

 戦争が続いていたら佐々木さんは何度でも帰ってきたと思う反面、撃ち落とされたかもしれないとも思います。おそろしいのは司令官側が佐々木さんをこっそり殺していた可能性もあったことです。

 上官が佐々木さんの暗殺指令を出していたのは事実のようです。上官からすると、天皇に戦死を報告したのに帰ってくるのは責任問題ですから最終的に死んでもらわなければならない。ブラック企業の究極です。

河合:佐々木さんはそのことは知っていたのでしょうか。

鴻上:知らなかったようです。捕虜として収容所に入ったときに知り、驚いていました。
 佐々木さんに対し、「逃亡した司令官をどう思いますか」と何度も聞きました。しかし、立場が「雲の上」の人を佐々木さんがジャッジすることはありません。これは大企業の新入社員が社長をジャッジしないのと同じです。ジャッジできなかったのだと思います。

河合:そもそも鴻上さんはなぜ、佐々木さんが生きて帰ってきた理由を知りたいと思ったのですか。

鴻上:21歳の若者が40代、50代の上官の命令になぜ背けたのか。その理由を知りたかったのです。

河合:軍隊に「ノー」という答えは用意されていないと考えていたからですか。

鴻上:その通りです。この本の「命を消費する日本型組織に立ち向かうには」という帯の言葉は担当編集者がつけてくれたのですが、戦前の軍隊のような日本型の組織はずっと生き延びています。その究極が特攻隊というメカニズムだと思っていたため、あれほど佐々木さんに会いたかったのだと思います。

河合:「命を消費する」とは、日本型組織は人をコストとしてしか見ていないということです。そんなコスト意識に佐々木さんは勝ったのですね。

鴻上:上官たちがいたにもかかわらず、21歳の若者がコストにならないで戦ったすごさです。

河合:佐々木さんにとって、心のよりどころはどこにあったのでしょうか。

<span class="fontBold">鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)</span><br />1958年愛媛県生まれ。早稲田大学卒。81年に劇団「第三舞台」を結成。以降、作・演出を手掛け、紀伊國屋演劇賞、ゴールデンアロー賞、岸田國士戯曲賞を受賞。現在は「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」での作・演出を中心としている。2010年には虚構の劇団旗揚げ三部作戯曲集「グローブ・ジャングル」で第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。海外公演も行っている。17年に著書『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』を発表
鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)
1958年愛媛県生まれ。早稲田大学卒。81年に劇団「第三舞台」を結成。以降、作・演出を手掛け、紀伊國屋演劇賞、ゴールデンアロー賞、岸田國士戯曲賞を受賞。現在は「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」での作・演出を中心としている。2010年には虚構の劇団旗揚げ三部作戯曲集「グローブ・ジャングル」で第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。海外公演も行っている。17年に著書『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』を発表

鴻上:よくわからないのです。「ご先祖だ」と言うので、「ご先祖にお祈りしているのですか」と尋ねると、「そんなにしていない」と言うし、「お守りを持っているのですか」と聞いても「持っているけれど、肌身離さず持っているわけではない」と言うのです。結局、空を飛ぶことが大好きだったんだと、僕は考えました。

佐々木さんから母の話は出てこなかった

河合:10年ほど前、SOCが高い男性経営者たちにインタビューをしたことがあります。そのとき聞かなくても、必ず母親の話が出ました。

鴻上:佐々木さんの場合、出てこないですね。

河合:なぜでしょうか。不思議な気がするのですが。

鴻上:一つは兄弟が多く、一人だけ溺愛されてたわけでなかったからだと思います。

河合:私が話を聞いた経営者たちは兄弟が多くても「かあちゃん」という言葉がよく出ていました。佐々木さんの場合、父親のことは出てくるのに、なぜ母親が出てこないのか、が気になります。

鴻上:「恥ずかしいから」と見栄を張ったかもしれませんが、面白い視点だと思います。聞けばよかったかな。佐々木さんは自分の体験を率先しては「話さなかった人」なので、言わないままにしたのかもしれません。

 河合さんが挙げられたSOCは面白い概念ですが、日本語として理解しにくいですね。

河合:わかりやすい言葉にできればもっと広められるので、それは私にとってテーマになっています。「つじつまを合わせる感覚」という表現があるのですが、それだと伝わらない面があり、SOCのままにしています。

鴻上:河合さんがジジイ文化を意識するのは、帰国子女として外側から日本を見た経験が関係していると思います。群れるのが苦手という精神文化があるのではないでしょうか。

河合:自分ではストレートに言っているつもりはないのですが、「直球だ」とよく言われます。

鴻上:階級社会の軍隊において、佐々木さんがそれを抜け出せたのは、空の上では全ての責任を自分でコントロールするパイロットだったからだと思います。

 とにかく時間があったら訓練していた、とおっしゃっていました。戦争も後半に入ると「ガソリンがもったいないからやめろ」と言われたそうですが、それまでは訓練は「いいこと」であり、佐々木さんはうれしくて飛んでいました。スキルアップになるわけだから周囲からも「とてもいい」と言われた。パイロットは裁量権があります。

「全員が志願だった」の違和感

河合:佐々木さん以外に、何回か生きて帰った人はいるのでしょうか。

鴻上:機材が不調で何回か帰ってきて最終的に生き残った人はいますが、佐々木さんほどはっきり「死なない」ことを意識して、生き延びた人はいなかったようです。佐々木さんの場合、9回帰ったうち途中からは「爆弾を落として帰ってきます。体当たりしません」と言い放っています。

 そして、だからこそ戦後、佐々木さんはずっと沈黙しました。突入して亡くなった人がいる以上、「言ってはいけない」と考えたのだと思います。

河合:特攻として出撃した人は当時、それをよきことだと信じていたのでしょうか。それともどこかに良心の呵責を抱えながらだったのでしょうか。

鴻上:一人ひとりに聞くしかないですが、命令した側が「全員が志願だった」と言い続けているのは、後ろめたさの表れではないかという気がします。

 「自分を次の特攻に出させてほしい」と宴会の席で詰め寄られたとか、廊下を歩いてると「自分を次に出撃させてください」と言われたとか、寝ようとするとドアの前に志願者が列をなしている、などの記述が命令した人が書いた本にはあります。しかし、僕からすると「そんなことはないだろう」というほど描写が異常です。

 命令された側の手記を読むと「絶対に志願ではない。命令だった」とあります。「志願するものは手を挙げろ」と言われても誰も手を挙げなかったのに「行くのか行かんのかはっきりしろ!」と怒鳴られ、全員が反射的に手を挙げたこともあったと聞きます。それだけに「全員が志願でにっこり微笑んだ」と言った記述が命令した人の本にあるのは、どこかやましいことがあったのではないか、と思います。

 していることに自信があるなら、むしろ「強制になった人もいた」と書くはずなのです。これは社長の命令によって社員が疲弊しているのに、「全員が志願して働いている」というのと同じことです。

河合:佐々木さんの乗った特攻の飛行機は自分で爆弾を落とせるようにしていたとあります。これは整備にあたる人の「生きて帰ってほしい」という思いだったのでしょうか。

鴻上:上層部がどんなにダメでも現場はわかってくれます。それはある種の希望です。絶望的な状況下にあっても、現場は特攻という攻撃の愚かさを知っていた。援護する飛行機もなく一機で出発させることの不合理さを現場はよくわかっていました。

河合:パイロットのなかには、佐々木さんが生きて帰ってくるのが希望になったこともあったそうですね。

日本社会の枠組みに苦しんでいる人が読んでいる

鴻上:最初は「なぜあなたは帰ってきたのか」と周囲の人がとがめたりもしましたが、佐々木さんは「何回も出撃して爆弾を落とすほうが正しい」と当たり前のことを言うわけです。これを耳にしたあるパイロットは「自分も生き延びようと決めた」という手記を残しています。
 もちろん戦争だから、結果的に撃ち落とされ死ぬことはあります。それでも1%でも可能性のある戦い方を選ぼう、という佐々木さんの言葉を信じた人もいます。

河合:その意味では「心の上司」になっていたのではないでしょうか。

 仕事とは人が生きる上ですごく大切なことであり、本当は楽しいことでもあるはずなのに、なぜこれほどしんどいことになるのか、とよく思います。佐々木さんはパイロットの仕事を極限とも言える場面でも楽しいと感じています。そのことはとても印象に残りました。

鴻上:『不死身の特攻兵』は当初、歴史物が好きな人が読み、やがてビジネスマンが読んでくれ、ツイッターで「理不尽な命令はうちの会社とまったく同じ構造だ」といった声が広がりました。そのうち今度は女性が手に取り始めてくれるようになりました。そこでは「PTAと似ている」「ママ友の会話が同じ」となっていました。日本社会の枠組みに苦しんでいる人や、「うっとうしいな」と思っている人が読んでいると思います。息苦しいし、このままではだめだと思っているから、読まれている面があります。

 帰国子女である河合さんはそうしたことに敏感ではないでしょうか。一方でこうした共同体に没入することで安心を得ようとする人もいます。実に厄介です。

河合:鴻上さんはそうした社会になじんでいるのですか、それとも生きづらさを感じているのですか。

鴻上:僕は帰国子女ではないですが、両親とも教師でした。特に父は厳格でしたが、いつも理想を語っていました。理想を語るのは、社会を語ることだと思います。例えば、近所づきあいについても、「あいまいにするのもおかしい」と言っていました。

 幼いころに社会の枠組みをそんなふうに刷り込まれたのですが、残念ながら日本は「世間」で生きる人が多く、何かあったときに「そこは飲み込もう」となりがちです。世間は中途半端に壊れていますが、これから先も壊れ続けるかどうかわからない。不安になったら皆世間にしがみつくためで、東日本大震災の後は絆といった形で世間の揺り戻しがきています。世間原理主義と僕は呼んでいますが、これは個を殺す状態でもあります。震災の後、一週間で道路が直されるなど、個を殺して協力することがプラスになることもあればマイナスになることもあります。なぜ日本人は個を殺しやすいのかを追求していくのが僕の仕事かなと思っています。

ずっと戦い続けるしかない

河合:個を殺すのは、海外での生活を経て日本に帰ってから私が一番息苦しかったことです。日本人は米国を競争社会だと思っていますが、実際には米国は「自分がマックスになる社会」であり、それが結果的に競争社会になっています。それが日本では、目立ってはいけない、黙っておくのが一番だとなります。

鴻上:ずっと戦い続けるしかないと思います。その意味で河合さんの『残念な職場』は苦しんでいる職場の若手にとって希望の本になると思います。そして、それは僕の演劇の演出の心構えとすごく似ています。

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