住友商事のサラリーマンを経て、工具のネット販売会社MonotaRO(モノタロウ)を創業。スタートアップを東証1部へと導いた後、巨大企業LIXILグループを社長兼CEO(最高経営責任者)として率いることになった。瀬戸欣哉氏は、世間から「プロ経営者」と称され、自らも「プロ」の仕事師だと言う。

瀬戸氏が守り続けてきた「プロ」のビジネスパーソンとしての矜持とは何か。

日経ビジネス本誌では、注目の経営者たちの生き様(Life Story)と講義(Lecture)を連載「経営教室『反骨のリーダー』」で掲載している。Series1で取り上げたLIXILグループの瀬戸欣哉社長兼CEO(最高経営責任者)の、「プロ経営者」としての人物伝を日経ビジネスオンラインに転載する。=本文敬称略(本コラムは日経ビジネス本誌2018年5月21日号から掲載した連載「経営教室『反骨のリーダー』」を一部、再編集して掲載しています。年齢や肩書などは掲載時のままです)

■お知らせ■

日経ビジネスRaiseでは、LIXILグループ・瀬戸欣哉社長兼CEOを招いた読者との対話会「日経ビジネスRaise Live」を開催します。参加ご希望の方は、記事最後の募集要項をご覧ください。

■日経ビジネスRaise Live
~LIXILグループ・瀬戸欣哉社長兼CEO「困難を突破する“プロ”の心得」~

■日時 10月1日(月) 18:30~
※記事公開当初、開催日が10月1日(金)となっていましたが、正しくは10月1日(月)です。お詫びして訂正いたします。
■場所 東京ミッドタウン日比谷「BASE Q」
■参加者募集 こちら

(写真=的野 弘路)
(写真=的野 弘路)
瀬戸欣哉[せと・きんや]
1960年 6月 サラリーマン家庭の次男として、東京に生まれる
73年 武蔵中学・高等学校に入学。バスケットボール部に所属
79年 東京大学経済学部入学、ボクシング部所属
83年 住友商事に入社し、鉄鋼部門で線材貿易を担当
90年 米デトロイトに赴任、特殊鋼製品担当
94年 米ダートマス大学MBAに入学
97年 米アイアンダイナミクスプロセスインターナショナル社長
99年 住友商事eコマースチーム長・マネージャー
2000年 住商グレンジャー(現MonotaRO)創業、翌年社長に就任
06年 MonotaROに社名変更。マザーズ上場
09年 東証1部上場
12年 MonotaRO社長を退任し会長(現任)に就任
16年 1月 LIXIL社長兼CEO(現任)、LIXILグループ代表執行役兼COO
16年 6月 LIXILグループ社長兼CEO(現任)

 「プロ経営者」──。住設大手LIXILグループ社長兼CEO(最高経営責任者)の瀬戸欣哉(57歳)は、自らをあえてそう表現する。

 この言葉には今、いい響きはない。プロ経営者とされたリーダーの多くが、業績不振や不祥事、創業家の後ろ盾を失うなどして評価を落としている。

 瀬戸も安泰ではない。2018年3月期は、当期利益こそ資産の売却益などで前期に続き過去最高の546億円を計上したものの、事業利益(国際会計基準=IFRS)は753億円で前期比16%減。収益性の改善を掲げ4月にスタートした中期経営計画の前提が揺らいだ。

 「事業利益が失速した理由は、主に原材料の値上がりや新築着工件数の減少といった外的要因。余分な肉を減らし、効率的に動いていく体制はできた」

 瀬戸は5月7日の決算説明会で熱弁を振るった。だが、株式市場には、「これといった失策はないが、環境の悪化で決して余裕はない」(SMBC日興証券シニアアナリストの川嶋宏樹)といった声もある。

 瀬戸は創業家で取締役会議長の潮田洋一郎に請われ16年6月、LIXILグループのトップに就いた。住友商事を経て工具のネット販売会社MonotaRO(モノタロウ)を創業。東証1部に上場させた実績を買われた。

 瀬戸が潮田の誘いを受ける決断をした15年、LIXILは揺れていた。原因は海外。前任の藤森義明時代に買収した独グローエの中国子会社ジョウユウで会計不祥事が発覚していたからだ。

 国内にも課題がある。LIXILは11年にトステム、INAXなど5社が統合して誕生。サッシ、バス、キッチンで1位、トイレで2位とシェアは高い。だが、組織や事業の整理は不十分で、市場縮小に挑む体制作りが遅れていた。

 「LIXILに行くと聞いて、だいたい賛成する人はいなかった。大変なのは明らかでしょう」。MonotaRO創業時から瀬戸を支え、12年に社長を継いだ鈴木雅哉は当時の心境を打ち明ける。

できないと思われていることを、
できると証明したい。
それが“プロ”だから

 それでも瀬戸は火中の栗を拾った。「できないと思われていることを、できると証明したい。それが“プロ”だから」というのが、その理由だ。

 「プロ経営者」とは、複数の企業を渡り歩く経営者といった意味で使われる。瀬戸も11社を創業してきた。

 だが、瀬戸にとっての「プロ」とはそれだけを意味しない。「世間の常識に流されず、正しいことを考え、実行すること」を指す。「Do The Right Thing」。瀬戸は好んでこの言葉を使う。

父親の教えとバスケの挫折

 それは瀬戸が父親から学んだ反骨心の表れなのかもしれない。

 瀬戸は1960年、サラリーマン家庭の次男に生まれた。小学生時代は大量のバッタを教室に放ち、授業もボイコットする、教師もさじを投げるほど生意気な少年だった。専業主婦の母・鶴子は毎日のように学校に呼び出された。

 それでも瀬戸は、両親に叱られた記憶がほとんどない。特に三菱電機に勤めていた父・光は、「何でも許してくれる存在だった」。だが、優しさ以上に、幾度となく聞かされた話が瀬戸の脳裏に焼き付いている。

 「終戦まで鬼畜米英と言っていた教師が、夏休みが終わると民主主義を絶賛していた。立派に見える大人でも正しいとは限らない」

 31年生まれの光は多感な中学生時代に終戦を迎えた。それまで「正しい」と教えられてきたことが180度転換した体験から、息子たちに常識に惑わされるなと伝えたかったのだろう。

 光に感化された瀬戸は、「自分で考える」ことを生き方の基軸にしていく。中学受験の時もそうだった。

 小学6年生の時に東京・荻窪から引っ越した同・高島平のニュータウンにはサラリーマン家庭が多かったものの、中学受験は一般的ではなかった。それでも瀬戸は、私立の名門、武蔵中学校・高等学校を目指した。決め手は、先に入学した学年が3つ上の兄・雅哉に見せられた同校の「建学の三理想」。「自ら調べ自ら考える力ある人物」という、光の教えと符合する言葉がそこにあった。

 受験をゲーム感覚で楽しみ合格した武蔵では、振り返れば経営者としての基礎を学んでいた。特に所属したバスケットボール部のコーチ、畑龍雄を、瀬戸は「自分の人生に一番影響を与えた人かもしれない」と言う。

 ローマ五輪で国際審判員をした経歴の持ち主の畑は、“考えるバスケ”を教えていた。口癖は「せっかくへばったんだから頑張れ」。確実に得点に結びつくフォーメーションを徹底的に考え、どんな状況でも実行できるように、疲れていても繰り返し練習し習慣化する。

 それは後に、ビジネスにおける瀬戸の行動原則となる。「ただ考えるだけでは身につかない。疲れても考えるのをやめずに考え抜いて初めて、人と違う結果が出ることを教えられた」と瀬戸は振り返る。

高校のバスケットボール部では荒っぽいプレーばかりしていた
高校のバスケットボール部では荒っぽいプレーばかりしていた

 もう一つ、バスケを通じて学んだことがあった。組織を動かす難しさだ。

 瀬戸は東京大学経済学部に進学後はボクシング部に入部した。ところが畑は、キャプテンでもなかった瀬戸のリーダーシップを見抜いていたのだろう。武蔵中学のバスケ部に呼び戻した。

 コーチとして畑の教えを実践すると、区大会ですらほとんど勝てなかった弱小チームが、2年目の春には都大会に進出するまで強くなった。

 だが、瀬戸はここで挫折する。勢いに乗って挑んだ夏の大会で区大会を初戦敗退。翌日、中学3年の部員がキャプテンを除いて全員退部した。

 キャプテンだった川端徹(現・三菱商事・エネルギー資源戦略室経営企画ユニット部長)は、「都大会進出に舞い上がり、これまでにない厳しい練習を私が無理に強いたせいだった」と話す。だが、瀬戸は違う見方をする。自身の言うことをよく聞く川端を介してチームを運営した結果、他の部員の気持ちを見失い、「彼を孤立させてしまった」。

 チームを動かすのを人任せにしてはいけない──。挫折から学んだ教訓だ。

アマゾンに衝撃

 経営への関心は大学時代から芽生えていた。コーチの経験に加え、在学中、デジタル腕時計を大量に仕入れてはモロッコに飛んで売りさばき、商才にも自信があった。だが、明確に「経営者」を志したわけではなく、「大きな仕事がしたい」という漠然とした理由から、商社に就職した。

 ただ、自分で決められる裁量にはこだわりがあった。住商に入社したのは、他商社と比べて「バッターボックスに立てる可能性が高そう」と考えたからだ。配属先の鉄鋼部門では線材貿易を担当。1件100万円超と少額だが1年目から取引を任された。

 目立つ存在だった。新人時代の教育係だった桒嶋裕司は、瀬戸の初めての米国出張で驚かされた。米自動車業界の顧客への説明を任せてみると、市場動向から数量や価格など取引条件の背後にある理由まで、「自分で情報を集め、顧客を説得するストーリーを独自に理路整然と組み立てていた」(桒嶋)。

 プライドも高かった。入社8年目で米デトロイトに赴任する直前、瀬戸は右手を骨折した。瀬戸の実力を不安視する声を耳にして上司と口論になり、怒りを抑えきれずに電柱を殴った。

 駐在中の米ダートマス大学へのMBA留学も異例だ。通常、駐在中の商社マンは留学など認められない。だが、自ら提案した事業のアイデアを却下されて知識不足を痛感した瀬戸は、それをバネに上司を説き伏せた。

 この留学が、瀬戸の前に経営者としての道を開くことになる。

 留学したのは、米アマゾン・ドット・コムが創業した94年。大量の本を1つのサイトに取りそろえ、しかも安く売る事業モデルは、商社という流通業界に身を置く瀬戸に衝撃を与えた。

 帰国後は鉄鋼原料関連の新規事業を任され、米社との合弁会社の社長に就いたがアジア通貨危機で頓挫。eコマースチームの新設を提案し、念願のEC(電子商取引)事業を検討し始める。

 日本はネットブームに沸いており、商社にも米ベンチャーなどから共同事業の誘いが数多くあった。その中で瀬戸の心を捉えたのが、米資材流通大手グレンジャーからの提案だった。「企業向けアマゾン」を作れると直感した。

 ただ、当初は交渉の窓口は瀬戸ではなく、ECに詳しいことを理由に会議への同席を頼まれただけだった。しかし、グレンジャー側で交渉に携わったY.C.チェン(現LIXILのチーフ・インテグレーション・オフィサー)は、「他商社も含め交渉相手の中で欣哉はとにかくアグレッシブだった」と言う。

 とはいえ、他部署の案件をあからさまに奪うわけにはいかない。瀬戸は、会議が終わりチェンらがタクシーを拾う際にホテルへの見送りを口実に同乗。「住友商事も他商社も興味を持たないと思う。だが、俺はやりたい」と言い名刺を手渡した。この機転がMonotaRO創業につながった。

病的なほどの当事者意識

 MonotaRO(当初は住商グレンジャー)の創業は2000年で、瀬戸は40歳。創業は苦難の連続だった。

 オフィスは、工具の問屋街がある大阪・立売堀に、「住友」の看板には似つかない、トイレの臭いが漂うような狭い一室を借りた。創業資金として30億円が必要と見積もったが、住商とグレンジャーの出資額は合わせて1億円程度。ネットバブルが崩壊し投資家の目が厳しい中、残りは自力でかき集めた。

 コストを抑えようと、エアコンを効かせたマンションの一室をデータセンター代わりにし、在庫はアパレル倉庫でハンガーにかかる衣料品の下の空間を借りて置いた。想定した顧客は大企業だったが、思うように獲得できない。ネット通販をとりあえず諦め、ファクスで中小企業にチラシを配った。問屋業界からの反発にも遭い、訴訟をしたり、彼らの調達先である韓国や中国に商品を確保しに行ったりした。

 住商に入社してすぐ創業メンバーに加わった金澤祐悟(現LIXILのチーフ・デジタル・オフィサー)は、「リソースが何もなかったから起業家精神が養われた」と言う。

せっかくへばったんだから頑張れ。
頭から血が出るほど考えろ

 「へばったら頑張れ」。困難に直面するたびに恩師・畑の教えを思い出した瀬戸は、鈴木らにも「頭から血が出るほど考えろ」とハッパを掛けた。

 ベンチャーキャピタリストとして瀬戸を支援し続けてきた宮島正敬(現MonotaRO社外取締役)は、「経営者として瀬戸は進化し続けている」と評する。当初は「自分で事業をしたい」という強烈な熱量で組織をけん引したが、ビジネスモデルが確立し06年にマザーズ、09年に東証1部に上場して成長軌道に乗ると、自分がいなくても回る組織に作り変えていった。

 そして創業社長が長く経営に携わるケースが多い中で、瀬戸は12年に社長の座を鈴木に譲った。瀬戸は会長に退き、グレンジャーでMonotaROの事業モデルを米国など他国に展開する要職に就いた。だが飽き足らなかった。MonotaROに愛着はある。一方で、もっと大きい会社の経営に挑戦したいという気持ちが強かった。

 「創業経験があり泥臭い現場もITも分かる。しかも、いい意味で病的なほどの当事者意識がある」

 住商時代から瀬戸を知り、LIXILの潮田に紹介したヘッドハンティング会社・縄文アソシエイツ代表取締役の古田英明は、瀬戸の資質をこう表現する。

 社長就任から2年。瀬戸がLIXILを成長に導けるか、答えは出ていない。招聘当時の指名委員会では、売上高でMonotaROの20倍近く(直近の決算)もある巨大組織を瀬戸が経営できるのか、不安視する見方もあったようだ。

 だが、瀬戸は割り切っている。

 「経営の方向性が違うと言われたら、僕は辞めるタイプ。仕事師なのでね」

 正しいと信じる経営が、社員、顧客、株主、そして創業家の潮田から支持されるか。プロ経営者としての瀬戸の評価は、そこで決まる。

【お知らせ】「LIXIL瀬戸社長との対話会」参加者を募集します。

     
趣旨 日経ビジネスRaise Live
~LIXILグループ瀬戸欣哉社長「困難を突破する“プロ”の心得」~
日経ビジネスの読者と時代を拓くイノベーターとのライブ対話。今回は、LIXILグループ・瀬戸欣哉社長兼CEOの連載「経営教室『反骨のリーダー』Do The Right Thing」を題材に、瀬戸社長をお招きして、直接対話を通じて次世代リーダーたちへ“「プロ」の心得”を伝授します。
プログラム 【第1部】
「LIXILグループ瀬戸欣哉社長のDo The Right Thing」読書会

18:30 開会の挨拶/日経ビジネスRaiseの説明
18:40 「LIXILグループ瀬戸欣哉社長のDo The Right Thing」読書会
19:20 休憩(10分)

【第2部】
瀬戸欣哉社長との対話会

〜仕事で“Do The Right Thing”を貫く方法〜
19:30 LIXILグループ瀬戸社長に聞く「困難を突破する『プロ』の心得」
19:50 Q&A
20:30 閉会
※プログラムは変更になる場合があります
日時 10月1日(月) 18:30〜(受付開始18:00~)
場所 東京ミッドタウン日比谷「BASE Q」(https://www.baseq.jp/
募集対象 新しい製品やサービス、事業の創造に関心があり、組織の変化に挑もうとしているビジネスパーソンや学生。所属する企業や組織の規模・業種は問いません
募集人数 約30人
参加費 無料。移動にかかる交通費などは参加者の負担となります。
応募者多数の場合の選考基準 1. 氏名、所属を日経ビジネス本誌やオンラインの記事、Raiseで公開できること(イベントの撮影あり)
2. オンライン、オフラインでRaiseの活動に積極的に参加できること
3. 自己紹介(氏名、所属、経歴など)、参加希望理由

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締め切り 2018年9月20日(木)23:59まで
選考結果 ご参加いただく方にのみ9月25日(火)までにご連絡致します
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