横浜中華街を基盤に、中華料理店「重慶飯店」や宿泊施設「ローズホテル横浜」などを展開する龍門グループ(横浜市)。台湾からやってきた李海天、呉延信夫妻が1959年に「重慶飯店」を立ち上げたのが始まりだ。その事業を受け継いだのが、息子の李宏道と李宏為。2人が経営者として意識してきたこととは――。

 龍門グループは、兄の李宏道が社長、弟の李宏為が専務として経営している。2人で経営していることが大きな特徴かもしれない。そしてこの2人、とても仲が良い。

社員の家族とともに新年を祝う社長の李宏道(左)と、専務の李宏為(右)
社員の家族とともに新年を祝う社長の李宏道(左)と、専務の李宏為(右)

 しばしば兄弟で食事に出かけたり、飲みに行ったりする。ハワイで行われるホノルルマラソンは、毎年、兄弟で完走する。東京マラソンも一緒だ。いろいろなパーティーにも同席する。その背景にあるのは、2人の親である李海天、呉延信夫妻の小さい頃からの教えだ。宏道は言う。

 「これはもう徹底的に言われました。必ず兄弟は仲良くしなければいけない、と。兄弟喧嘩をしてはいけない。これが家訓だったんです。私はずっと守っています。弟も守っている。だから、どんなことがあっても仲良くしていられるんです」

 創業家に生まれた兄弟の仲違い、トラブルはよく耳にする。

 「だから、李さんのところは仲が良いねと言われるし、驚かれます。でも、これは意識して仲良くしているわけではなくて、自然なことなんです。父と母に小さい頃からずっと言われてきたことだから」

喧嘩をしていたら、競争に負ける

 もちろん、腹が立つこともあるだろう。肉親であり、兄弟だからこそ、甘えてしまうこともあるだろう。甘えが火種になって、喧嘩にならないのだろうか。

 「人間ですから、合うところもあれば合わないところもある。それは兄弟でもそうです。でも、完璧な人間なんていないじゃないですか。だから、お互いの良いところを見ればいいんですよ。そうすると、私にはないものを弟が持っていることに気付くことができます。逆に、彼にないものを私が持っている」

 お互いの強みを見いだし、経営に生かすようにしている。

 「両親がつくってくれた会社とブランドをさらに羽ばたかせることが、私たちのミッションなんです。兄弟喧嘩していたら、そのミッションを果たすことができない。そんな時間はもったいないです」

 宏為も同じことを言っていた。2人で気を付けてきたことがある、と。

 「腹を割って話すことです。隠し事はしない。何か思うことがあったら、全部ちゃんと話す。それこそ、妻にも言えないことだって話す。だから、仲が良いんだと思います。お酒を飲むと、もっと仲良し(笑)。一緒においしいものを食べて、お酒を飲んで、なんでも言い合う。それが大事です」

 宏道も言う。

 「裏表がないですね。だから、嫌なことでも彼には言う。これ違うよ、もっとそれ直さなきゃダメだよ、これがいい……。なんでもちゃんと伝えないといけない」

 宏道が部下にメールを送るときは、必ずCC(同報)に宏為を入れる。フェイスブックも互いにつながっている。

 「2人で喧嘩している暇なんてないんです。そんなことをしていたら、競争に負けちゃいますから」

 宏為も言っていた。

 「いけないのは、暇になることですね。人間、変なことを考えるのは暇なときなんです。忙しく過ごしていたら、そんな余裕はない。だから、忙しいことはいいことです」

 もうひとつ、2人の結束が強いのは、巨額の借入金があったからかもしれない。仲違いをしている余裕などなかったのだ。そんな厳しい状況を、2人は両親の教えを忠実に守って切り抜けたのである。

兄弟の姿勢が企業文化になる

 こうした兄弟の姿勢が、企業文化として浸透しているのだろう。マネジメントにもそれが表れている。宏道は言う。

 「大切なことはコミュニケーションを取ることです。こういうことをやろうと語りかけ、社員の意見を聞いて、一緒に取り組む」

 こうした文化は全社に広まっている。例えば、調理部門。重慶飯店別館の料理長、木暮浩三は、この30年で調理場の雰囲気がとても良くなったと感じている。

 「昔は店舗ごとに仲が悪かったんです。でも今は、陳一明調理部長が先頭に立っていろんなことを改革したから、ひとつにまとまっています。ホールと比べて調理場が偉いとか、そんな空気はありません。そんなことは意味がないという感じです」

 外に向けての意識も変わったという。

 「仕入れ業者を下に見る料理人も世の中にはいますが、大嫌いですね。オレのほうが偉い、みたいな顔をするのは恥ずかしいことです。だって、仕入れ業者さんが良いものを持ってきてくれなかったら、どうやって調理するんですか。いろんな人に生かしてもらっているんですよ」

 どんな意識を持って仕事をすべきか。社長の立場を理解して、一人ひとりが考えている。重慶飯店総支配人の安藤直昭は言う。

 「社長を怒らせたらダメだと思っています。社長がガミガミ言っているようではいけない。私たちがガミガミ言う立場になるんです。ただ最近の若い人たちはガミガミ言われるのに慣れていないから、ガミくらいで止めておかないといけないですね(笑)。消化不良になりますが」

 さらに、売り上げを無理に押しつけるようなことはしていない。安藤は続ける。

 「売り上げよりも、人を育てることが大切だと思っているんです。人が育てば、おのずと売り上げは伸びてきます。長時間労働や休日が少ないといったイメージがあって、慢性的に人手不足の業界じゃないですか。それがちょっと残念ですが、後継者をいっぱい育てていきたいと思っています。そのためにも、売り上げガミガミより、笑顔でいたいですね。お客さま商売ですから。私もいつも笑顔でいるようにして、朝礼でもみんなを笑わせて終わるように考えているんです(笑)」

 財務部門の仕事のスタイルも、龍門グループならではかもしれない。財務部長の松澤信太郎は言う。

 「銀行とのリレーションがとても大切なので、グループ間のやり取りが多く複雑になりがちなところをできるだけ分かりやすくすることを意識しています。何より心がけているのは、隠し事をしないことです。良いことも悪いことも、銀行にすべて伝える。そうすると、向こうも安心する。下手に隠しても、後で分かってしまいますからね。それでは信用を失う。正直な数字を見せることで、信頼関係がつくれるんです」

明確なディレクションが大事

 宏為も社風が良くなったことを認めている。

 「やっぱり楽しんで仕事することが大事だと思うんです。そうして生まれたものが新たな仕事につながる。それ、うちの会社でもやってみたい、なんて問い合わせをいただくことも多いんです。食材に詳しい人を呼んできて新しいものを取り入れたり、ブランドアンバサダーを招いて講習会をやったり。そうしたことすべてが仕事につながり、自分も楽しくなる。そんな空気をつくっていくようにしています」

 そして宏道は、こうした文化をまとめ上げる。

 「大事なことは、ディレクションを明確にする、ということです。方向性をちゃんと決める。これがあやふやにぶれると部下に迷いが生じます。昨日と今日で言っていることが違うじゃないですか、なんてことになりかねない。夢を分かち合って一緒に目指そう、と声をかけていけば、みんな付いてきてくれます」

 事業を運営していくにあたって、宏道と宏為を育てた創業者である李海天、呉延信夫妻が大事にしていたことがある。それは、社員もファミリーだという意識だ。ローズホテル横浜の副総支配人、渡部一樹は、当時の社長だった李海天の言葉を今も覚えている。

 「入社したら、あなたもファミリーだよ、と言われました。そのときのファミリーの意味はまだ漠然としていたんですが、時間が経つにつれて、その重みを感じるようになっていきました。みんなが同じ気持ちで一緒に働くことが、極めて大事だということです。それが企業の成長につながるし、お客さまへのおもてなしにもつながっていくんです」

2018年2月に2晩にわたって開催された「社員と家族の新年会」には、450人以上が参加した
2018年2月に2晩にわたって開催された「社員と家族の新年会」には、450人以上が参加した

 ファミリーという意識の原点にあったのは、夫妻のどちらも料理人ではなかったことが大きかったのではないかと宏道は考えている。

 「他はみんなオーナーシェフだったわけです。シェフを雇わないといけないオーナーというのは珍しかったんですよ。料理人から、“あんた、料理できないじゃないか”という目で見られてもおかしくないですよね」

 実際、料理人が休んだり辞めたりしたら、店を開くことはできない。大きなリスクが常に潜んでいた。

 「現場があって、働いてくれる人がいるからこそ、自分たちも仕事をしていけるんだということが分かっていたんだと思います。そんな中で、どのくらいオーナーとして求心力を高めることができるか。ファミリー意識を醸成していくことは、とても大事なことだったのだと思います」

安心して働ける環境づくり

 実際、社員からファミリーと思ってもらえるだけのことを、夫妻は果たしていた。例えば、後の取締役総料理長、顧問を務めた陳中権は今も夫妻への感謝を忘れることはない。宏道は何度も聞いている。

 中国の四川省の貧しい家庭に生まれ、学校に行けなかった陳中権は、料理人として身を立てるために香港へ渡った。現地での見習い修業は15年も続いた。燃料運びから始まり、ようやく鍋を持たせてもらえたのは20代半ばだった。

 そんな彼の人生を変えたのは、27歳で来日して、重慶飯店で働くようになったこと。日本国籍を取得できるように、李海天自らが法務局に出向いた。陳は、いつも必ず拝賀式にはスーツ姿で現れ、いかに自分が夫妻のお世話になったかを宏道に語ったという。

 この陳の息子が、今の調理部長の陳一明なのである。

 「どうしてホテルの誰に対しても生意気で厳しいことが言えるのか。それは、この会社に恩義があるから、忠誠心があるからです。日本に来た当初は、父と2人で小さなアパート暮らしでした。お風呂はなく、狭い家で、僕の部屋は押し入れでした」

 香港には母と5人の兄弟がいた。家族は離ればなれで4年間会えずにいた。そんなとき、李海天から驚くべき申し出があった。

 「ここに住みなさいと3LDKのマンションをポンと与えてくれたんです。家族をみんな呼び寄せて、安心して働きなさいと。これがどれほどうれしかったか。本当に心打たれました」

 だから一明は、大学進学には興味を持たなかった。早く恩返しがしたかった。弟や妹もいて生活が大変だったこともあり、懸命に働いた。平日は10時間、週末は14時間働いた。週末に備えて夜中まで翌日の仕込みをした。そんな彼を、呉延信がいつも見守っていたという。

 「夜中まで仕事をしていると、まだやっているの、と褒めてくれて。人手が足りなくなると売店で売るためのお菓子工場も手伝っていました。そうしたら、休憩時間に誰にも見られないようにポケットの中にお金をそっと入れてくれて。洋服でも買いなさいって。当時の1万円、2万円って、大変な金額だったんですよ、そんなことが何度あったか。本当にうれしかった」

「信義礼節」を大切にする

 李海天は、台湾や中国から来た、たくさんの若い留学生の面倒も見ていた。中国では年長者が学問を志す後輩たちを援助することは当然のことだった。李海天自身も、そのおかげで来日できた。宏道は言う。

 「たくさんの留学生がよく来ていました。彼らに、お金は要らないからご飯を食べていきなさい、何か困ったことがあったら言いなさい、と声をかけていました。なにしろ面倒見がいいんです。君たちはこれからの時代を担うんだから頑張りなさいと。教育者ですよね」

 そういうところから信用が生まれる。信義礼節である。

 「信用があれば人は付いてきます。信用がなければ商売は繁盛しません。父はいろんな人に助けてもらって激動の時代を生き抜きました。それは信義礼節を持っていたからだと思うんです。ちゃんと真面目にコツコツやって頑張る。そうすれば銀行も信用してくれるし、事業も発展するんです」

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 横浜中華街で中華料理店「重慶飯店」を創業、1981年からは宿泊施設「ローズホテル横浜」を経営するなど、事業を拡大している龍門グループ(横浜市)。その創業者である李海天、呉延信夫妻から経営のバトンを受け取った息子の宏道、宏為がどのように事業を発展させ、次の世代につなごうとしているのか――。そこには家業から企業への“脱皮”があった。多額の借金を抱えたホテル事業の立て直し、フランチャイズ事業への新たな挑戦などの取り組みを支える経営理念とノウハウを、詳細なエピソードとともにまとめた一冊。

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