こんにちは、総合南東北病院外科医長の中山祐次郎です。外科医をちょいとお休みし、京都大学大学院でただいま勉強中です。

 少し近況を。わたくし学生生活ゆえ、2カ月の夏季休暇をいただきました。医者として働きだしてから夏休みは5日間、それも呼び出されて結局、病院で過ごす……などという生活でしたから、まず何をすればいいのか戸惑う羽目に。まったく、労働者はこうやって想像力を失っていくのですね。ともかく、おそらく人生最後の貴重な休暇だろうと、私は見聞を広めるために米国へと旅をして参りました。

世界トップレベルの研究所、ソーク研究所へ

 米国滞在の半分は西海岸のサンディエゴ、あとの半分はニューヨークにおりました。サンディエゴでは、ソーク研究所という生物学の世界トップクラスの研究所に留学する友人研究者に会いました。彼が言うには「NCSに載せなければ」だそうで、NCSとは「Nature」「Cell」「Science」という一流科学雑誌3誌を指します。これらに自分の研究結果の論文を載せなければ、彼のいる研究室では認められないのだそう。

 皆さんも、これらの名前は聞いたことはあると思います。いずれも、世界中の研究者が目標とする雑誌です。少なくとも臨床医でそれらに論文を載せた人など聞いたことがなく、研究者でも非常に限られています。暖かな陽射しの降り注ぐサンディエゴで、頑張ってほしいところです。

 後半のニューヨーク、わたくし初めての訪問でした。特に印象的だったのは、「9.11メモリアル」という、9.11で崩壊したワールドトレードセンタービルの跡地にある資料館です。そこには、亡くなった人々の顔写真や、航空機4機の一連のハイジャック、そしてビルの崩壊やペンタゴンへの衝突について克明に記されていました。

 私はそこで無念のうちに亡くなった人々へ祈りを捧げつつ、航空機の学校で操縦を学んでまでテロを実行し、自らも死んでいったテロリストのことを考えざるを得ませんでした。自らの命と、大勢の人の命よりも大切な正義が果たしてあったのかと。そして、人間の認識はいかに狭く、いかに歪みやすいものかと痛感いたしました。

破壊されたビルの一部と、展示物を見入る人
破壊されたビルの一部と、展示物を見入る人

ノーベル賞受賞の本庶氏が語った「幸せの定義」

 さて、今回は日本人がノーベル医学・生理学賞を受賞したニュースについて取り上げます。受賞した本庶佑(ほんじょ・たすく)氏は京都大学医学部の出身で、その後京都大学医学部の教授、そして医学部長を長く務めておられました。

ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑氏
ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑氏

 ですので、受賞翌日の京都大学はちょっとした騒ぎになっている……と思いきや、私の通う医学部キャンパスはいつものように静寂に包まれておりました。どうやら時計台のあるメイン講堂で記者会見を行っていたそうで、医学部の方では特に何もありませんでした。学食が記念セールで安くなるなどなく、残念。

京都大学医学部はいつものように平穏でした
京都大学医学部はいつものように平穏でした

 本庶氏がなぜノーベル賞を受賞したのか、その功績はどんなものか。その解説をする前に、こんな未公開エピソードをお披露目しておきましょう。

 それは、本庶氏が医学部長時代に医学生に語った「幸せの定義」です。本庶氏いわく、
 ・物に満たされていること
 ・自分の将来に不安がないこと
それに加え、
 ・人の役に立っていると思えること
で初めて幸せを感じられるのだそう。物質と精神が満たされても、人の役に立っていると実感できることが大切なのですね。私はふとマザー・テレサの「この世で最大の不幸は、人から見放され、『自分は誰からも必要とされていない』と感じる事なのです」という言葉を思い出しました。

体内の警察~刑務所システムを免疫という

 さて、本庶氏がノーベル賞を受賞したのは、「PD-1」という物質の発見という功績によります。なぜこれが画期的な発見だったのか、解説します。まず人間のシステムからお話しし、その後、PD-1についてお話しいたしましょう。

 人間の体は、もともと外敵から自らを守るためのシステムが存在します。マクロで言えば集団行動をして自衛するというものもそうですが、ミクロには細菌やウイルスなどの小さい敵から身を護る「免疫(めんえき)」というシステムがあるのです。この言葉は、疫(=病気)から免(まぬか)れるという意味があります。

 あまり知られていませんが、ミクロのレベルでも人間は常に外敵にさらされています。例えばこんな具合です。

 食事の中は、基本的に細菌・ウイルスだらけです。大学時代の寄生虫実習は、グループに分かれてその辺のスーパーでサバを買ってきてアニサキスという寄生虫を見つけるもので、もちろん全グループのサバから寄生虫が出てきました。トイレの後、手を洗わずにご飯を食べると、自分や他人の便が口に入ります。風疹の人とすれ違えば感染する可能性がありますし、初めてキスをすればEBウイルスに感染して伝染性単核球症になる可能性があり、セックスではヒトパピローマウイルスなどが感染する可能性があります。隣の人が咳をしていたら、多くのウイルスを吸い込むことになります。

 こういった環境から体を守るためのシステムが、免疫なのです。

 もう少し具体的に言うと、免疫はヘルパーT細胞、キラーT細胞、B細胞など多くの種類の細胞がその役割を担っています。これらの細胞が、全体を統括したり、実際に外敵を攻撃したり、悪いやつがいるという情報を伝達するなどして免疫担当細胞チームとして体を守っているのです。まるで警察、検察、裁判所、刑務所が一体になっているかのようです。

もう一つ重要な「自己と他者を見分ける機能」

 さらに言えば、「自己と他者を見分ける機能」も免疫の主要なものになります。なぜなら、免疫には攻撃する機能があるため、間違って自分本来の細胞を攻撃してしまうと病気になってしまうからです。実際にこういう病気はあり、自己免疫性疾患と呼ばれています。その代表的なものである関節リウマチは関節の軟骨や骨、そして滑膜という膜を他者と見誤って攻撃し破壊する結果、関節が曲がり動かなくなってしまいます。

 それ以外の自己免疫性疾患には全身性エリテマトーデス、バセドウ病などがありますが、多くは治療がとても難しいのです。さらに、自己免疫性疾患の多くは、詳細な発病のメカニズムがいまだ不明です。

 そういうわけで、「自己と他者を見分ける機能」は非常に重要になります。まず他者と見分けた上で、攻撃を始める必要があるのですね。

がん細胞という他者の狡猾さ

 さて、ここで本庶氏の功績に話が近づきます。先程から言っている「他者」には、がん細胞も含まれます。がん細胞は基本的に細胞の中にある指令センター「遺伝子」をおかしくします。遺伝子は細胞の働きやその寿命を規定しますから、遺伝子が変になった結果、細胞のいろいろなふるまいも異常になるのです。いちばん困る異常なふるまいは、「どんどん勝手に増えていくこと」です。無秩序な増殖は、人間の正常な機能を破壊します。例えば胃の出口にできたらご飯が通りづらくなりますし、脳にできたら狭いスペースにある脳全体が圧迫されて症状が出ます。

 こういったがん細胞は、免疫チームから当然他者として認識されます。しかし、ここからががん細胞の狡猾なところ。がん細胞は、なんと自分が異物であるというマーク(がん抗原と呼ばれます)を隠し、攻撃されにくくするのです。さらには、がん細胞は免疫細胞のある部分に結合してその機能にブレーキをかけるのです。まるで犯罪者集団が警察署の電源を爆破し全ての出口をロックしているようです。

 がん細胞はPD-L1という手を出して、免疫細胞のPD-1という手と握手します。この握手が成立すると、免疫細胞はブレーキがかかり正常に作用しなくなってしまうのです。このブレーキをかけるために結合している部分のことを、免疫チェックポイントと呼びます。
 本庶氏が発見したのはPD-1というタンパク質で、1992年、氏が50歳の時のことでした。この功績により、今回のノーベル賞受賞となったのです。

そしてオプジーボの開発へ

 このシステムを逆手にとり、ブレーキをかけさせなくするための薬が免疫チェックポイント阻害薬と呼ばれる薬で、オプジーボが代表的です。

 オプジーボは非常にたちの悪い皮膚がんである悪性黒色腫や肺がんに高い効果を示しましたが、どちらかというとそのあまりの価格の高さで話題になりました。平成27(2015)年12月の肺がん承認当時、1カ月で300万円を超える額が設定されたのです。この衝撃に、国内の多くの医師が危機感をあらわにし、反発しました。

 その結果、徐々に値段は下がり半額以下になりました。それでも、小さな1瓶が約30万円もするので、病院の薬剤師さんは落っことして割らないようヒヤヒヤしながら扱っていました。

 薬価の設定についてはまた別の議論になりますので、またいつか。

 今回は、ノーベル賞受賞の本庶氏の研究とその成果について解説しました。それではまた次回、お会いしましょう。

謝辞)
最後に、本庶氏のエピソードを教えてくださった、京都大学医学部卒の外科医・武矢けいゆう先生に感謝申し上げます。

■変更履歴
記事掲載当初、本文中で「外的から自らを守る」としていましたが、正しくは「外敵」です。また本庶氏がPD-1を発見したのは「氏が40歳の時」としていましたが、正しくは「50歳」でした。お詫びして訂正します。本文は修正済みです [2018/10/3 14:30]
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