右肘を手術した大谷翔平の投手復帰が待たれる(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)
右肘を手術した大谷翔平の投手復帰が待たれる(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 米大リーグは、ポストシーズンに突入して連日熱い戦いが続いている。残念ながらこの戦いの中にロサンゼルス・エンゼルス大谷翔平の雄姿を見ることはできないが、肘の故障での離脱はあったもののその存在感は十分にアピールすることができたルーキーシーズンだったのではないだろうか。

 新人王争いのゆくえも気になるところだが、当の大谷はシーズンが終わるや否やトミー・ジョン手術(腱の移植)に踏み切り、もうすでに来季に向かっての準備を進めている。投手としては、来シーズンをすべて棒に振ることになるが、打者としては6月からゲームに出られるのではないかと言われている。焦ることはないだろうが、誰あろう、大谷本人が誰よりもその復帰を楽しみにしていることだろう。

 トミー・ジョン手術は、今では日米を問わず多くの選手に受け入れられていて、復帰後は球速が速くなるとも言われている。それだけ成功の可能性も高くなっていて、手術に対する不安や心配もなくなっている。それゆえに大谷も躊躇(ちゅうちょ)することなく、手術を受けることにしたのだろう。

 「かなりの確率で、今、またはそれ以上の状態になるといわれているので、そこをイメージしながらやりたい」

 大谷も、極めて前向きにリハビリに取り組もうとしている。

 これまで本コラムで大谷のことは何度も取り上げてきたが、今回は特段彼のすごさに触れるわけではない。二刀流におけるベーブルース級の記録や少ない試合数(投手10登板、打者114試合)で残した成績(4勝2敗、本塁打22、打点61、盗塁10、打率2割8分5厘)の評価などは、スポーツ媒体で確認していただきたい。

 当方も、元プロ野球選手として称賛に値する大谷の投打における活躍を技術論で考えてみたいところだが、それは違う機会にさせていただこう。今回考えたいことは、大谷翔平のすごさではなく、いかに「普通か」ということだ。

 それは大谷がどこに自分を立たせて野球をやっているかということであり、今の自分をどう思いながらプレーしているかということである。

 それはきっと、私たちにも大いに参考にできることだろう。

 大谷の「普通さ」に驚かされたのは、例えばこんなやり取りだ。

 以下は日本経済新聞(10月2日付)に載った「今シーズンを振り返って…」という見出しの記事から。

――成長できた点は
 「毎日(成長を)感じる。キャンプからやってきて、まだまだうまくなれるな、ということを感じる日々が、日本にいたときより多かったと思う」

 彼は、人との競争ではなく、自分が上手くなることを毎日のテーマにしているのだ。

――今季の成績をどう考える
 「1年間やって、単純にこれだけの数字が残ったというだけのこと。よかったとか、悪かったとかはない。けがをしたり、ゲームに出られないときもあったりしたので、やっぱり悔しいところはあった」

成績には無頓着、ひたすら技術を磨く

 自分の成績に関しては、無頓着というか、よいとも悪いとも思わない。それが現実だということだろうか。それよりも彼の中では、試合に出られなかった悔しさが保存されている。

 私が感心したのは、三振の多さを尋ねられて以下のように答えていることだ。

 「課題の一つとは思うが、格上の相手に対して、全部打ちに行くことはできない。取るところは取って、捨てるところは捨てないと、力が上の人に対してはなかなか勝てない」(日経新聞10月4日付)

 大谷は、自分より実力のある人の存在を認めているのだ。決して「俺が一番だ」とは思っていない。この立ち位置が意外であり、大切なことだと思った。「自分が最高ですべてをなぎ倒してやる」などと驕ったことはまったく思っていないのだ。それよりも実力者に対しては、欲を捨てて真摯に戦いを挑んでいく。負けることも想定しているので、結果に一喜一憂しないのだ。つねに冷静で謙虚であることが、彼の普段の姿勢といえるだろう。

 そして、今年のプレーをこう総括している。

 「今までのように、楽しく野球ができたのが一番よかった。ポストシーズンに行けない悔しさはあるけれど、それは来年にぶつけられたらいい」(日経新聞10月2日付)

 大谷翔平のすごさを「普通過ぎること」と言ったら、誤解を招くかもしれないが、賢明な読者のみなさんはもうすでにお気づきかと思う。彼はまったく力むことなく自然体で野球と自分自身に向き合っているのだ。そこに成績や他者(対戦相手やライバル)の存在はない。いや、もちろんそれもあるのだろうが、彼が興味をもって立ち向かっていることは、自分自身を上達させることであって、彼が問うのは「そのことに楽しく取り組めているか?」ということだ。

 当たり前のことだが、何事も楽しければ集中力も持続力も生まれてくる。創意工夫や決断力や行動力も、その源は楽しさと言えるだろう。

 大谷翔平が野球を通じてそのことを伝えようとしているわけではない。彼は、自分が没頭できる野球というものに全力を傾注しているだけだ。その姿勢は、少年が日の暮れるまで飽くことなくボールを追いかけている姿にも似ている。そんな少年が楽しみにしていることは、野球ができる明日が来ること。

 大谷のすごさは、普通過ぎることを今も普通にできることだ。

 ベーブルースと比較されることについて、彼は言った。

 「うれしい気持ちはあるが、本の中でしか見たことがなく、神様みたいな存在だと思うので、自分と(比べ)どうか、ということはない。(自分が)野球をやめる時にどうなっているか、ということでいいのではないか」(日経新聞10月2日付)

 球聖ベーブルースも、大谷の眼中にない。

 他者との比較を喜ぶのは、大人の得意技だ。

(=敬称略)

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